全国津々浦々散歩をして、宿泊地のテレビを見る機会が増えました。
テレビでその地域の生活や文化や問題も知ることができるところと、どのチャンネルもまるで自宅にいるかのように東京という「地方局」の番組がほとんどの地域もあることが少しずつ見えてきました。
そもそも「テレビはオールドメディアかどうか」と言っても、テレビ放送自体が全国一様ではなさそうですね。
地道に取材を重ねたり味わいのある番組もあったのに、「わぁ〜」と叫びたくなるようなシュールな宣伝や番組が増えたのは経済が斜陽になっているからかもしれないと思うこの頃です。
そして先日の某知事選挙では、その「オールドメディアしか知らない高齢者対SNSを駆使して情報を自分で集める若者」のような対立といった見方もされていました。
が、私の印象はあの未曾有の感染症拡大の中で、「コロナウイルスは存在しない」「不織布マスクは危険」「真実は違う」と街頭デモをしていた参加者に中高年の人が多かったことと重なりました。
さらに先の都知事選でも「テレビや新聞しか見ない高齢者」と扇動されていたけれど、もしかすると「何も考えていない人と自分は違う」と思いたい人がどの年代にもいるということかもしれませんね。
都知事選でポスタージャックした党というだけで何かまた新たなことを企てていると警戒したくなるのですが、社会の闇は深そうですね。
*時系列と問題の核心がぼやけやすいのが問題かも*
闇が深すぎるので最近の選挙運動の動きはよくわからないのですが、メディアについては「問題の真意が何かがわかりにくくなる」というのは感じます。
もちろん、メディア側の問題だけでなくわからない状況に耐えられず、次から次へと新しい情報を知りたいという受け手側の需要もあることでしょう。
「問題は何か、何がいけなかったのか、解決策は何か」など次から次へと報道やさまざまな人の意見が続くと、最初の問題がわからなくなってしまったあげく、もう過去の問題になって忘れ去られていく。
マイナ保険証についてもメリットとデメリットよりも、問題の核心は任意から実質強制への理由がないことで、いつの間にか国民の自由を失うことを国が平然と進めていることが危険なのですけれど、なかなかそのあたりを突き詰め続けてくれる媒体は少ないですね。
さて、今回の開票直後から「オールドメディア対SNS」の意見がわーっと出てくる中で、元々の問題の核心を見直すことができたのはこの記事でした。
橋下徹氏 斉藤元彦氏再選も「権力者として不適格と主張し続ける」 3725文字の長文投稿で持論
元大阪府知事で弁護士の橋下徹氏(55)が17日、自身のX(旧ツイッター)を更新。無所属の前職・斉藤元彦氏(47)が当選確実となった兵庫県知事選についてコメントした。
斉藤氏は元尼崎市長の稲村和美氏、日本維新の会を離党した前参議院清水貴之氏ら無所属6新人を破り再選を果たした。選挙戦ではパワハラなどの疑惑告発文書問題で失職した斉藤氏への評価や、混乱した県政の立て直しなどが問われた。
橋下氏は、斉藤氏が再選確実となったことを報じるニュースを取り上げ、「民意は大変重いものですが、僕は引き続き斉藤さんは権力者として不適格であることを主張し続けます。パワハラ・おねだり・公益通報者保護法違反を理由とするものではありません」と投稿。続けて3725文字の長文を投稿し、8項目にわたって自身の考えをつづった。
橋下氏はまず、「怪文書」への斉藤氏の対応について「大問題」とし、「斉藤さんはここで怪文書は公益通報に当たらないと自ら判断し、怪文書の作成者を探しに行った。副知事、幹部が一体になり組織あげて探しに行ったのです。こんな権力の使い方ほど恐ろしいことはありません」と持論。自身が大阪府市長時代に経験した裁判を引き合いに「公共通報保護法違反かどうかは別として、怪文書後の内容告発の中身の真実性が確定してから作成者の処分を決めるべきでした。告発によって兵庫県庁の悪いところを正してくれたのであれば、怪文書・告発文作成者の悪いところは多少温情をかけるべきなのです」とし、「ところが斉藤さんは公益通報の結果が出る前に告発者の処分を先にやってしまいました。これは権力の使い方として完全にアウトだし、恐ろしすぎる」と断じた。
そして斉藤氏のパワハラ、おねだりについてのメディアの報道も問題だとし、「インフルエンサーたちがメディアの報じ方のおかしさを猛主張したのをきっかけにパワハラ・おねだりの事実はない、告発者の方が悪い、斉藤さんはメディアの捏造によって貶められたという意見が大拡散したのです」と解説。「僕のような出演者も含めてマスメディアはこれだけ有権者がメディアの報じ方に不満を持っていることをしっかりと認識しなければならいでしょう」とした。
そのうえで「僕は斉藤さんの権力の行使のやり方のおかしさ、権力者として資格なしという主張を続けます」と持論。斉藤氏が県議会解散ではなく出直し選挙を選択して再選を果たしたとしても「知事選に当選しただけでは不信任決議をひっくり返すことはできません。それほど不信任決議は重たいものなのです」と説明した。
そして再投資を支持した「兵庫県民の民意は非常に重い」としつつも、「しかしその民意に対して意見を言っていくこともコメンテーターの仕事だと思っています」とつづり、投稿を結んだ。
(スポニチアネックス、2024年11月17日22:54)
開票直後から「オールドメディアの敗北」だとテレビの向こう側の動揺が伝わってくる時に、頭の整理をすることができました。
だからと言って、その人だけそのメディアだけを信じ込まないという忍耐力も大事ですね。
そして時系列で読み直してみると、やはり「権力の使い方」のボタンの掛け違いのような印象を受けました。
これは正解のない、本当に難しいことです。
失敗を認めないかたくなな心、これはリスクマネージメントを社会に浸透させるのには一番手強いことですからね。
*機を狙って「揚げをさらうトンビ」「梯子を外す」新たな仕事*
SNSで「真実はこれ」「正義はこちら」と、自分の地域のみならず出かけて声を上げる人が増えたことに危うさを感じるのですが、数年前はまだ限定的でした。
ところが新型コロナウイルス感染拡大、都知事選、そして先の衆議院選挙と、選挙とその後の雰囲気が一変することを肌で感じました。ようやく社会の問題が声に上がってきたのに「梯子を外された」ような拍子抜けした感じです。
劇場型選挙とかそれを仕掛ける選挙プランナーの存在を知ることになりましたが、今回の背景を見るとそういう存在も一様ではなくさまざまな動機や目的がありそうですね。
ただいずれにしてもゴタゴタの機に乗じて、どちらかに資金援助をし、その資金だけでなくなんらかの支配力や影響力を手にするという新たな仕事が生まれたように見えてきました。
それは社会にいつの時代にも出現する「古くて新しい荒稼ぎや山師商売」かもしれません。
私にはファラオのような頑なな心の支配者やそれを助ける魔術師のような人に重なり合って見えるのですけれど。
今回の経緯から、SNSによる選挙運動にリスクマネージメントという発想はあるのかな。
そんなことも考えさせられました。
そして、なんだか新たな鵺(ぬえ)の広がりを見たような数ヶ月でした。
「事実とは何か」まとめはこちら。
失敗とかリスクについてのまとめはこちら。
「鵺(ぬえ)のような」のまとめはこちら。
新型コロナ感染拡大についてのまとめはこちら。
合わせて「運動のあれこれ」もどうぞ。