さぬき市から高松市にかけて南側には小高い場所が続いていたり点在していたり、かつて、数千年前とかはどこが海岸線だったのだろうと興味深い地形です。
その丘陵地帯の麓に、ポツポツと大小さまざまなため池が描かれています。
これをつなぎながら歩いてみたい、という壮大な計画は猛暑なので断念しました。
せっかく来たので、ひとつだけでも見たいと琴電大町駅で下車して、南西へと歩き始めました。
駅前の歩道橋の上から東側に志度湾が見え、そして南側には住宅地の中に青々と稲が見えました。
小学校の前の道を入ると、歩道橋から見えた田んぼがありました。
前日にお隣りの愛媛県西条市で見た田んぼはまだ田植え直後でしたが、ここの稲は20センチ以上に勢いよく育っています。
それぞれの地域で米作りのスケジュールはいろいろですね。
田んぼの端に「倉稲なんとかの石碑」があったことをメモしていました。
写真を見直すと、「蔵稲魂命」で「ウカノミタマ」と呼ばれる穀物の神様のことでした。
ほんと、知らないことばかりです。
散歩の記録をブログ内で検索したところ、なんと深大寺用水東堀を訪ねた時に立ち寄った諏訪神社と小倉の瑜伽神社で、この神様のことを書いていました。
ほんと、知識が身になるには時間がかかりますね。
そしてお米を主食にして生きてきたというのに、お米の神様が忘れられていった時代だったのかもしれません。
*羽間上池から眼下の田んぼと瀬戸内海を眺める*
比較的新しい家々の間の水路に沿ってゆるやかな坂道のそばに、ため池の天堤らしき場所が見えてきました。
天堤の北端は周囲より高い場所で、地図には描かれていない神社があるようです。
ちょうど、お掃除が終わった地元の方々が山道を降りてこられました。雨の日も風の日も、そしてこんな暑さの日も、氏神様の清掃・管理をしてくださる方々で「地域」というのは成り立ってきたのだと思うことが増えました。
ため池のそばにあるので水の神様かもしれませんが、見上げるような石段に参拝をあきらめました。
天堤に沿って斜めの道を上ると、ため池の水面が見えました。広いため池です。そしてちょうど、何か点検をされている方々が働いていらっしゃいました。
ふりかえると志度湾が見え、家々の間に水田がけっこう残っているのが見えました。
計画ではここから西側の川骨池を訪ねて、琴電八栗駅までのひと駅散歩だったのですが、暑さのために早々に断念してまた大町駅へと戻りました。
*羽間(はざま)池と羽間上池*
ため池の説明が網羅されている香川県ですが、帰宅してから読んではじめて「はざま」池と読むことを知りました。
ただ、その公式ページの説明は、同じ琴電でも琴平線羽間(はざま)駅の前にある「羽間池」でした。
2024年4月に羽間駅前にある大池を通過したのですがそれが「羽間池」でしょうか。そして、今回は「羽間上池」です。
駅名を「はざま」と読むことも確認していませんでした。あ〜あ、ほんと、日本語は難しいですね。
高松市の「羽間上池」についてはその歴史について書かれたものは見つからず、最近の太陽光発電の記事をいくつか見かけるだけでした。
いつ頃どのような経緯で造られ、その水はどこから来たため池でしょう。
歴史を記録し伝えていくというのは難しいものですね。
全国津々浦々、水田が健在の風景ですが、それぞれの地域の地形や天候の違いに合わせて用水・排水を整備し、お米を作ってきた歴史を知るのはなかなか大変ですね。
稲穂の国だというのに、その歴史を記録し伝えて学ぶという視点があまりなかったのかもしれません。
「米のあれこれ」まとめはこちら。