行間を読む 225 「千曲川のアキレス腱」

また寄り道をしてしまいましたが、9月下旬の千曲川から信濃川への散歩の続きです。

 

立ヶ花駅を過ぎると、列車はしだいに高度を上げて千曲川を見下ろすような場所を走ります。

飯山方面へ向かっているのですから、千曲川信濃川下流へ向かう流れに並走しているはずなのに、なんだか上流へ向かっているような錯覚に陥りました。

 

 

*「現在も隆起を続けているといわれている活構造地帯」*

 

「立ヶ花狭窄部」について、国土交通省北陸地方整備局の「千曲川のアキレス腱 立ヶ花狭窄部を生み出した先行河川」という資料がありました。

 

冒頭にこんなことが書かれています。

▪️長野盆地を過ぎて中野市立ヶ花〜飯山に至る10kmの区間は、現在も隆起を続けているといわれている活構造地帯です

▪️千曲川派隆起地帯に、谷を刻みその位置を維持してきました。しかし、その結果、先行河川として狭窄部となり、岩盤が露出するとともに大きな蛇行が連続する区間となりました。

(強調は引用者による)

 

その図の中に、「千曲川犀川が運搬した新しい地層(第4紀層)が500mにも及んでいる」とあります。

 

「第4紀層」、検索してみて愕然としました。

約170万年前から現代までの、人類が出現したり、氷河期に覆われた時代の地層のことです。第4紀には、氷河時代洪積世と呼ばれる更新世と、後氷期や沖積世と呼ばれる完新世に分けられ、この時代の堆積岩や火成岩を第四紀系といいます。

(「最上川電子大辞典」、東北地方整備局

 

ここ数年あちこちを散歩するようになって大昔に感じていた古墳時代がようやく身近になったというのに、地層の世界だと「新しい」というのはそういうことなのですね。

そして立ヶ花狭窄部周辺のように現在も隆起し続けている場所があるとは、ほんと、足元の地面のことさえ知らないまま生きてきました。

 

 

*「立ヶ花付近で急に川幅がせまくなっている」*

 

その資料の「地形地質分類図(河道の変遷)」では「千曲川は、立ヶ花付近で急に川幅が狭くなっているため、上流にあたる長野盆地北部では幾たびか洪水の被害を受けてきました」と書かれています。

 

当日、車窓から撮った写真を眺めると、たしかにそれまでの幅広い千曲川の河川敷がなくて川幅も狭くなっているようには見えます。

ただ、両岸はそれほど高くなく、急峻な山が迫っているわけでもなく、千曲川はゆったりと流れています。

洪水の際に上流に逆流してしまうほど流れにくくなることが、ちょっと信じられないのどかな流れに見えました。

 

ところがその資料によると、特に千曲川右岸へと水が溢れていたようです。

北陸新幹線長野駅を出て、千曲川を渡ってじきに通過する小さなトンネルの東側の地域のようです。

その直前に千曲川本流に両岸の支流が合流する場所があって、北陸新幹線に乗る時にはいつも見逃さずに眺めていました。

 

右岸の支流が篠井川だそうで、そこに広がる「延徳田んぼ」地域の水害の歴史が書かれていました。

延徳田んぼの住民は、先祖伝来心血を注いで水害とたたかい、抜本的治水対策の必要性を訴えてきました。その動きは、千曲川の全市町村による千曲川治水会(大正2年設立)に結びつく。住民の叫びが千曲川直轄改修事業の原動力となったといっても過言ではありません。

▪️明治44年、延徳沖3ヶ村(現中野市小布施町)の住民が延徳治水期成同盟を設立。

▪️大正7年千曲川改修が長野県から国の直轄事業として引き継がれる。

▪️大正10年、千曲川の氾濫を防ぐ小布施町の北岡堤防に着手される(昭和5年竣工)。

▪️昭和7年千曲川からの逆流氾濫を防ぐ、篠井川水門が竣工。

▪️昭和16年、国による改修工事が完了。しかし、篠井川の内水氾濫は治らなかったため、昭和17年から長野県が篠井川の改修事業に着手(昭和26年、部分竣工をもって中止)。

▪️昭和20年、千曲川の増水逆流と篠井川の内水氾濫によって延徳田んぼは一面の水となる。

▪️昭和32年、中野平土地改良区の設置認可。延徳田んぼの用排水路工事に着手。

▪️昭和35年、長野県が篠井川改修・二ツ橋線工事に着手(昭和51年竣工)

▪️昭和41年、長野県が篠井川計画を改定(計画高水流量165㎥/s)。

▪️昭和48年、篠井川排水機場の建設工事が始まる(昭和53年概成・5㎥/sポンプ2台)。

▪️昭和55年、中野市小布施町で篠井川改修促進期成同盟会を組織。

▪️昭和56年、長野県が殿橋〜樋門間の篠井川の河床整正に着手。

▪️昭和63年、篠井川樋門の老朽化と合流流量増加に対応するため、樋門の改築に着手(平成4年竣工)。

▪️平成7年、出水による内水氾濫を受け、10㎥/sポンプ1台を平成13年3月に増設。

 

私の数十年の人生なんて短く感じる、千曲川の一支流の改修の長い歴史と地域の運動がありました。

 

篠井川排水機場はどのあたりだろうと地図を見ると、北陸新幹線上信越自動車道が交差する手前にあるようです。

たしか2019年9月初旬に初めて乗った北陸新幹線の車窓から水門が見えたのですが、そこだったようです。

そのわずか1ヶ月後に、2015年に長野から北陸へと延伸された新幹線が、まさか4年後に車両基地と車両が水没し13日間も運行停止になったのでした。

 

ただ、歴史にもしはないのですが、この篠井川改修が行われていなければ、北陸新幹線上信越自動車道も建設することさえできなかったのかもしれません。

千曲川のアキレス腱から上流わずか数百メートルに篠井川が合流しているのでした。

 

 

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