20代半ば、先進国から難民救援にと意気揚々と出かけて暮らした東南アジアの国は、その半世紀ほど前に日本からの移民がいたことを知りました。
また華僑という人たちの世界と境界線があることもその国で実感しました。
その国では内戦による国内難民と呼ばれる人たちもいました。生活の場から離れるとその土地は巨大な資本家の手に渡り、他の地域からの貧困層の移住が進められました。そして各国からの巨額の資金援助で「開発」が行われたので、元の土地には戻れないのでした。
片や「難民」を産み、片や「移住政策」が行われる。
90年代になると同化政策だけでなく民族浄化の現状が伝えられ始めました。
しだいに「難民」は経済難民という概念も含まれるようになり、また日本では「途上国」からの海外出稼ぎを受け入れる国になり始めましたが、かつての「男性の労働力」とも違いエンターティナーやハウスキーパーなど「出稼ぎの女性化」という大きな変化がありました。
ただ90年代もあくまでも「出稼ぎ」であり、過疎化した農村などで日本人男性と結婚することで日本国籍を得る女性が増えましたが、「移民」というとらえ方ではなかった雰囲気でした。
そのうちに、戦前からの日系移民の二世三世あるいは中国残留孤児とご家族の方々が日本へ戻って働くようになりました。
最近では世界中から「移民」を受け入れる側になり、私が20代の頃に考えていた「移民」とはもはや中身が違っているようです。
10年ひとむかしですね。
「移民を受け入れる」とか「移住」ということはどういうことだろう。
逡巡することが増えました。
もしかすると、どの国でも移民にならないようにその国で暮らせることが先ではないか、そう思うことも増えました。
一人一人の大事な人生なのに「労働力」としか見なされず、棄民の手段になっていないか。
「移民」という表現への20代ごろからの疑問が少しずつ言葉になってきた記事をまとめてみました。
*移民や出稼ぎについてのまとめ*
<2012年>
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新田開発後も物乞いや出稼ぎに出ざるをえないほど貧しかった時代があった
<2026年>
骨太についてのまとめはこちら。
あわせて「難民についてのあれこれ」のまとめもどうぞ。