落ち着いた街 64 西川のそばの吉田町

散歩の二日目の最初の計画は、乗り継ぎで下車する弥彦線吉田駅の駅周辺を歩くことでした。

 

弥彦線から越後線の乗り継ぎに約40分あります。

地図を眺めていたら駅の北北西すぐそばに「吉田堤町(よしだつつみちょう)」を見つけました。さらに西側には西川が流れ、そのそばに吉田新田町があり吉田堤町との間に吉田諏訪神社があります。

 

どんな地形でどんな場所なのだろうと、ここを歩いてみることにしました。

 

駅前の道は緩やかに川へ向かって上り坂になっています。

「堤」もしかすると自然堤防のような感じでしょうか。あるいは現代ならスーパー堤防のような作りかもしれません。

碁盤の目のような住宅地の道路には、ほとんど消雪パイプが設置されているので茶色い道路です。この地域の水との闘いはどんな歴史があったのでしょう。

 

途中、公園の方へと蛇行する道が見えたので、そちらへ曲がってみました。

冬は雪ぶかくなる街でしょうか。

9月下旬、雪の前の季節を大事にするかのように、庭や公園には木々や草花が美しく手入れされていました。突き当たりには木壁のどっしりとした日本家屋の家があります。

なんて落ち着く街でしょう。

 

 

*「棟梁の腕のよさがわかる建築」*

 

 

鎮守の森が見えたので、それを目指してまた茶色い道を歩きました。

燕市指定文化財 諏訪神社」の案内板がありました。

創立および沿革

 創立年代不詳なるも統治の産土神

一六九六(元禄九)年、社殿の造営を機に諏訪宮に十二神(大山祇命)または大保権現と神明社を合祀し、諏訪神社の社号を奉ったとされる。

 一八三〇(文政一三)年、社殿を改築して遷座、現在にいたる。

 一九三六(昭和一一)年、郷社に列せられる。

 総ケヤキ造りとし、彫刻も多く、全体の形は均衡がとれ、棟梁の腕のよさのわかる建築である。

 近郷近在の神社建築の手本として存在していたと思われる。

    平成九年三月三〇日 燕市教育委員会

 

燕市」のところが新しく書き換えられているのは、この案内板が作られた9年後に市町村合併が行われたからのようです。

 

このところ、あちこちの神社に歴史を訪ねながら歩くようになり、社殿に彫り込まれたものに惹き込まれるように眺めています。

「棟梁の腕のよさのわかる建築」、まさに日本各地にずっと昔から、こんなに腕の良い人たちが繰り返し繰り返し生まれてその技術を引き継いできたのですからすごいことですね。

 

そして鎮守の森や参道とのバランスの良い雰囲気。圧倒されることばかりです。

 

この諏訪神社でも参拝されている地元の女性がいらっしゃいました。長い祈りを捧げていたので、私はそっと後ろから一礼して引き返しました。

 

*かつては田んぼだった住宅地*

 

神社の先に西川沿いの木々が見えましたが、そこまで行くと列車に間に合いそうにありません。

駅へと違う道を戻りました。

 

新しい住宅地が多い中に、暗渠が真っ直ぐ伸びています。

「吉田」、かつてはこのあたりも田んぼだったのでしょう。

古い家屋や雁木(がんぎ)も一部残っていました。

 

列車で通り過ぎただけならきっと、駅前もちょっと寂しい場所くらいの印象だったかもしれませんが、実際に歩いてみるとそこには堅実な生活とよく手入れされた街があることが感じられます。

だからやめられない途中下車ですね。

 

歩いてみて良かったと思いながら駅へ戻ると、駅前の小さな公園に「燕市吉田案内」がありました。

残念ながら一部読みにくくなっているのですが、西川を中心に街が描かれていました。

 

 

 

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