今回の散歩の2日目は西川沿いの地域を歩く予定ですが、最初に地図でなんとなく西川を見つけて「その上流はどこだろう」とたどったときに、ああ、あの川だったのかと繋がりました。
2019年に信濃川大河津資料館を訪ねた時に、大河津分水と信濃川の間にもう一本川があることを知りました。
あの真ん中の川が北西へと流れる西川だったとは。
あらためてWikipediaの「西川」を読んでみました。
西川(にしかわ)は、新潟県の越後平野を流れる河川である。信濃川の支流の一つであり、旧西蒲原郡を貫通する。かつて西信濃川とも呼ばれていた。
大河津資料館のあたりでは農業用水だろうと思うぐらいの川幅でしたが、古い歴史がありました。
概要
中世から農業用水として整備されたために、沿線はかなり手が加えられたといわれている。また、河川舟運にも利用され、西蒲原郡において重要な役割を持っていた。
元々は現在よりも多くの河川と上流部で合流しており、破堤・洪水をしばしば生んでいたが、大河津分水開通により島崎川と、樋曽山隧道開通により矢川と絶縁した。
排水不良の越後平野に用水路を作り、新田開発をする。
どんな技術が必要だったのでしょう。
西川を検索したことで、最初の計画で断念した「山を貫通する水路」は樋曽山隧道だったことを知りました。
*舟運があった頃*
近世には、西川沿いの村々の年貢米などを新潟町に運ぶ「蒲原船道(かんばらふなどう)」(新潟船道、西川船道とも)の舟運が発達し、地蔵堂、吉田、和納、巻、曽根など沿線のまちが賑わった。(Wikipedia「西川」)
Wikipediaの「吉田町」にはこう書かれています。
越後平野の中央部、下越地方南端に位置しており、町域には平坦地が広がる。近世には河川舟運により栄えた町であり、南北に流れる西川沿いに古くからの市街地が伸びる、
落ち着いた街だと感じたのは、長い舟運の歴史によるのかもしれませんね。
そして西川へ向かって緩やかな上り坂だったのは、自然堤防というようりはそういう場所を農業用水や舟運のために開削していったということでしょうか。
鉄道や車に置き換えられながら日本各地の舟運が身近な産業ではなくなって1世紀ほどでしょうか、地図に描かれている水色の線は川の意味だけでなくその地域の人にはかつての舟の風景が見えてくるのかもしれません。
「水のあれこれ」まとめはこちら。