記録のあれこれ 191 鉄道に「境内を横切られた」神社

こんこんと湧く泉が、黄瀬川左岸の高台の田んぼへと流れている江戸時代からの用水路を眺めて満足し、黄瀬川を渡って対岸の県道394号線沿いに富士岡駅へと戻ることにしました。

 

交通量が多い道路ですが、沿道には蔵や白壁と石で造られた壁がある大きな屋敷が残っていたり、お地蔵様があちこちにあり、なかなか趣のある風景です。

そして西側にはまた裾野まで姿が見える雄大な富士山が、こちらを見守ってくれているかのようです。

9時半ごろには、中腹に少し雲がたなびいて、少しずつ風景が変化していました。

 

途中、東側へと参道がある鎮守の森が見えました。

 

 

*中山諏訪神社

 

大きな銀杏が見えたので、鎮守の森に惹かれるように訪ねてみました。

 

参道よりも石段で二十段ぐらい高い場所に境内が広がっています。

美しい社殿には美しい龍が飾られています。本当にどの地域にも腕の良い棟梁がいらっしゃるのですね。

 

御由緒がありました。

往古より堰の田の明神塚に諏訪神社あり 創立創建は不詳なり

明治二十二年東海道線の開通と共に境内を横切られ 以降境内狭く

一般参拝者の不便なるより 明治四十二年愛宕社社地へ移転の許可を得

翌明治四十三年九月十六日付にて 神饌幣帛料供進社に列せらる

昭和五十一年堰の田領地資金を基に老朽の拝殿 三社を再建せり

尚神社の本殿は屋根なし四本の石柱造り 御神体は御石である

近在には希なる神社にして奇特な民話あり

 

県道をはさんで200mほど西側をJR御殿場線が通っていますが、かつてはそのあたりが「堰の田の明神塚」で境内があったのでしょうか。

支流の久保川と黄瀬川に挟まれた場所で、現在の境内は黄瀬川の高台ですが、かつては久保川沿いだったということでしょうか。

「堰の田」、興味深い地名ですね。

 

それにしてもいつの時代にも、神様は道路や鉄道のためにけっこう移転させられたり境内を横切られたりしていたのですね。

名神高速道路建設のために移転を余儀なくされた醒ヶ井の加茂神社を思い出しました。

ふらりと立ち寄らせてもらった神社ですが、思わぬ歴史を知ることができました。

 

ふと社叢という言葉を思い出しました。

 そこには、昔の植生、地域の動物、乱されない土壌を始め、神々の霊跡、遺跡、遺物、古建築、古植栽、古美術、古文書、史跡、名勝、天然記念物、さらに優れた景観、芸能、民族行事、共同体組織、水利構造から村落配置、住民の生業や環境、文化の生成にいたるまで、有形、無形の多くの文化財が残されている。

そして大事な生活の記録もまた感じられるものだと思いながら石段を降りました。

振り向きたくなる美しい鎮守の森でした。

 

湧水と田んぼと黄瀬川、そしてどこからも見える富士山。

落ち着いた街だなと思いながら富士岡駅に戻りました。

 

 

 

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