JR御殿場線の岩波駅と裾野駅のちょうど真ん中あたりで、裾野駅まで直線距離でも2~3kmはあるでしょうか。
計画ではさらに長泉なめり駅まで歩くつもりでしたが空腹でしたし、久しぶりの遠出の第二弾ということもあって、裾野駅からは電車に乗ることにしました。
交通量の多い県道394号線をまっすぐ南下し、数百メートルほどで御殿場線の東側へと跨線橋を渡ります。
その交差点の角に、深良用水の水を利用していると思われる小さな親水公園がありました。地図に、本流と小さく半円の水路が分かれてまた合流する水色の線で描かれている場所です。
なんの説明もないのですが、もしかしたら昔は生活用水を汲む場所だったのでしょうか。
一瞬、後ろの車の音も聴こえなくなるかのように、その水の音に惹き込まれて行きました。
*久根地区から稲荷地区へ*
御殿場線にかかる跨線橋はもし自転車だったら降りて歩くだろうなという湾曲で、下を向きながら上りました。
ようやく真ん中にたどり着いて、南を見ると遠いところに駿河湾が輝いて見えました。振り返ると、また雄大な富士山が裾野まで見えます。ああ、だから「裾野市」なのですね。
近くには富士山を一望する場所に、地域の墓地がありました。
跨線橋を下ると、目の前には懐かしい水田地帯と深良神社の鎮守の森です。
あの時には「1906年(明治39)創建」しかわからなかったのですが、「深良地区の文化財めぐり」によると「深良全体を統合する氏神は存在しないが、天田下(あまだした)全体で深良神社を祀っている」とありました。
このあたりも深良用水が細い分水になってあちこちに地図に描かれている通り、側溝から水音が聴こえてきます。
前回はここから深良震橋(ふからゆるぎばし)の方へ西に向かったのですが、今回はこのまま南下して、御殿場線の東側の久根地区の田んぼ沿いに歩いてみました。
この日は時々小さな雲が富士山にかかるくらいで、振り向けばいつもその全景がありました。
このあたりから、富士山の左側に愛鷹山のまっすぐな裾野がかかりはじめました。ああだからこれも「裾野市」なのでしょうか。
刻々と姿を変える富士山と愛鷹山です。
足元にはここかしこに清冽な水が流れています。深良用水のことを知らなければ、富士山の麓の豊かな地下水だと思ってしまうかもしれませんね。
沼津方面へ向けて下り坂のはずなのですが、あまり勾配を感じないような水田地帯を貫くように深良用水の分水路が流れています。
どの地域にも滞りなく流す技術、江戸時代に造られ350年後にもそれが活きているのですから、ほんとすごいことです。
蛇行する道とともに蛇行する水路のそばを歩くのは疲れを忘れて楽しいもので、あっという間に裾野駅の近くの市街地になりました。
水路の幅が広くなり、裾野市民体育館のそばに小さな水門らしきものが見えました。
近づくと「稲荷堰」とあり、ここから先の分水路は暗渠になっていました。
西の黄瀬川と東の大場川支流の古川にはさまれた台地のような場所は、かつては水を得ることが難しい地域だったのが富士山を一望する美田になった。
13時10分に裾野駅に到着しました。
すでに21000歩で疲れたしお腹も空いたので、お昼ご飯にしましょう。
産地はわからないけれど、お米がことのほか美味しく感じられました。
お腹は満たされましたが、スマホのバッテリーが残20%になりました。
実はこの日出発する前に、モバイルバッテリーが壊れていることに気づいたという痛恨のミス。
GPSを使いながら土地勘のないところを歩くので、バッテリーが持つがどうかどきどきしながらの散歩でした。
もう少し歩くのはあきらめて、早々にホテルにチェックイン。
窓の向こうにまた雄大な富士山と箱根の山々が見えました。
日が落ちて、夜のとばりに薄青く山影が見え、麓には宝石が散らばるように電灯や車のライトが輝くまで、ずっとその姿を眺めました。
深良用水を求めた時代に、三世紀後のこんな時代を誰が想像したことでしょう。
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