水のあれこれ 398 牛臥海岸の浜水門と排水施設

バス停からわずか数百メートルほど歩いただけなのに、狩野川の河口は美しいだけでなく義魂碑「魚族供養塔」と歴史を知る場所でした。

 

防風林を抜けると、目の前には伊豆半島から清水のあたりまで駿河湾が大きく広がっています。

とりわけ伊豆半島の沿岸部はただただ森が続き、かつての日本の沿岸部はこういう美しさが続いていたのだろうと思いました。

穏やかな海を眺め、静かな波の音にしばらく惹き込まれました。

 

 

*牛臥海岸公園と防潮堤*

 

 

左手に小高い場所があるのが「牛臥」の由来でしょうか。

そこを迂回して反対側へと出ると、大きな防潮堤がありその向こうに牛臥山公園がありました。

小さな弧を描いて左手の松林が沼津御用邸公園のようです。

 

数メートルはある防潮堤でしょうか。右側は山に取り付けたようになっています。

東へと歩くとすぐに小さな川があり、防潮堤はこの川に水門がありさらに続いていました。

川のそばに記念碑があります。そばにはポンプ場でしょうか、おそらく排水機場だと思いながら近づいてみました。

 

1968(昭和43)年の記念碑のようですが、潮風にさらされたためか石質と色調のためかちょっと読みにくくなっていました。

 

 排水施設記念

⚪︎⚪︎⚪︎下北域に凡そ七十町歩に及ぶ耕北は象山を背景とし加ふるは地域に貫流する塚田川で川床低く満潮時に浜水門の閉鎖によって辛うじて塩⚪︎の害を防止して来たが豪雨時には全耕地が長時間の冠水を免れずその都度壊滅的な被害を重ねて来たが昭和二十八年十一月、矢崎実山本豊杉山重氏等を中心に関係地主三十三名相謀り⚪︎⚪︎之下土地改良区を設置し工費七三八萬餘圓を投じ機械排水施設を作り久しきに渉る洪水禍の筏を⚪︎⚪︎⚪︎湿田地帯の汚名を返上した⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎住宅地と(以下、字がはっきり読めず)

念のため3方向から写真を撮っておいたのですが、これ以上読めませんでした。

 

 

*塚田川と防潮堤と排水機場*

 

牛臥地区の防潮堤と水門について検索してみると、「横浜水道みちを行く」という先人の記録がありました。

門扉は防潮堤側に収納されています。レールがあり引き戸のようなスライド式ですね。

津波や高潮の恐れがあるときは、浜水門を閉じ陸閘を閉鎖して防潮堤と同じ働きをさせ、堤内の人家を水害から守ります。津波は天候に関係なく襲ってきますが、高潮は大雨のときに発生します。香貫一体の雨水を集めた塚田川の河川水は浜水門が閉じることで行き場を失い川から溢れ氾濫を起こすと考えられます。写真奥の方、塚田川河口付近にある薄茶色の施設は浜水門雨水ポンプ場です。その働きは、浜水門や陸閘を閉鎖したときにこのポンプ場を作動して川から溢れる前に駿河湾に直接排水するものと想像します。

 

ふらりと立ち寄った場所の風景でしたが、この一文で川と防潮堤と排水施設のことがわかりました。

 

川の名前もわかり検索してみると、沼津市の「河川の概要」に書かれていました。

【5】塚田川

鷲頭山(わしずやま)の北部を起点とし、志下(しげ)・島郷(とうごう)地内を経て柿原地内で新川と合流し、牛臥海岸に注ぐ全長3,300メートルの準用河川です。流域には水酸化工場が集積しており、その排水により特異の有機汚濁を受けていたことから昭和47年8月1日から排水規制2立方メートル/日以上の流域水産加工場に規制の適用を受けました。昭和60年4月水産加工排水処理施設が稼働し、水質は大幅に改善されました。また、下水道の普及に伴い、水質の向上が見られます。

(ふりがなは引用者による)

 

1970年代、ヘドロや製紙工場の公害だけでなく、こうした水産加工業や生活排水にも対応し始めていたのですね。

 

今まで地図を眺めていても狩野川にしか目がいかなかったのですが、狩野川水系でもなさそうな独立した準用河川と思われる小さな川が伊豆半島の入り組んだ海岸線に多いことが目に入りました。

それぞれの地域に、またそれぞれの生活と治水の歴史があることでしょう。

いつかぐるりと海岸線をまわってみたいものです。

 

 

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