記録のあれこれ 200 バスで大垣駅までの45分

散歩の2日目、うっすらと夜が明け始めた5時10分ごろからまた岐阜羽島駅のホームを眺めました。5時30分には駅員さんたちがホームなどを点検し始めていました。

5時54分、目を離した一瞬の隙に上り線の外側の線路に回送列車が静かに入線していました。こういう時にも外側の線路が使われるようです。

6時16分に最初の下りが静かに通過していきました。

 

新幹線のホームを一日中眺めていたい気分ですが、今日も木曽三川の輪中を歩きましょう。

今日は揖斐川長良川下流にある木曽三川公園を訪ねる予定です。

 

鉄道の空白地帯ですから名鉄竹鼻線で一旦岐阜へ回るしかないかなと思いながら地図を眺めていると、岐阜羽島駅大垣駅を結ぶバスが1時間に1本あることがわかりました。しかも途中まで東海道新幹線と並走しています。

 

これで大垣駅へ行き、大垣駅から養老線多度駅へ向かうことにしました。

 

 

岐阜羽島駅から大垣駅までのバスの車窓から*

 

 

7時54分、岐阜羽島駅前から県道18号線に出る手前、駅前のメイントリートのそばに小さな蓮池が残っているのが見えました。子どもの頃の岐阜羽島の水田地帯の痕跡ですね。あとで歩いてみることにしましょう。

 

県道18号に入ると新幹線が通過していくのを眺めながら長良川へと向かいましたが、長良川の羽島大橋までわずか数百メートルが朝の通勤時間帯で渋滞していました。

車社会ですからね、いくら道路を作っても追いつかなさそうです。

「CO2削減」とか「地球温暖化」とか叫ばれる割には、車やインバウンド客を増やすための航空機の排気ガスには寛容で、レジ袋がターゲットにされたのはつじつまが合わないなあと思いながら、通過する新幹線を眺めていました。

 

長良川を渡ると少しスムーズな車の流れになりましたが、まだ途中何度も止まります。

一人で一台の車が一斉に出勤するのですからすごい数ですね。

岐阜羽島を出発して加速したこだまかひかりに、あっという間に抜かされていきました。

 

長良川を渡ったところにある大きなソーラーパネルは私の中では新幹線沿線のランドマークの一つでしたが、いつのまにかパナソニックのロゴが消えていました。

2002年にできたもののようですから、1990年代に祖母の看病のために岡山へ行った時にはまだなくて、2018年に久しぶりに岡山へ行く途中で初めて気づいたのでしょうか。

 

記憶を行きつ戻りつしていると、周辺に屋根瓦の美しい家々と稲穂の美しい風景が広がり、その向こうに伊吹山が見えました。

安八町役場」も車窓からいつも眺めています。安八町(あんぱちちょう)と読むのですね。この辺りも輪中だったようです。いつか歩いてみたい場所の一つです。

 

沿線には、豊橋のあたりと同じように早々にモーニングのためにいくつも喫茶店が営業していました。

関西圏と関東圏の境界線と生活の違いを感じますね。

 

伊吹山が少しづつ近づいてきました。

沿線には嵩上げされた住宅地と稲穂がまだ残る美しい風景です。

「青刈バス停」のそばに、東屋と大きな石がありました。面白い地名ですね。

しだいに市街地へと入ると、「犬が淵バス停」がありました。どんな由来があるのだろうと後で検索してみましたがわかりませんでした。

この辺りも輪中に関係した「淵」でしょうか。

「禾ノ森バス停」というのもありました。ふりがながあって助かりました。「のぎのもり」だそうです。

大垣市のバス停名に目が離せなくなりました。

 

市民病院バス停では屋根付きの広い待合場所があり、その奥にトイレまであるのが見えました。

体調を壊して通院する方々にはとてもありがたいことでしょう。

 

高校生が遅延証明書をもらっていました。毎日の通学でこんな感じなのか、皆さん慣れた感じで受け取って下車していきました。

 

 

*かつてはここも輪中があった*

 

市街地に入ると水路があちこちに見え、アーケード街の合間に大垣城が見えました。

懐かしい大垣市です。

 

初めて訪ねたのは、2020年7月滋賀の醒ヶ井の湧水と地蔵川を訪ねたあとで、どこに行こうか地図を眺めていたら大垣もまた湧水が多いことを知って計画に入れたのでした。

ただただ平地なのに、どこからこんなに湧水が出てくるのか不思議に思う地域でした。

そして水門川を歩いてみたいという宿題も残っています。

 

およそ10分遅れでJR大垣駅に到着しました。

駅前の湧水も水を湛えています。

湧水の魅力に触れよう!水都大垣へようこそ!

この井戸舟の水は、大垣が誇る天然の地下水です。

あなたも、先人たちが大切に守ってきた水文化を体験してみませんか?

 

新幹線の車窓からの大垣は、南の水田地帯が工業地帯になったような場所で「大垣市民プール」が私にとってランドマークでしたが、2020年以来、そのわずか2kmほど北側には湧水と水路の美しい城下町も思い浮かべながら通過しています。

 

揖斐川右岸の比較的安全な地域に造られた城下町なのだろうと思っていたのですが、自分のブログ内で「大垣」を検索したらこんな文章を引用していたことを思い出しました。

大垣輪中(大垣市)で幼少の頃から、洪水の恐ろしさを体験した金森吉次郎は、彼の影響を受け治水事業に生涯を捧げるようになりました。明治24(1889)年の濃尾大震災の際には、明善と吉次郎が共に梶尾谷の山腹崩壊の実情を撮影して天覧に供し、その結果生まれた森林法が実施され、岐阜県下にも5万2000ヘクタールの植林が生まれました。

 

天竜川の治水に生涯をかけた金原明善に影響を受けた金森吉次郎は、この大垣出身で「大垣輪中」がある時代だった。

その数十年ほどのちに東海道新幹線大垣輪中だった地域を横断することになるとは、「木曽三川治水偉人伝」に名が残された金森吉次郎氏も想像がつかない未来ですね。

 

金森吉次郎氏についてや濃尾大震災についてあるいは森林法について、もっと知るにはどこを訪ねればよいのでしょうか。

また宿題が増えました。

大人(老年期)の宿題というのは楽しいものですね。

 

 

ということでバスの車窓からの記録をしておきました。

 

 

 

「記録についてのあれこれ」まとめはこちら

新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録はこちら

蓮についてのまとめはこちら