散歩をする 552 養老線で美濃国から伊勢国へ輪中との境界線を走る

バスで大垣駅に到着し、お隣の養老線の駅に向かいました。多度駅までは700円で、発券機で購入し、有人改札です。

交通系ICカードに慣れきっていた数年前に比べると、遠出を始めて数年、どの地域でもサクサクと乗車できるようにしっかり多めの小銭を持って歩いています。

 

乗り換え時間が迫っているとか乗降者数が多い状況だとやはりICカードの方が利点がありそうですが、遠出をするにつれて有人改札にホッとするようになりました。

鉄道の番組でも有人改札のシーンがあると「あの路線に乗ってみたい」と思うようになったのですから、人の気持ちなんていくらでも変化しますね。

 

 

養老線の車窓の風景*

 

養老線大垣駅のホームで列車を待つ間、伊吹山の美しい姿を眺めていました。

9時8分、養老線が出発です。ロングシートと2人掛け席があり、迷わず2人掛けで車窓に集中しました。

出発するとすぐに大きな工場地があって、新幹線の車窓からも見えるイビデンです。「揖斐川だからイビデンだ」と、まあ、当たり前のことに以前気づいたのでした。

 

大垣は濃尾平野の北部で西側には鈴鹿山脈が迫っているというのに、見渡す限り平地が続きます。

どこかに輪中の痕跡があるのだろうかと思いながら眺めていると、友江駅のあたりが微高地のようです。最終日に訪ねてみたいと思っていた「大垣市輪中館」の案内が見えました。

稲穂が美しく、集落ごとに神社があるのでしょうか、美しい水田地帯です。

「大外羽」と、いかにも川や輪中と関わりがありそうな地名では、堤防が見えました。

後ろの風景を眺めると、伊吹山が見えます。

ぐいと西へと大きく曲がると揖斐川の支流が何本か複雑に合流した場所を過ぎ、烏江(からすえ)駅で、周辺には屋根瓦の美しい集落が見えました。

この下流を通過する新幹線からも、木曽三川の流域にはこうした息を呑むような美しい集落と田んぼが見える大好きな風景です。

その風景は輪中の地域と重なっていることが少しずつ見えてきました。

 

稲刈りが終わった田んぼでは田おこしをしていて、トラクターの後を青鷺がついて歩いていました。今度は麦を植える準備でしょうか。

宝暦治水工事から明治の木曽三川分流工事、そして現代にいたるまでどの時代からこうして安定した二毛作が可能になったのでしょう。

 

西側の山が近くなってきて少し高台になると養老駅で、滝の水がお酒になったという話から子どもの頃に記憶に残った地名ですが、今は木曽三川をまず思い浮かべるようになりました。

緩やかな斜面に古い家並みが続き、さらにゆっくりと高台へと列車は上っていき、車窓からは低い位置に美しい田んぼが広がっています。

列車は森の中を通過し、森が途切れるとまた灰色の瓦屋根が美しい集落の美濃津屋の街が見えました。

地図では山側に津屋城跡があり津屋川が少し幅広くなっているので、この辺りもまた輪中の境界線でしょうか。

 

 

行基さんが入滅、埋葬されたお寺*

 

また水田地帯に近い場所を列車が走ります。このあたりからGPSで地図を確認しながら見落とさないようにとしていたのが行基寺です。

実際にはもっとも近づく駒野駅のあたりでは見えず、美濃山崎駅のあたりで振り返ると少しだけ見えました。

 

沿革によれば、744年(天平16年)、地方を巡っていた行基がこの地の洪水による被害を目の当たりにし、聖武天皇に懇願し人々のために建立したという。

行基は、一般的な説では、668年(天智天皇7年)に生誕し、749年(天平21年菅原寺で81歳で入滅し、生駒市竹林寺に埋葬されたとされているが、行基寺の伝承によれば、677年(天武天皇6年)に生誕し、757年(天平宝字元年)にこの地で入滅。埋葬されたとされている。

Wikipedia行基寺」「沿革」より、強調は引用者による)

 

2020年に瀬田川改修の歴史 からその存在感が大きくなった行基さんですが、地図で木曽三川流域を眺めていたときに偶然見つけました。いつか訪ねてみたいと思いながらそのままになっていたところ、2023年に放送されたブラタモリの「木曽三川」でこの行基寺が紹介されていました。

てっきり行基さんの治水や輪中についてだろうと思って観たら、濃尾傾動運動というこれまたさすがタモリさんと思うマニアックな話題で勉強になりました。

 

ちょうどお寺までの道路は工事中で、またいつか訪ねてみたいものです。

たしか濃尾平野が一望できたようですね。

 

このあと養老線はぐっと揖斐川に近づき、2019年に初めて木曽三川公園を訪ねるためにコミュニティバスに乗った石津駅です。

あの時は下車するバス停を間違えるという痛恨のミスでしたが、懐かしく思い出しながら眺めていると、発車するとすぐに参道を線路が横切っていました。どんな歴史があるのでしょう。

 

列車はまた揖斐川と少しずつ離れながらも左手は水田地帯が続く風景が続き、10時1分、多度駅に到着しました。

 

車窓の風景の散歩は終わり、ここから念願の木曽三川公園と治水神社まで約4km、そして長良川揖斐川に挟まれた輪中の地域を約1.5km、そしてさらに近鉄長島駅まで約3.1kmを歩く予定です。

どんなに川風が強くなろうとも疲労感や足が痛くなろうとも、歩き切るしかない場所です。

 

 

そして小学生の頃に初めて知った「輪中」の広さを痛感する散歩になることでしょう。

いざいざ駅の改札を出ました。

 

 

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