落ち着いた街 69 岐阜羽島から輪之内へ

最終日の計画変更を考えながらホテルの窓の外を眺めていたら、5時15分頃には岐阜羽島駅に静かに回送列車が入線していたのを見逃してしまいました。前日は退避用の線路に入っていたのに、今日は違うのも何か理由があるのでしょう。

仕事というのはこういう小さなことも標準化されるから公共性を持つし、それを個人の勝手な思い込みでないがしろにすると社会は壊れていくものだと思いながらまた眺めました。

 

うっすらと明るくなり始めた5時35分頃には誰かが運転席に入り、何か確認作業をしているようです。こうしたひとつひとつの業務を正確に確実に行うことの積み重ねで、今日も新幹線が無事にたくさんの乗客を運んでくれるのだとしんみりしながら眺めました。

そしてどんな仕事でも、一見同じことをしているようでも10年20年と続けてみると新人から達人へと全く違う視点を持つようになるので、あのホームの駅員さんはどんな段階なのだろう、そんなことも思いながら三日間ホテルの窓から新幹線のホームを眺め放題だった幸せを名残惜しく感じてぎりぎりまで外を見ていました。

 

6時40分頃には乗客がたくさん集まり始めましたが、ああそういえばと確信に変わりました。

2日間輪中を訪ねてあちこち歩きましたが、都内のように「世の中が真っ黒」と感じることがあまりありませんでした。夕方にはまたあの色調のない人混みへ戻るのかと、ちょっと気分が落ちました。

 

 

*輪之内文化会館へ*

 

8時にチェックアウトした時にはパラパラだった雨が本降りになり始めました。

8時15分の輪之内羽島線のバスに乗ると、乗客は4人で出発しました。みなさんどこまで行かれるのでしょう。どんなお仕事なのでしょうと思っていると、名神高速道路を越えてすぐの県立看護大学で全員下車し、私一人になりました。

 

ここから長良川の堤防までの左岸は、かつての桑原輪中の地域で水田地帯が広がります。

雨に煙る長良川にかかる大薮大橋を越えると、前日に高須輪中から戻るバスで通った治水神社が見えました。バスはそのまま長良川揖斐川にはさまれた場所を西へと走ります。

 

ところどころ微高地に黒い瓦屋根の落ち着いた住宅が集まり、雨の中のこうした日本家屋はまた美しいものです。

当日のメモに「鳥肌が立つくらい美しい街」と残していました。

 

2018年に久しぶりに岡山へ向かうときに、新幹線の車窓から見えた木曽川左岸の美しい田園風景に惹きつけられたのですが、かつての輪中の地域だったのですね。

いつか歩いてみたいと思っていた風景が、木曽三川中流から下流にかけてあちこちにある、それが輪中の歴史だったといえそうです。

 

ただただ水田と水路の風景ですが、途中で南へと県道219号線へ入ると通勤時間帯でしょうか、車の列ができていました。

バスの運転手さんが、終点の輪之内文化会館前から出る大垣行きのバスへ乗り継ぐのかと心配してくださったので、資料館に立ち寄るので大丈夫なことを伝えました。

 

輪之内文化会館、どんな場所でしょう。

田んぼの向こうに公園のような場所にちょっとモダンな建物が現れ、8時32分ほぼ定刻通りに到着しました。

駐車場にはたくさん車が止まっていましたが、人の気配は全く感じられないほど静かです。

 

9時の開館まで時間があります。

入り口に木のベンチがありました。花が彫り込まれていて、今までの輪中の雰囲気とも違います。

カナダ、アルバート州の友好姉妹都市から寄贈されたものだと書かれたパネルがありました。

 

2000年に贈られたベンチに腰掛けて公園の木々と雨を眺めました。

木のベンチというのは、古くなればなるほどその重みが増してくるのでいいものですね。

座っているだけで時間があっという間に過ぎて、資料館の開館時間になりました。

 

 

 

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