シュールな光景 49 怖い話

1ヶ月以上前のニュース記事ですが、ちょっと怖いなと思う内容がありました。

なぜ「怖いな」と感じるのか、その行間を行きつ戻りつ考えています。

「『ポツンと一軒家』はおもしろいけど、美化しないで」と「ある役人が言った」という記事です。

私の知人である霞ヶ関の役人の1人は、「『ポツンと一軒家』は番組としてはおもしろいのだけど、ああいう生活をしている人を美化しないでほしい。だって彼らのために生活インフラを整えるコストは半端ない。できれば、山から下りてきて街に住んでほしい。正直、中山間地域のインフラをいつまで維持できるか本当に心許ない」と言います。

 

 

年代によっては「自然の中でのサバイバル的な生活」に見えるかもしれないですが、私はどちらかというとこうして開拓してきたのかとその歴史に興味が湧いて観ています。

たとえば水源一つとっても山を歩き知り尽くさないとその場所はわかりませんし、そういう人たちが古来から山にたくさんいらっしゃったからこそ近代に入って正確に水源を確定できたのでしょうし、千数百年の治山治水の歴史には欠かせない存在だったのではないかと思います。

 

そして明治時代、ヨハネス・デ・レーケムルデルが全国の調査で歩いた頃は、今の緑豊かな森林からは想像もつかないほど木が伐採され尽くしていたことが記録に書かれています。

今ある鬱蒼とした森林は、その明治期以降、自ら林道を造り木を植え、その管理のために山の中で畑を作って生活した多くの人たちの存在があったことでしょう。

そして戦後の食糧難のために開拓し、あるいは人口が多すぎると開拓のために移転させられる人や出稼ぎに行かざるを得ない人もいたことでしょう。

 

記事の中では、人里離れた場所にインフラを整備するコストへの批判が書かれていました。

今でこそスーパー林道をはじめ公共事業による舗装道路が網の目のようにありますが、出縄地区の道路記念碑のように地元の人が道を作り自治体に寄付したという「公共事業」が1960年代にもまだまだあったようです。

道を作るのも電気を通すのも、そしてそれを維持するためにはそれを使う人たちが当然労力も資金も出している「公共事業」もあったことでしょう。

「公共事業」と言う言葉一つとっても、それぞれの地域の歴史があるはずですね。

 

そして場所によっては下流域の生活のために、上流の生活や文化を捨てさせられた歴史もあります。

 

「先祖が苦労して切り開いたから」という一言ですが、それぞれの場所の歴史を知ることができて本当に勉強になると思って観ていました。

あるいはさまざまな場所へ、開拓移民として行かざるを得なかった時代を重ねています。

 

どんな覚悟を持って、その地に住み続けているのだろう。

今までこうしたことを知る機会は限られていました。

 

「美化している」かはどうかわからないのですが、さまざまな人がさまざまな想いで観ているのだろうと思いながらその記事を釈然としない思いで読みました。

 

 

 

*ああ、よかった*

 

コンパクトシティ」に賛同するその記事とコメントに悶々としていたのですが、こんな考え方に救われました。

 

何でもかんでもケチをつけるのは嫌いだな。ポツンと一軒家が全国にそれほど沢山ある訳じゃない(だから番組が成り立つのだろう)し、目くじら立てなくてもいいのでは。

人が住まなくなると、瞬く間に国土が荒廃していく。そこに人が住んでいるから治山治水が行われて、自然災害による被害が幾分緩和されている面もあるでしょう。

番組では消滅集落の哀れさを伝えている回もあるし、自然と人間生活について様々なことを考えるきっかけにもなっていると思うけど。

ある程度は同意だが基本的には元々集落がありインフラはその時に整えたものが大半。

舗装なども集落に続く道などは個人で直しているところもある。

戦後にそこへ入って開拓した人の子孫も結構出ています。

終戦後に住むとこ無いから何もない山の中へ行け!と言っておいて、今になって、過疎化して金食い虫なお前らは邪魔だから出ていけか。

時が経ち、事情が変わったから仕方ない部分もあるが、なんかスッキリしない。

コストと言うけれど、その方が手掛けた回りの小道や畑など、良いとおもっているから、みんなもみている訳です。

なんで、国の役人が草刈りもしたことない人が、コストがかかっているとかいうのは、ほんとに貧しい発想です!アルプスに住んでいる人や、小島に住んだり、良いでは有りませんか。そんなことをいっているから、中国や大金持ちの外国人に、島やら山やら買われて日本は、無くなるかもしれないのに‥

 

ああ、よかった。まともな意見もありました。

 

コスト、コストと政治家や官僚が言うのはほんと怖い話ですし、ましてや災害にあった方々にそういう言葉を投げかけるのはほんと怖いと思う社会です。

 

自分には天変地異も起こらないし為政者の胸三寸でどこかへ移動させられることなんてない、自分は安全な場所に生きていられるはずという根拠のない自信でしょうか。

怖いですね。

 

たぶん、そういう声が大きくなる時には多くの人がそういう考えなのかと思うと案外と違っていて、世の中が求めているわけでもない方向が広がることがしばしばありますからね。

今も、国内でお米を購入しにくい状況で米を輸出し、そして国民が食べる分は早く輸入しろというようなつじつまの合わないこともその一つ。

 

「農家の保護政策はやめて米の自由化を」と言っていた時代も、本当はどれだけの人がそれを求めていたのだろうと思い返しています。

こういうふわりと社会の雰囲気が変わる場面に、最近は敏感になってきました。

 

 

 

 

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