水のあれこれ 408 「水のはけぬ川」と「土佐市 100年の大計」

地図では、JR土讃線から3kmほど離れて四方を山に囲まれ、仁淀川両岸に東西に長細く平地が描かれています。

遠出に出かける時の私の交通手段は鉄道なので、今回の計画を立てる時に、バスしか公共交通機関のなさそうだった土佐市は最初目に入っていませんでした。

 

 

ところが「蓮池」に惹かれ、さらに眺めていると「鎌田井筋」があることから俄然この目で見てみたくなりました。

地図をしげしげと眺めているうちに仁淀川右岸に西から東へまっすぐ流れる波介川(はげかわ)に、これまた南北から垂直に川が何本も合流している様子に、山に囲まれた盆地は湿地だったのではないかと気になり実際に見てみたいと思いました。

 

 

結局、時間切れで蓮池や波介川の近くも見ることはできなかったのですが、帰宅してから「盆地」と思っていた場所は、高岡平野と呼ばれていることを知りました。そして仁淀川大橋を渡る時に見えた大きな水門の歴史につながりました。

 

 

*実際にどんな地形なのか*

 

頼みの綱のWikipediaには高岡平野も波介川も説明がないのですが、「波介川河口導流路の整備効果について」(四国地方整備局 高知河川国道事務所 調査課)が公開されていました。

 

その中に波介川とその周辺の地形が描かれています。

 波介川は、一級河川仁淀川下流部で合流する右支川であり、流域面積73.3㎢、幹川流路延長19kmで、流域内には土佐市街地を含む約3万人が居住している。

 波介川の旧合流点から、8km付近までは、仁淀川本川の氾濫堆積物で出来た自然堤防が形成されており、それより上流は後背湿地であるため、下流よりも上流の方が地盤の低い、「低奥型地形」を呈している。また、洪水時には波介川よりも仁淀川本川の水位が高くなることから、仁淀川の背水影響を受け、過去幾多の浸水被害を被ってきた。

(強調は引用者による)

 

行く前に地図で眺めていた時には、バス停を降りたあたりから蓮池そして波介川に向かって低地になっていくと想像していましたが、川へ向かって低くなるだけでなく「上流へ向かうほど低地」だったとは。

実際に歩いてみたかったと、返す返すも残念です。

 

 

*「波介川流域の既往浸水被害」*

 

「波介(はげ)川」の名前の由来と、過去の 洪水被害についても説明がありました。

 

 波介川は、その地形的特性により古来より水の「はけぬ」川と呼ばれ、過去幾多の洪水被害に見舞われてきた。

 

あちこちの水田を訪ねるようになって、「米どころ」と言われる地域でさえ半世紀ほど前はまだ排水との闘いだったと知ることになりました。

 

 特に昭和50年8月の台風5号では、仁淀川本川計画高水位を通過し、さらに波介川合流点直上流部の堤防が決壊したため、本川水位の高い状態が長く続き、吐け口のない波介川の氾濫水は、比較的標高の高い土佐市市街地中心部まで溢れ、都市機能に破滅的な打撃を与えている。波介川流域内では、屋根上、軒下浸水などを含み浸水家屋数3,354戸、浸水面積1,590haの甚大な災害を被っている。

 

1975年(昭和50)、ちょうど高校生になった頃でしょうか。ニュースで耳にしたのかどうかも記憶にないのですから、ほんと災害とは無縁と思いながら生きていたのでした。

 

もし記憶にあったとしてもきっと地図を見て、「仁淀川の氾濫」くらいにしか理解できなかったことでしょう。

そこに西から東へとまっすぐ合流する「水のはけぬ川」の存在を理解できるには、あまりにも物事を知らなさすぎました。

 

この昭和50年の水害を機に整備されたのが、バスの車窓から見えた大きな水門のようです。

ただ、まだ排水については解決しているわけではないようです。

 この昭和50年台風5号災害の激特事業によって、旧合流点より約2km上流に逆流防止水門が昭和55年に整備され、仁淀川本川からの逆流被害については解消された。しかし、本川水位が高くなると水門が閉鎖され、その間における波介川流域からの流出量は全く排水できないことから、以降も波介川内水による浸水被害が頻発している

(強調は引用者による)

 波介川の治水方策は、仁淀川本川水位が高い状態においても波介川流域の洪水に対処できるよう、合流点を河口付近に付け替え、計画全量(900m3/s)を海に放水する河口導流路方式を採用している。

 波介川河口導流路の新河道は、仁淀川の狭窄部に影響を及ぼさず、かつ優良農地である堤内用地の犠牲を極力少なくするよう配慮した。その概要は河床幅70m、法線幅120m、河床勾配1/10,000で、延長L=約2,500mである。

 環境面では、新河道の掘削による塩水遡上を防止するため河口部に潮止堰を設け、また、従来の合流地点環境を極力改変しないよう、旧合流部付近に堰と水門を設け、平常時と洪水時の流向を制御している。

 

地図では波介川が仁淀川に直接合流しないで、2本の川のまま土佐湾へと流れています。

不思議な場所だなと思った理由がこの資料でわかりました。

 

 波介川河口導流路は『土佐市 100年の大計』と言われたほど土佐市の流域住民にとって悲願の事業であった

そのため、波介川河口導流路の効果については特に関心も高いため、管理者である国土交通省としても今後も波介川河口導流路の整備効果について迅速かつ的確に広報していく必要があると考えている。

(「5. おわりに」、強調は引用者による)

 

 

「排水させる」

かんがいだけでなく排水も大事で、長い長いその歴史を知らなさすぎました。

 

 

*おまけ*

 

この河口まで仁淀川と波介川が続く不思議な場所のそばにある干拓地を訪ねてみたい、美しい仁淀川を眺め、そして河口から雄大土佐湾の風景も眺めてみたいと夢想していた時に、移住者とその建物の所有者とのトラブルでその地名が全国版のニュースになりました。

なんとなく、移住者に対して閉鎖的といった雰囲気にしたそうなニュースだなあと感じましたが、個人のトラブルだったのかもしれないし事実はよくわかりません。

でも移住する側はどれだけその地域の歴史を知ろうとしたのかな、「風光明媚だから」「住みやすそうだから」「移住して人口を増やすことに貢献した」ぐらいだったとしたら認識の差は大きいだろうなと。

 

今まであまりにも農業の要であった水路の歴史を学ぶ機会がなさすぎたのではないか、だからそうした先人の苦労の遺産にあぐらをかいたような話が増えているのではないか。

そんなことを思うことが増えました。

 

 

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