10時43分窪川駅始発のJR予土線宇和島行きに乗りました。別名しまんとグリーンラインだそうで、その名前の通り愛媛県の県境近くまで四万十川沿いに走ります。
一度乗ってみたかったのでした。
一両の気動車で、宇和島駅まで2時間40分ほどの車窓の散歩です。
私以外にもう一人の女性と数人ほどの男性を乗せて出発しました。車内はロングシートで、風景を見るためには体をひねりつづけることを覚悟しなければなりませんね。
でも四万十川を眺められるのであれば、そんなことも苦になりません。
先ほどの羽の田んぼが見えました。真冬だからでしょうか、予想よりも少ない水量の四万十川沿いに列車が走ります。
じきに圏外になりどこを通過しているのかわかなくなりましたが、列車が赤信号で停止したので、あの地図のループ状の場所に入ることがわかりました。
そして車内の男性軍の、なんとなく静かな興奮が伝わってきました。みなさん「鉄」のようです。
上越線のループでは上りと下りが別の場所を通るためでしたが、ここはぐるりと廻る間に予土線と宿毛(すくも)駅へ向かう土佐くろしお線が分かれる場所のようです。
GPSが圏外になりしかもトンネル内なのでどんな構造かわからないまま、再び明るいところに出ると家地川駅で、再び近づいた四万十川沿いに田んぼが広がっていました。
もう一人の女性は地元の方のようで下車されていきました。
蛇行する四万十川に近づいたり離れたりしながら、あの有名な沈下橋も見えました。
このあたりから四万十川は流れを北へと変えるので、山へ入っていくのに川の流れは下流への流れなので、なんか変な感じです。
山深い場所なのに、田んぼが整然と存在感があります。
春から秋の風景も見てみたいものです。
途中土佐大正駅で20分ほどの停車時間がありました。この時に改めて前方から列車を眺めて、0系新幹線を模した車体だったことに気づきました。懐かしい子どもの頃の丸鼻の新幹線です。
11時38分、同じ顔ぶれの乗客に地元の男性が一人増えて出発しました。
繰り返し蛇行する四万十川沿いに北西へと走り、十川駅のあたりから南西へと向きを変えてようやく下流へ流れていく感覚とあってきました。
少しずつ川幅が広くなりゆったりとした四万十川になったあたりで、西へと向きを変えると四万十川から離れ支流の広見川沿いへと入りました。
ここから河口までは、自家用車がないと見ることができない区間なので、一生その機会はなさそうです。
四万十川を知ったのは、野田知佑氏の本で「本流にダムがない日本で唯一の川」として知りました。
ゆったりとカヌーで下る描写に東南アジアの熱帯雨林の中を悠々と流れる川が重なり、当時活字中毒だった私は図書館で氏の本を見つけてはまったのでした。
以来、いつかその流れを見てみたいと夢にみていたのでした。
*四万十川の複雑な流れ*
「本流にはダムがない」というだけで、なんだか四万十川がどのあたりをどのように流れているのかわかった気になっていました。
「高知県のあのあたり」といういい加減さに気づいたのは、パソコンをMacに変えてそれまで以上に地図を眺めるようになった時期でした。
源流はどこだろうと地図をたどると、想像していたよりもはるかに東側で、しかも仁淀川の支流とそれほど離れていない場所に分水嶺があるようです。ここまでたどるだけでも何度も見失いそうになりましたが、さらに中流から下流は複雑です。
予土線のおかげで、中流域の流れは見失わずに済んだ感じですね。
いつか車窓から見てみたいと思っていました。
*四万十川のトリビア*
河口は四万十市なのでそれで四万十川というのだろうと思っていたら、全く違う歴史がありました。
清流2つの名前
河川法上では1928年から1994年まで「渡川(わたりがわ)」が正式名称だった。「渡川」の名称は古来関係の深かった九州に向かって「向川(現在名:中筋川)」「渡川」を渡って中村(四万十市)の市街、その後ろに「後川」という位置関係が語源となっており、「四万十川」は渡川上流部の支流四万十川と中流部の支流十川を指す名称であった。
1896年(明治29年)の旧河川法により、1929年(昭和3年)11月1日に「渡川」を法律上の公式名称に採用。1964年(昭和39年)の新河川法でも「渡川」だったが、1994年(平成6年)7月25日に「四万十川」と改名された。河川法の一級河川名称変更は初めてで、これは「四万十川」が「日本最後の清流」として全国的に有名となり認知されているという実情によることが大きい。
なんと、「四万十川」を知った頃に、渡川から四万十川に改名していたとは。
川の名前の歴史一つとっても、正確に知るのは大変ですね。
航空写真に切り替えてみると、河口付近まで「羽」の部分には小さな田んぼがあることが見えます。
川沿いのこの田んぼを見てみたい。いつか願いは叶うでしょうか。
*おまけ*
四万十川は本流にダムがない川と聞いた記憶があるのですが、Wikipediaを読むと発電ダムがあるようです。
ちょうどループのトンネルを抜けて目の前がひらけた家地駅のあたりで、航空写真で確認すると確かに堰堤と取水口が見えました。
不入山から流れ出た川は、山間を縫いながら周辺の小川を集めてだんだん太く大きな流れになってゆく。山清水を集めた川は清流の名にふさわしい透明な水をたたえて窪川盆地に入る。窪川盆地では周辺の田圃を潤すが、窪川駅近くでは四万十町内の下水道が流れ込み、清流とは言いがたい状態になる。その後、四万十川は四万十町家地川の佐賀堰堤(通称家地川ダム、1937年竣工)という発電用ダム(堤高8.0メートルと小規模で、魚道も整えられていることから正確には堰堤)で水の半分近くを抜かれてしまう。特に上流の水量が少ない時期はダム直下の川底から水が消えてしまい、川が無くなることもある。→ダムの水は黒潮町へ流れる伊与木川(伊与喜川)へ放流されている。ただ、このダムの存在により、四万十町の下水を含んだ水がほとんど下流に流れず、下流域の清流を保っている要因となっていることも事実である。
いろいろなトリビアを知ることができました。
「水のあれこれ」まとめはこちら。