JR予土線が四万十川本流を離れ、支流の広見川に沿って宇和島へと向いました。
当日のメモはこんな感じ。
江川崎、支流の広見川へ。このあたりの四万十川、川幅広くゆったり。列車は信号待ちで2分停車。外の冷気。
もう少しで県境。西が方、高知県最後の駅。ため池。対岸に立派な家。ゆっくり下り、橋の手前で県境。
森の中の切り通し。高知や愛媛は沿線に滲み出る「沢」を見かけない。
真土、美しい家屋。家の前まで坂。屋根に魚の鴟尾(しび)。蝋梅が咲いている。羽に田んぼがある。蛇行した川の対岸へ。
吉野生(よしのぶ)駅、ひらけて田んぼ。美しい家が残る。信号待ちで2分停車。田んぼと神社。広い水田地帯と暗渠の水路。
松丸駅。賑わっている。落ち着いた街。ここからまた山あいへ、ため池。森を抜けるとまた羽に田んぼ。
出目(いずめ)駅。ここから高月山の周囲をぐるりと回りながら宇和島へ。
近永駅、行き違い列車待ち合わせ7分停車。
深田駅、川を中心に田んぼ。集落は山側に。「深田」おそらく「湿田」の意味か。
深田の先も美しい田園風景が続き、田おこしをしている。整然、水路沿いに桜が何本か植えられている。
大内駅、山側にため池。水源はどこからか。たんぽの一面薄緑色は何がうわっているのか。
二名(ふたな)駅。広い農村地帯。美しい集落。灰色の瓦屋根。
伊予宮野下駅。地元の乗客がぼちぼち乗車。
務田(むでん)駅、黒い瓦屋根。
沿線の美しい集落や田んぼを追っていくうちに、あと二駅で終点の宇和島駅です。
帰宅して改めて地図をみると、この務田駅と北宇和島駅の間が四万十川水系と、宇和島市内を流れる須賀川の分水嶺のようです。
四万十川支流の広見川の概要を読むと、「延長50km」とありました。
谷底平野が発達し、稲作が行われている。また河岸段丘の発達が観察される。
1944年、1945年には洪水に見舞われたことがある。
かつては、水資源に恵まれない宇和海側地域への分水の構想もあった。
Wikipediaの説明を読むだけでも、川に沿ってたどってみたくなりますね。
松丸駅と出目駅の間で広見川本流は北東へと分かれ、県境に並行しながら山間を流れているようです。
四万十川の流域は支流を合わせるととてつもなく広いですね。
列車は森と竹藪を通過し、北宇和島駅の手前で北から来る伊予線の線路と合わさりながら13時29分に宇和島駅に到着し、四万十川沿線の散歩が終わりました。
宇和島駅か八幡浜駅のどちらかに泊まってみたいという計画もあります。
海のそばの暮らしはどんな感じなのでしょう。
そして、地図をみると豊後水道を隔てて大分側とまるで合わせ鏡のようにリアス式海岸でしょうか、似たような海岸線が描かれていることがずっと気になっていました。
そして細長く伸びた佐田岬半島の先端から船で大分に渡ってみたい。
あれこれ妄想の旅をしています。
そしてこの地域を地図で見るたびに、日本の沿岸で干拓地にできる場所というのは本当に限られているのだと、なぜか思うのでした。
*宇和島から松山へ*
本当は各停を乗り継いでのんびり途中下車したいところがあるのですが、1月下旬の日没はまだ早いですから、ここからは特急を乗り継いで伊予西条へと向かいます。
13時59分の宇和海18号が出発するまでの30分、宇和島城から宇和島水産高校のあたりを歩いて宇和海を見てみたいと欲張った計画でしたが、ちょっと疲れがたまりお腹も空いたので駅構内の車止めを眺めながらおにぎりを食べました。
行き止まり線の醍醐味ですね。
宇和島駅を出発した宇和海18号は、小さな川に沿った田んぼやため池の風景を過ぎていきます。山あいに入りましたが、あの吉野川の土讃線のように首が痛くなるような急斜面にみかん畑が整然と続いていました。
本当に田んぼを始め全てが整然としているのが日本の農業の風景ですね。
遠出を始めるきっかけになった2018年の西日本豪雨ですが、大きな被害を受けたみかん畑は宇和島でした。
水害だけでなく渇水もまたみかんに大きな影響を与えるようです。
伊予石城あたりで広大な田んぼが広がり、周囲にぐるりとため池があるのが見えました。
歩いてみたい風景が続きます。双岩駅のあたりで、それまでの小さな穏やかな川とは違って、久しぶりに水飛沫の見える川が車窓から見えました。
また見上げるようなみかん畑がずっと続きます。八幡浜駅の周囲もみかん畑でした。
列車はぐいと北東へ向きを変え山あいを走り、ふと開けると大洲城と肱川がゆったりと流れる風景になりました。
肱川の水源は南東の高知県との県境のあたりだろうと勝手に思っていたのですが、Wikipediaの肱川(ひじかわ)を読むと意表をつく流れ方でした。
Jの字に八幡浜のあたりから流れ、車窓から見えた伊与石城あたりの川は肱川で、ぐるりと弧を描いて伊与大洲へ向い最後は瀬戸内海へと流れ込むようです。
いやはや四国の川というのは、中央部の山中に複雑な分水嶺を生み出しながら流れているのですね。
そしてここ大洲も2018年の西日本豪雨で大きな被害が出た場所でした。
伊予大洲駅からは海線が分かれています。いつか瀬戸内海沿岸を眺めてみたいものです。
今回は山線に乗りましたが、伊予大洲駅を出て山あいを抜けるとひらけた内子の街が見え、今度は肱川支流の中山側沿いに進みました。中山川は水もきれいで水量が多いようです。木製の屋根付きの橋が見えました。
ぽつりぽつりと立派な家や田畑が見えます。伊予中山の手前に棚田がありました。トンネルに入り圏外となりマップを拡大できなくなりました。
トンネルを抜けるとひらけて蛇行する川や美しい集落が見えます。海が近づいている感じのする風景です。灰色の瓦屋根が美しく、麦畑やため池、水路が見えます。
途中から高架になって、15時18分に松山駅に到着しました。
*松山から伊予西条へ*
15時28分に出発するしおかぜ24号に乗り換えです。松山も子どもの頃に家族で泊まった記憶があります。路面電車にも乗りたいのですが、今回は先を急ぎます。
伊予和気から堀江のあたりまで山側にため池。
海側へ。瀬戸内海沿いに伊予北条のあたりまで落ち着いた街が続く。
大浦、浅海、美しい瀬戸内海と灰色の屋根瓦が続く。
突然工場が出現、石油。伊予亀岡駅で行き違い待ちのあと、今治市へ。
小さな川も美しい。沿線の屋根の向こうに瀬戸内海が見える。海が見える場所に墓地がある。
田んぼや木造の倉庫。
船が見え大西の造船所。集落美しい。
列車はぐいと北へ向きを変えていよいよ前回訪ねた場所へ。波方のため池から水田地帯を抜けて、今治のドッグとしまなみ海道の橋が見える。
右側から西日が入り、また方向感覚がおかしくなる、
田んぼが広がり、今は麦で緑色。
伊予桜井、細長く続いた街並みと田んぼを抜けると燧灘。
西日の光の加減で中央構造線の山々が遠く見える。
まさか8ヶ月後に、伊予桜井のあたりを心痛めながらニュースを追うことになるとは思ってもいませんでした。
16時27分、伊予西条駅に到着しました。もうじき日没ですから急がなければ。
さっそく、あの場所を目指します。
加茂川の伏流水が湧き出るほたるの泉に沿って図書館までの遊歩道です。
昨年7月は水量の多い流れでしたが、今回、真冬のためか水は少なかったのですがあちこちから水の音が聞こえ、心洗われる場所です。
冬桜がちらほらと咲いていました。
人生でもう再び見ることはできないだろうと思ったのに、半年後に訪ねてしまいました。
振り返ると石鎚山が見えるはずです。雪を抱いた姿を楽しみにしていたのですが、西日に反射するかのようにうっすらとしか見えませんでした。
いよいよ明日は燧灘(ひうちなだ)を眺めながらあの干拓地を歩きます。
土佐から伊予へ、長い長い鉄道の散歩の1日が無事に終わりました。
車窓から歩いてみたい場所が次々と増えてしまうのが困りますね。
「散歩をする」まとめはこちら。