記録のあれこれ 213 「美田を拓く」

昨年断念した嘉母神社から先の堤防沿いの集落へと入りました。

堤防下の水路と土手、そして家並みが美しく、どこからか花の香りが漂ってきます。

1950(昭和25)年ごろでもまだ燃料の薪の確保が大変だった生活だったことが信じられないような、落ち着いたどっしりとした家々です。

今回は、嘉母神社より西側から、干拓地を斜めに横切るように伊予氷見駅方面へと歩きます。

 

真冬の田んぼは茶色一色ですが、水路の水はきれいで水を眺めているだけで疲れが吹き飛びそうです。

てくてくと広大な干拓地を歩いていると、「水路当番札」がありました。いろいろな作業があるのですね。

あいおい橋と書かれた水が滔々と流れる幹線水路を渡ると、この辺りの水田はパイプラインで送水されているようです。

少し風が出てきました。午前中早い時間に堤防を歩いて正解でした。

 

西新開橋を超えたあたりで、何か石碑が見えました。11時35分、3時間ほど休みなく歩いたので、干拓地のど真ん中で石碑のそばにベンチが見えたときには疲れすぎて幻を見たのかと思うほどでした。

 

 

*橘新開の歴史*

 

「橘基盤整備広場」で、大きな石碑には「圃場整備完成記念 美田を拓く」と彫られています。

 

 基盤整備の経緯

 

橘新開は、元和年中(西暦一六一五年)に干潟を利用し、干拓工事で造成したものと伝えられる。その後、大正八年から十年をかけて耕地整理がなされたが、中央を流れる前神寺谷川(旧江川)が蛇行しているため、地形が悪く、また排水不良のため台風時には冠水し、多大な被害をもたらしていた。また、昭和40年代からの高度成長に伴って農業の近代化が急速に進み、基盤の整備が切実なものとなり再三話題にあがったが色々な問題があり留保されていた。しかし、昭和五十九年度から実施された加茂川左岸の基盤整備に当地区の一部組合員が参加。その成果が各組合員に波及するとともに関係者の協力により昭和六十三年に施工同意が得られた。平成元年七月起工式が行われ、さまざまな問題解消に取組みつつ約八十ヘクタールの圃場整備、農免道路、湛水防除、排水対策、河川改修の基盤整備が平成六年九月に完成した。完成までの六ヶ年御指導・御援助を戴いた国、県及び市ご当局に対し深く感謝の意を表すると共に、変わらぬご理解、ご協力をいただいた関係者各位に対し深甚なる謝意を表するものである。我々関係者一同は、これを機に心気一転して明日の農業を希求しつつ深い感謝をこめて、この碑を建立する。

    平成六年九月     橘土地改良区理事長  難波江賀一

               圃場整備委員会委員長 金子 恵城

 

 

もう一つの石碑にはその事業の詳細が記されていました。

 

 橘地区 県営事業の概要

事業名  圃場整備事業

内容  整地    七六.九ha

    管水路   九七八九米

    排水路   四六〇一米

    道路    六六一二米

    暗渠排水  七六.九ha

事業費 九億一千五百万円

工期  平成元年度〜平成六年度

事業名 農林漁業用揮発油税

     財源身替農道整備事業

  内容  延長一三四〇米

  巾員  七米

  事業費 五億五千六百万円

  工期  昭和六十三年度〜平成五年度

事業名 湛水防除事業

  内容  排水機工  三基

         径  一五〇〇

      導排水路  二七二八米

  事業費 十五億六千七百万円

  工期  昭和五十八年ど〜平成元年度 (神戸地域を含む)

事業名 水田農業確立排水対策特別事業

  内容  排水路  七〇〇米

  事業費 九千九百万円

  工期  昭和六十三年度〜平成三年度   

 

 

1988(昭和63)年頃というのは、1970年代からの米余りや自主流通米制度への大きな変化そして農産物輸入自由化の流れで、国内産業を補助金で保護することに反対する機運が高まっていた時代でした。

 

なかなか時代の雰囲気に逆らうというのは難しいものですが、そういう時代にも農地を整備し水路を粛々と整備してきた上に、こうして記録が残されていることが本当にすごいと思う今日この頃。

農業土木技術というのは、食糧というまさに命の糧を生み出すために大昔から失敗を乗り越えてきたのですからね。

 

 

今年の1月下旬は、米不足への不安もありつつ農業への社会の関心も深まるだろうと楽観して、ベンチから広大な干拓地を眺めたのでした。

まさに美田なり。

 

 

 

*答えは他の国との競争ではなく、国内の需要と供給の安定*

 

 

ところが1ヶ月もしないうちに、まさかの安く米を輸入しろとか何でも農林水産省やJAのせいといった雰囲気に急転直下の変化です。

数年前だと私も「農業政策のせい」と簡単に思ってしまったかもしれません。

自分自身が「病院のお産は優しくない」という過度の一般化と闘ってきたはずなのに、他の分野となると信じそうになりますからね。

 

各地の田んぼや水路を訪ねて見かけるこうした石碑を読むようになって、それぞれの地域のそれぞれの葛藤と、国や自治体も含めた解決への努力を知ることとなりました。

 

農産物を他国と競争させるのは似つかわしくないと思えてきました。

おにぎりのお米と海苔のように、高い輸送費をかけて遠くの国と取引しながら安く売られ国内では価格が暴騰して食べられなくなるという矛盾はやめて、「珍しい贅沢品」として限定輸出で良いのではないでしょうか。

国内で、過不足なくみんなが適正な価格で購入する、自然の影響を受けやすい農産物には国(国民)が補助をする。

必要があれば適正な価格で海外からも購入する。

それがより良い姿のような気がしますし、今回の「米騒動」の答えのような気がします。

この半世紀ほどの「失敗」を繰り返さないように。

 

 

一旦、口が贅沢にならされたヒトの欲望はどこまで行くのでしょうか。

そしてものを移動させるだけで莫大な利益を得る人たちの存在は、本当に人類を幸せにするのでしょうか。

 

 

 

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