橘新開耕地記念広場のベンチで休憩させてもらえただけでなく、思わぬ歴史の勉強になりました。
氷見新開から念願の禎瑞新田の堤防をぐるりと歩くことができ、JR予讃線の線路が近くに見えてきました。
ここからは線路の南側、あの衝立のように中央構造線の山が迫ってくる地域を歩きます。
車窓からは干拓の平地から突如、山が始まっているように見える場所で、かつては海岸線だったのだろうと思われる場所です。
山から干拓地に流れ込む小さな川をたどって、氷見地区を歩いてみることにしました。
*線路を越えると別世界*
踏切を渡ると、国道11号線の猪狩(いがり)橋のあたりから南側へは緩やかに上り道になり、小さな川なのに深いところを流れていて突如として渓谷のような趣になりました。
竹藪があり、水音が聞こえてきます。
川のそばの家の住人でしょうか、土手に座って水面を眺めていらっしゃいました。うらやましい暮らしです。
さらに別の小さな川との合流点に、鬱蒼とした森の中に地蔵堂と公園がありました。
電柱に「人生も あゆみも焦らずゆっくりと」と書かれています。ほんと、そうですね。
静かな誰もいない公園の横から川沿いに歩くと、左手に竹藪を見ながら緩やかに先ほどよりも浅い場所をきれいな水が蛇行しながら流れています。
ふと目の前が開けると、まっすぐ緩やかな坂道の先に遠く山並みが見えました。
車窓からは衝立のように山がすぐ近くに迫っているように見えたのですが、実際は起伏のある場所が間にあるようです。
小さな田んぼが段々に作られ、川の中には1月下旬だというのに青々と水草が生えています。
ほんの数百メートル北側には広大な干拓地の水田が広がっていることが信じられないような、別世界に入りました。
緩やかに坂道を上ると瓦屋根の美しい家と新しい建物が混じり合う道沿いに、「清酒 石鎚」と看板のある工場がありました。ああ、飲んでみたものです。
横の道を入ると工場の裏手は瓦屋根と木壁の昔ながらの蔵の敷地が続いていて、そのあたりからなまこ壁や灰色の瓦屋根の家々が続いています。ふと、祖父母の家のあたりを歩いているような錯覚に陥りました。
「森家住宅」が保存され、その先には「番外霊場水大師堂」「四国の道」の案内があったので迷わず曲がってみると、地図にはない湧水と祠がありました。
「夏遍路 喉をうるほすお加持水」と石柱が立っていました。お遍路さんの四国ですね。
*池の輝かしい歴史の碑*
その先の角に東屋のある小さな公園がありました。午前中からずっと歩いているのでちょっと疲れました。
しばらくその住宅地の真ん中にある公園で休むことにしました。
どなたかの住まいを公園に寄付したのでしょうか、隅に何か石碑があります。
遊園地の経緯
この遊園地は元覚法寺大池でその南遊園地は小池であり覚法寺創立と同時に慶長二年住職に依り築造されたと記されている。覚法寺史料によると四百有余年に亘り農業用水として地域に大きな貢献をし関係者は池保全水路の改善に最大の努力をしたが遂に及ばず平成五年輝かしき歴史と共に終末を迎えた。
地権者一同心から感謝の念を捧げます。
一、池の面積 大池 八五四平方米
小池 二五八平方米
一、平成五年西条市の要請により地権者一同これを承諾し貸与が決定した。
一、平成五年八月 契約文書交付。
一、平成六年三月十日 土地使用貸借書に調印。
一、平成六年〜七年に亘り遊園地の工事が完了した。
一、この遊園地が世の中のお役に立ちますことを願って完成を機に地権者一同茲に碑を建立する。
平成七年十二月吉日
池と水路がどんなに大切なものだったか、そしてそれを「世の中のお役に立ちますことを願って」という一文に、不覚にも泣きそうになりました。
その先に小さな水路が家の間を流れていて、蝋梅の香りが漂っていました。
公園に入った時に足元に違和感を感じたのは、どうやら暗渠の上だったからでしょうか。
緩やかに坂道を下り、また国道11号線へと戻りました。北側には干拓地が広々と広がっています。
実際に歩いてみないと、地図だけではわからない別世界を見たような気がしました。
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