私が20代半ばの1987年(昭和62)に国鉄分割民営化によって、「国鉄」から「JR」になりました。
思い返せば当時のニュースというと、国鉄最後の時期のものでした。
「親方日の丸の事業」とか「民間に比べてサービスの悪い鉄道」そして「労働組合運動が活発」といったイメージのことばかりだったような気がします。
たしかに「民営化」後は実家の近くの駅舎もちょっとおしゃれになって、父が「JRになって駅舎がよくなった」と言っていたので、時代はJRになって良くなっていくのだろうと思っていました。
ところが十河信二記念館のパネルに、「歴代の国鉄総裁のなかでももっとも国民から愛された存在」「十河は総裁に就任すると『国民の国鉄』を構想して利用者へのサービスを強調した」とありました。
そういえば、小田急ロマンスカーの前身の特急が戦時の迂回路だった国鉄御殿場線への乗り入れで観光化を図ったのも国鉄時代でしたし、次々に各地への特急も増えて利便性や快適性も良くなっていった時代でもありました。そして新幹線の整備はまさに「利用者へのサービス」という意図があったからこそだったと、パネルを見ながら思い返したのでした。
もし私があと10年早く生まれていたら、国鉄のイメージがもっと違っていたかもしれませんね。
*「国有鉄道」は「独立採算制の公共事業」であった*
1987年の「国鉄民営化」というのはそれまで国が直接経営していたものが、経営を国の歳出から独立させた意味だと受け止めていました。
ところがパネルの中に、「日本国有鉄道は1949(昭和24)年6月1日、鉄道院、鉄道省以来政府の直営であった国有事業の経営効率化を目的として特別法によって設置された特殊法人である」と書かれていました。
「政府の直営であった国有事業の経営効率化を目的として特別法によって設置された特殊法人である」
「国鉄からJR」への意味かと思ってしまったのですが、「国鉄」とは直営という意味ではなくむしろ国鉄の発足時点で直営ではなくなっていたのですね。
私のイメージの「国鉄」って何だったのだろうと驚きました。
改めてWikipediaの「日本国有鉄道」を読みました。
経営形態は政府が出資する公社(特殊法人)であり、いわゆる三公社五現業の一つであった。職員は公共企業体労働関係法で規定される国家公務員である。
たしかに当時「三公社五現業」は、すべからく民営化をという雰囲気でした。
1872年(明治5年)の鉄道開業以来、国営事業として鉄道省などの政府官庁によって経営されていた国有鉄道事業を、独立採算制の公共事業として継承する国(運輸省、現在の国土交通省)の外郭団体として、戦後の1949年(昭和24年)6月1日に発足した。
1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、政府出資の株式会社(特殊会社)形態であるJRグループ各社および関係法人に事業を継承し、日本国有鉄道清算事業団(1998年<平成10年>10月22日解散)に移行した。
国鉄が「独立採算制の公共事業」というのはどういうことか、「概要」に書かれていました。
資本金は約89億円。このうち49億円は公共企業体移行時に国有鉄道承継資産総額から国有鉄道事業特別会計の負債を差し引いた残額で、40億円は政府が対日援助見返り資金から出資したものだった。公共企業体後は政府から追加出資が行われなかったため、設備投資は日本国有鉄道の自己資金と借入金で賄った。
「税金で運営されている国鉄」だと思っていたのですが、これだと私鉄とどう違うのでしょうか。
この行間を読むだけの知識が全くないのですが、素朴な疑問が出てきました。
*私設から国有へ、そして民営化へ*
あちこちを訪ねるようになって鉄道の恩恵に預かるようになり、それぞれの地域の鉄道の歴史を知る機会が増えたのですが、鉄道の歴史について私は大きな勘違いをしていたと思うようになりました。
越後本線はもともと個人の力で開業したことを知り、こんなことを書きました。
1987年の「国鉄分割民営化」というのは、「国有だった全国に網羅された鉄道を分割した」のだとばかり思っていました。
数年前から全国の鉄道を利用するようになって、こうした「一素封家が心血注いで開通させた鉄道」が各地にあり、それを国有化した歴史があったことに初めて気づいたのでした。
あるいは借金を覚悟に経営してきた近江鉄道のような私鉄が、日本の鉄道網や産業や地域の発展を支えてきたのだ、と。
1906(明治39)年の「鉄道国有法」の経緯を読むと、日本に鉄道が敷かれて以来「国有論」と「私設民営」の議論があったようです。
ただし、1944年の戦時買収で国有となった鉄道が、戦後は赤字路線として切り離されていったことも忘れてはいけないのかもしれません。
そして戦後の「国鉄」と「民営化されたJR」は全く違うと思い込んでいたのですが、その資本は「株式」を取り入れたかどうかぐらいの違いにしか読めないのですが、いったいあの時代の雰囲気はどういうことだったのだろう。
ああ、そうか、私の大きな勘違いは「国鉄」は「国営鉄道」だと思っていたけれど、「国有」だったのだ。
そして戦後「国有鉄道」になった時点で、いつかは民間のあるいは外国の資本へと手渡す準備が進められていたのだ、と。
その後の郵政民営化とか年金問題とか、そして現在の急に高まったJAへの批判とか、なんとなくだけれどその雰囲気が掴めてきました。
まあ、イメージですけれど、ね。
またやり残した宿題が増えました。
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