水のあれこれ 413 江戸川区の用水路を歩く

2024年に記録し忘れた小さな散歩の記録の続きです。

12月も遠出の機会がないまま過ぎていたのでどこか近場を歩こうと地図を眺めていたら、都営新宿線瑞江(みずえ)駅の東側からまっすぐ伸びる「東井堀親水緑道」が目に入りました。

 

「井堀」、江戸時代の新田開発の跡に違いありません。

そして東井堀親水緑道が旧江戸川に合流するところに、北東から「篠田堀親水緑道」もあります。ここを歩くことにして篠崎駅から戻ろうかと地図を眺めていたら、その北西に「本郷用水親水緑道」が東西に流れて「鹿堀親水緑道」に合流し、その鹿骨親水緑道には「流堀親水緑道」が合流しているようです。

江戸川区の用水路跡はすごい、と感動してここを歩くことに決めました。

 

 

*東井堀親水緑道*

 

瑞江駅は地下ですが、下車すると微妙にGPSがずれているようです。大丈夫かなと思いながら地上に出て、柴又街道を越えると突如として親水緑道が始まって「健康の道」と道標がありました。

まっすぐ水路ぞいに歩くと、轟々と水が湧き出ている場所があり想像以上の水量です。

かつては田畑を潤していたのでしょうか。

木のベンチがあったり、場所によって趣を変えているので飽きることもありません。

背の高い立派な皇帝ダリアが咲き、晩秋の銀杏が美しい季節でした。日本家屋が並び、神社や地蔵堂もあり、静かな住宅地の間をのんびりと水面を眺めながら歩いていると少し下り坂になり旧江戸川の近くになりました。

 

江戸川区のホームページに説明がありました。

東井堀親水緑道(江戸川区登録史跡 東井堀)

東井堀は、古くは農業用水や物資の輸送路として利用され、江戸川区民の生活を支えてきました。小合溜井(現在の都立水元公園内)を水源とする、上下之割用水(別名は大用水)は、新宿(葛飾区)で左に小岩井用水を振り分け、少し南下したところで東用水(東井堀)を分水していました。東井堀は、松本・鹿骨を貫き谷河内・南篠崎などを流下して、前野から旧江戸川に注いでいました。

井堀とは用水路のことで、当時の江戸川区内の村々では笹ヶ崎・上篠崎・下篠崎・上鎌田・下鎌田・一之江新田・谷河内・新堀・鹿骨・松本・興之宮・上一色の12ヶ村が利用していたと言われています。

用水路としての役目を終えた東井堀は、ほとんどが道路になりましたが、京葉道路から江戸川一丁目までの区間を親水緑道として整備しました。京葉道路から瑞江駅通りまでの区間と篠崎街道から前野排水場までの区間は「水とみどりと彫刻のある散歩道」として、瑞江駅通りから篠崎街道までは「河岸端のあるふれあいの散歩道」として完成しました。

 

*篠田堀親水緑道へ*

 

江戸川に合流するあたりに、東京都下水道局篠崎ポンプ所があり、篠田堀親水緑道はそこからVの字に折り返すように北東へと伸びています。

右手は王子製紙の工場、左手は都営住宅の間を、東井堀よりは遊歩道が広くゆったりと流れが続いています。数百メートルほど歩くと、今度は住宅地の間を流れる小さな川の趣になりました。

ここもまたさまざまな風景に変化し、水辺がよく手入れされているのがわかります。楽しい気分で歩いていると篠崎街道の手前で、忽然と暗渠になりました。

 

あとで「江戸川区立図書館/デジタルアーカイブ」「江戸川遺産」の「篠田堀コース」にこんな説明がありました。

篠田堀は昭和35年(1960)頃までは農業用水、肥料の水路などとして利用されてきましたが、その後雑排水の排水路となっていました。平成6年(1994)より親水緑道として生まれ変わりました。平成7年(1995)には「篠田堀親水緑道」は建設省の「手づくり郷土賞」を受賞しています。

「肥料の水路」、旧江戸川で下肥が運ばれて、小型の肥やし舟に移して水田へ運ばれていたこととつながりました。

 

 

 

*川がきれいになり、堀が蘇る*

 

 

そして「水べはゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」が一般的だった社会もそう遠くはなく、その後下水を処理した水が都市の美しい水辺を作るマジックによって風景が劇的に変わったのでした。

 

 

この日は、このあと本郷用水緑道から鹿骨用水緑道沿いを歩き、途中からバスで瑞江駅へと戻りました。

ほとんどが住宅地でしたが、用水路が残されているおかげでこの地域の昔を想像できました。

 

何の資料かわからなかったのですが、国土交通省の「江戸川区内の親水公園、親水緑道の概要」には5箇所の親水公園と18箇所の親水緑道のリスト、そしてこんな説明がありました。

これらの親水公園・緑道では江戸川・旧江戸川・新中川などの自然水を水源とし、取水管により引き入れている。そして地盤が平坦なため、川の水深が深くなると、その水をポンプアップしながら水路に流し、最終的には流末の大河川に直接排水している。また流末に大河川がない場合は、水路下に敷設した導水管を使用し、水を循環させている。

 

なんとすごい事業でしょう。公園や親水緑道を維持できるというのは豊かな国だとつくづく思います。

そして30年以上たった今も、手入れがされて落ち着いた街の顔を作り出しています。

 

新田開発のための用水路が「肥料の道」になり、さらに現代では「健康の道」になる。

時代が変わっても堀は人の生活に必要なのだと思う散歩でした。

 

 

 

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