このところの物価の上がり方はすさまじいものがありますね。特にここ1~2ヶ月でまた今までより10円20円30円と上がっているので、1日の食費や日用品に支払う額が増えて消費税もまた増えました。
パックごはんなんて一気に百数十円上がり、食べる回数を減らしています。
ほんと、生きるために必要な物を買うごとに税金を取られるのはペナルティですね。
頑張って世のため人のために働いてきたのに、なんと残酷な世界でしょう。
ということで節約のためにひと駅間を歩くようになりました。節約した分を「今夜のお酒に」とか「ちょっと美味しいものに」と思っていたのですが、とうとうお酒を買うのもやめました。
私の場合まだまだやり残した宿題のために旅費が必要ですからね。
ああ、庶民はつらい。
ここ数年の政治・経済のニュースに、まるで「十の災い」のように、次から次へと手を変え品を変えてその「自由」を試されている奴隷のような時代だと、家の中にいると悶々としてしまいますね。
*「道端」の草花のすごい世界を記録する*
そんな時には散歩に出かけます。
同じ道なのに数日たつと、道端の草花が変化しています。
それで歩きながらその日に見た植物の名前をメモし、写真に撮っています。
季節の定点観測が増えてますます忙しくなりました。
少し前はまだその存在も感じられなかったのに、一気に葉が出て花を咲かせる準備ができていたり、数日前は栄華を極めていた草花がすでに跡形もなくなって別の花に置き換わっていたり。
人間の社会もそんな感じですけれど、植物の場合はまた来年リベンジできるのでうらやましいですね。
だいたい1回に十数種類の草花のメモが積み重なっていきます。
子どもの頃から知っている名前もあれば、見ていたのに名前がわからないものや最近になって急に見かけるようになったけれどまったく名前も種類も想像がつかないものなどがあります。
固く小さな蕾の塊だった紫陽花が、急に存在を示しています。
紫陽花はなじみのある花なのに、今年になって初めて気づいた種類があります。
白い花は紫陽花のようですが、円錐形になって咲いています。そして葉っぱは見慣れた紫陽花とも違います。
90年代ごろからのガーデニングブームで海外から来た花だろうと思ったら、違いました。
葉の形がカシワに似ていることが、和名の由来。花は円錐状あるいはピラミッド型に付く独自の形状をしており、5月~7月に真っ白い花をつける。八重咲と一重咲きがある。一般のアジサイとは異なり全体の印象としては木のボリュームに比し、花が少ないのが特徴。葉には切れ込みがあり、秋には紅葉する。
古くから日本にもあったが、最近、一般に出回り始めた。
すごい、数行でまさにその感じという状況を言葉で説明されています。
「秋には紅葉」、これは秋にもぼっとしていてはいけませんね。
*「道端」のすごい世界の名前や生活史がすぐにわかるようになった*
さて、この名前がすぐにわかったのはiPhoneの写真からでした。
2ヶ月ほど前でしょうか、撮った写真の下に「調べる」と表示されていて植物の名前や類似したものの写真が掲載されるようになったことに気づきました。
大体はそれで名前もわかるのですが、中にはまだまだ正確でなく全く違うものを表示することもありますから「デジタルすごい」と思うとともに、「デジタルは万能ではない」と思いますね。
それでも、以前は花の色や季節から分厚い本やネット上で検索をしていたのが、写真からわかるようになりました。
節約のために始めた「ひと駅散歩」が思わぬ楽しさにつながりました。いえ、散歩の原点に戻ったのかもしれません。
ということで、「道端」のすごい世界に今夢中です。
そして記録魔の度合いが増していきます。
残りの人生で、草花の名前やその生活史をどれだけ覚えられるでしょうか。
*おまけ*
そしてまた身近に落ち着いた街と忍耐強く築かれた現実の生活があり、庶民というのはなんだかんだといいながらもほとんどが実業(じつごう)の世界だから、政治家の迷走を乗り越えていくだろうなと少し明るい気持ちになって帰宅するのでした。
虚業で社会を動かそうとするような政治家はそのうちに一掃されるといいですね。
「世界はひろいな」まとめはこちら。
生活とデジタルについてのまとめはこちら。
骨太についてのまとめはこちら。
聖書についてのまとめはこちら。