2024年分の記録し忘れた散歩も書いて、いよいよ今年の2月分です。1月の土佐から伊予の記録の途中で寄り道せざるを得ない状況になったので、また散歩の記録が4ヶ月遅れになっていきます。
2月はまとまった休みが少なかったので、その日の朝に地図を眺めて決定するという近場の散歩でした。
そして季節に関係なくしかも住宅地にまでクマが出没するので、なかなか計画を立てにくいですね。
さて、多摩川の支流の浅川ですが、左岸のJR豊田駅の近くには日野台地南側の崖線に黒川清流公園があります。そして台地の東側には多摩川沿いに日野用水とよそう森公園があり、そのどちらもまさに水の郷でした。
久しぶりに日野市の用水路を眺めたいと思い立ちました。2月初旬、真っ青な冬晴れの日にふさわしい水路を見に行こうと、京王線高幡不動駅からスタートしました。
*浅川左岸の新井用水と上田用水*
高幡不動駅のすぐそばには多摩丘陵の小高い場所がグッと近づいています。高幡不動尊の前の川崎街道(都道41号線)を歩き始めましたが、川風でしょうか、予期しない冷たい風に早々に引き上げようかと思いながら高幡橋を渡りました。
高尾でしょうか、真っ白な山が見え、富士山も見えました。浅川の水はきれいで、やはりもう少し歩いてみようと思い直したのでした。
浅川の左岸側は高幡不動とは趣が変わり、日野台地が終わってなだらかな場所がひらけていて、地図では多摩川と浅川の川合のような場所に田んぼがけっこう残っています。
堤防沿いに歩いたあと、水路が描かれていた住宅地へ入りました。
幅1mほどですが、石積の水路で遊歩道も整備されています。
そばに案内板がありました。
みず くらし まち
”水辺のある風景 日野50選”
新井用水親水路
地図ではわからなかった水路の名前がわかりました。
こうして末端の水路まで大事にされているのはさすが日野市だと思いながら北へと歩くと、小さな公園にまた案内板があります。
村前(むらまえ)公園
上田は、むかし武蔵国多摩郡上田村(むさしのくにたまごおりかみだむら)と称していました。天保九年(一八三八年)の上田村村柄明細帳(村内一切のことを記した帳簿)によれば、家数十一軒、人口四十四人と記されており、家業は農業を営む豊な村でした。
村前は、上田村落の南方につけられた地名で、きれいな小川が流れ、美しい田圃(たんぼ)が続いていたところです。
日野市緑と清流課
「緑と清流課」という部署があるとは。
かつて「小さな小川」があったことも記録され、「上田」はてっきり「うえだ」だと思っていたのですが、こうして正確に地名がわかることも大事ですね。
いつも「田んぼ」と書いていたのですが、恥ずかしながら「田圃」と書くことを初めて知りました。いやはや。
開渠と暗渠と、かつての「小さな小川」でしょうか、たどっていくと幅2mほどの水路にたどり着きました。
小さな水色の水門で分水路があります。真冬だというのに清冽な水が滔々と流れています。
反対側は竹藪で、小さな橋の先は天満宮への参道でした。
周囲はほとんど住宅ですが、木に模したコンクリート柵で保護された水路が途中曲がったりしながら続いています。
途中にまた案内板がありました。
みず くらし まち
”水辺のある風景日野”
上田用水ー絵図に描かれた用水
上田水路に沿って歩くと堤防が近づき、真正面に富士山がまたくっきりと見えました。
プールのある駒形公園と少し上流の日枝神社の裏手あたりに浅川からの取水口があるようですが、よくわかりませんでした。
東屋があり、小さな公園になっていました。
*豊田用水へ*
地図ではその上田用水の北側に、別の水路が描かれています。
たどっていくと東豊田地区、豊田地区の間を曲がりながら流れていて、平山橋のたもとあたりで取水されているようですから、これが以前知った「豊田用水」だろうと見当がつきました。
バス通りは交通量も多く歩道が狭いので住宅街の路地からバス通りへと戻ると、その先は拡幅工事中でした。ちょっと先ほどまでの道とは別世界の車社会の雰囲気になり、本当に豊田用水はあるのだろうかと北へと曲がると、大きな石碑が見えました。
1908(明治41)年の「耕地整理記念」のようです。
公園が整備され、梅が咲く閑静な住宅地の間を流れる用水路をのぞき込むと、やはり水がきれいで鯉が泳いでいました。
元気に下校する小学生が横断歩道を渡って行きました。
120年ほど前のこのあたりの様子はどんな感じだったでしょう。
案内板がありました。
東豊田(ひがしとよだ)公園
「東豊田」という町名は、昭和47年7月1日の町名地番整理の際にできた町名です。
公園の位置するこのあたりは、古くは大字豊田村字小高田といわれていました。小高田(こたかた)は、川辺堀之内村との境にあった小字名です。
少し高いところに田があったので、小高田と呼ばれるようになったのではないかといわれています。公園の西側50メートルほどのところの豊田用水にかかっている橋が小高田橋(こたかたばし)で、日野第二小学校側の側面に、「昭和6年11月」と刻まれた文字が今も残っています。 日野市
歩くだけで知りたいことが正確にわかる街ですね。
読み仮名も「濁点」まで正確にわかることは、ほんと、日本語には大事ですからね。
ここからは豊田用水路に沿って歩きます。
途中、また案内板がありました。
用水路の水草を保護しています
この付近の水草を刈り取らないでください
抜き取らないでください
底泥を掘り返さないでください
豊田南土地区画整理事業の一環として、地域の希少な水生植物の移植を行なっています。
生物多様性を守るため、ご協力をお願いします。
抜き取るべき植物と守べき植物が観察され分類され、守られている。すごいことですね。
湖や池、川などに生える水草で、リボンのような長い葉が特徴です。
泥の中に茎をのばして葉を増やします。
登下校の際にいつも目にしているこういう知識を、子どもたちは素直に吸収して自分のものにしていくことでしょう。
うらやましい時代です。
水路のそばには17世紀からの小さな地蔵堂もありました。用水路が大事にされている街は落ち着いているなあと思いながら歩いていると、暗渠の下から私を警戒した白鷺が勢いよく飛び立っていきびっくりしました。
*崖線と湧水*
しだいに上り坂になり、日野台地の端っこでしょうか。
分水路や蔵のある大きな家がありました。
矢崎橋下のそばに、小さな公園があり田んぼがありました。段丘の上からの小さな水路沿いに坂道を登ると、懐かしい風景になりました。
そう、2019年に日野市の清流を訪ねたときのあの「中央図書館下の湧水」へ向かう道です。
変わらず、図書館の建つ崖の下から湧水が出ています。
中央図書館下湧水
この湧水は、平成15年「東京の名湧水57選」に選ばれ1日におよそ毎秒17リットルの豊富な湧水量があります。
この度、老朽化した土留杭交換を行いました。木曽石や小石を配置し、〇〇(読めず)の植栽等、水生生物の棲みやすい〇〇を再現しました。また、環境が安定するまで、石等の移動はなさらないようお願いいたします。
なお、この湧水は飲料としての使用やお止めくださるようお願いいたします。(市では飲料に関しての水質調査は実施しておりません)
日野市緑と清流課
2003(平成15)年、経済的効率を求め、見ための「豊さ」を演出した住宅地が一気に広がる時代に変わっていました。
そんな時にこうして正確に水路の歴史を留め、水生生物の棲みやすい環境を守るのは地味な仕事だったのに、四半世紀ほど立ってこんなに街の風景に差がつくのですね。
日野市が特別に湧水が豊だったというよりは、どの地域でも小さな湧水や小川はあったのですけれど、それが見えていたかどうかの差のような気がしてきました。
「落ち着いた街」まとめはこちら。
失敗とかリスクについてのまとめはこちら。