生活のあれこれ 62 「アリとキリギリス」、骨太はアリが嫌い

「アリとキリギリス」は、たいていの子どもが耳にする寓話でしょうか。日本では「キリギリス」ですが、ギリシャだと「センチコガネ」という虫なのですね。

「蟻とセンチコガネ」では夏の間アリが穀物を集めるのと見てセンチコガネが驚くが、冬になって食物に困ったセンチコガネはアリの許を訪ね、それに対して、夏のうちに苦労をしておけば今から困らなかったのだろうという。将来に備えることの大切さを寓話とする。

 

私が給料をもらうようになった1980年代はクレジットカードでものを購入する方法が気軽にできる時代になり始めたころでした。ついつい気が大きくなって物を買ってしまいますね。返済に追われるような負債こそ抱えなくても貯金が増えないので、現金で購入した方が良さそうと心を入れ替えて今に至っています。

 

赤字にならなくても「ローンは借金で、その利子で儲ける仕事もある」と気づいたし、現代のデジタル化を謳って喧しい「キャッシュレス社会」もローンの変形と思うので最小限の利用にしています。

これも「アリとキリギリス」の寓話のおかげかもしれませんね。

 

半世紀ほど経つと、「身の丈にあった生活」ではない虚をつかれるような話が溢れ、金持ちと思われたい人が増えました。

そして、人のお金や個人情報あるいは「労働力」を右から左へと移動するだけで成り立つような商売ポイントで囲いこんで得したと思わせるしょぼい商売が格段に増えました。

 

「コツコツと貯蓄する」、父からの賭け事はだめという家訓、そして母の信託投資は老後に役立たなかった経験から、私自身はアリの生活でまあ良かったのかなと実感しています。

 

 

*農地を整理し生産量を上げるための努力した「アリの記録」が各地にある*

 

最近のJAへの批判を読むと、「狭い耕地ばかりで非効率」「大規模化を図って集約化するべき」、そして「GHQが行った農地改革で『小作農』を増やしたのがダメだった」から「昔のような庄屋制にすべき」「農業も株式にすべき」といった極端な意見が書き込まれています。

 

その狭く農業に向かない土地を、ずっと変え続けきたのが日本の農業の歴史ですね。

 

平地の少ない国土で、古くから行われていた干拓を、大正3年の耕地整理法でさらに水田を広げ各地から入植した場所では、組合を作り田畑や集落を整備していったこと、水を得にくい地域で土地改良で戦後ようやく「初めて水稲が収穫された石碑」があり、高低差が激しい地域では耕地整理をし共同で道を作った石碑など、平地の少ない国土を切り拓いてこられた記録があちこちにあります。

 

水田のために水平な土地を開拓し、利水・排水を整備し、災害からも守るために住民一丸で試行錯誤し議論調整するその歴史を知れば知るほど、各地の美田が拓かれた記録の前で立ちすくみます。

 

ほんの半世紀ほど前までまだ胸や腰まで水に浸かっての作業が必要だった地域もあり、「経済的な農業を営み、過酷な労働から農民を解放する」ための各地の歴史、江戸時代頃からの新田開発と治水・利水を試行錯誤し、「日本人は米を食べたいと思い続けてきた」、その願いが叶ってわずか半世紀です。

 

 

社会が大きく変化する中で、生産性の高い農地と農業の近代化と担い手集積へと試みが連綿と続けられてきた歴史そのものですし、かつては農奴のような社会を自主的で民主的な方向へと変えてきたこの一世紀だったのでした。

 

私が子どもの頃の農村のイメージが信じられないほど、津々浦々、整然とした田畑と落ち着いた街が広がるのを見ると浦島太郎の気分になるし、戦後GHQが「自主的で自立的な欧米型の農業協同組合」を想定していたよりはるかに自立して民主的な農業の世界になっている印象を持つこの頃です。

 

 

 

*骨太はアリが嫌い*

 

さて、今日のタイトルは農業協同組合の歴史をたどっていたら思いつきました。

 

今回の米騒動の背景に「JA解体」を目論んでいる人がいるらしいということがしだいに見えてきたのも、「国鉄」の民営化というのは「株式化」の意味だったことと遅ればせながらつながってきた次第です。

 

郵貯が「民営化」されたあと雨後の筍のように格安の生命保険が広がったことや、JRの国民へのサービスは減るのに海外からの旅行者が優遇されるジャパンレールパスのような矛盾も、最近ようやく外国資本とがつながって見えてきました。

 

ああ、そうか、「民営化」というのは「株式化」の意味であり、国民がコツコツと貯蓄したり利用して積み上げたものや組織は株を扱う人には垂涎ものなのですね。

30年ほど前に郵政民営化の雰囲気が高まった時に、今のようなさまざまな意見を読み比べできるものがあれば気づいていたかもしれないのに、もう時おそしですね。

投資と投機は違うことに気をつけながら、せめて「JA解体論」に乗せられないように注意しなければ。

 

 

*「イデオロギー」の反動が見えた*

 

Wikipediaの「アリとキリギリス」の「改変」にこんなことが書かれていました。

アリが慈悲心(哀れみの心)をもって食べ物を分けてあげるという改変が古くからある。食べ物を分けることを拒否し、キリギリスが飢え死ぬのでは残酷だというので、アリは食べ物を恵み、「私は夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになるなどという展開に改変される場合もある。この展開での現代のものでよく知られた作品としては、1934年にウォルト・ディズニーがシリー・シンフォニーシリーズの一品として制作した短編劇画『アリとキリギリス』がある。

この作品では、当時ニューディール政策により社会保障制度の導入を進めていたフランクリン・ルーズベルト政権への政治的配慮から、アリが食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがヴァイオリン演奏を披露するという結末に改変されている。

(強調は引用者による)

 

半世紀前の高校生だった私は、ニューディール政策が行われた1930年代の雰囲気はまだ歴史にするには近すぎて、詳細を知らないまま来てしまいました。

 

「自由の国」「資本主義の国」のアメリカでも時代の反動があり、社会主義や共産主義へのイデオロギーから入ると、人間を支配している力の存在を見失いますね。

 

骨太を持ち上げる人はおそらくアリのような生活は嫌いで、「アリのような生活」というのはコツコツと働いてみんなで協力し合ってみんなで豊かになるという意味で、その他者が貯蓄したもので贅沢な生活をして、自分を大きく見せたいし他の人が豊かになるのは嫌なのでは。

使いやすい奴隷はそのままにしておきたいと思っているのだろうな。

そんな妄想をするこの頃です。

 

農業の次に狙っているのは、医療や介護や各種の公共事業でしょうか。教育もすでに怪しいですしね。

 

 

あくまでも1匹のアリの妄想ですけれど。

 

 

 

 

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