水のあれこれ 417 「"あばれ川”多摩川の歴史」

農耕の神様である稲荷社の石碑に書かれていたのは水害の歴史でした。

その中の、樹齢数百年の大木が流され社殿も水浸しになったという1937年(昭和12)の水害について帰宅したら調べなければ、多摩川についてだいぶ知った気になっていたのにそういえば災害史を知らないままだったと、新たな宿題に気づきながら二ヶ領用水せせらぎ館へ入りました。

 

そこには「"あばれ川”多摩川の歴史」の大きなパネルがありました。

多摩川には河口から、長い堤防が続いています。

私たちがサイクリングや散歩を楽しんでいるこの堤防が、洪水から暮らしを守るために、

昔の人々が努力して造り上げたものだということをご存知ですか?

かつて、大雨のたびに氾らんを繰り返した「あばれ川」多摩川たび重なる堤防の決壊に、

住民が立ち上がってついに完成させたのが、今のガス橋の近くになごりを残す有吉堤です。

今の多摩川は、「あばれ川」のおもかげも薄れ、めったなことでは大きな洪水は起こりません。それは昔の人々が今ここに暮らす私たちに残してくれた遺産なのではないでしょうか。

(強調は引用者による)

 

また宿題が増えました。

全国の川の災害史を訪ね歩くようになったというのに、多摩川の歴史についてどれだけ知っていたでしょう。まさに灯台下暗しですね。

 

 

*「多摩川洪水・治水事業年表史」*

 

二ヶ領用水せせらぎ館は国土交通省京浜河川事務所が管理されていて、その年表を写真に写して帰宅したのですが、検索すると国土交通省関東地方整備局の「多摩川洪水・治水事業史年表」がさらに詳しいことがわかりました。

今後のために後者を書き留めておこうと思います。

 

江戸時代

1550(天文19)年大洪水で伊豆美神社(現・狛江市)流出

1590(天正18)年大洪水で流路変わる

1606(慶長11)年大洪水により、本川中流部左岸の分倍河原旧流路(現・府中)が現流路に移動したといわれる

1627(寛永4)年羽田・川崎水害

1650(慶安3)年大洪水で下流右岸川崎水害発生、下流左岸下野毛(世田谷区)西南で堤防決壊し氾濫、下流左岸羽田で川筋変わる

1685(貞享2)年中流部左岸拝島作目村(現・昭島市)が全村壊滅

1694(元禄7)年下流右岸川崎南加瀬村(現・川崎市中原区)22町歩水害

1721(享保6)年羽村堰決壊

1742(寛保2)年昭和用水堰埋まり堤内へ氾濫。下流部右岸川崎では堤防決壊、下流部左岸六郷用水で取入れ口が壊滅。他各所で堤防決壊、川通20里の間で、緊急改修を要する場所が110ヶ所に

1766(明和3)年多摩川洪水で下流左岸世田谷の井伊領8ヶ村に氾濫。

1781(天明元)年享保以来の大洪水

1786(天明6)年江戸洪水、多摩川洪水、猪方(現・狛江市)の大堤決壊

1790(寛政2)年下流右岸矢ノ口(現・稲城市)・菅村(現・川崎市多摩区)境の堤防決壊、中野島村(多摩区)では人家が流出、登戸下流では床上4尺の浸水

1791(寛政3)年8月、多摩川満水、入津波が起こる。大森村(現・大田区)周辺に被害

       9月、東風大雨で多摩川満水、道塚村(現・大田区)で田畑冠水などの被害

1809(文化6)年多摩川出水、下流左岸堤120間大破(和泉町26間・猪方村30間決壊)

1811(文化8)年猪方村(現・狛江市)堤8ヶ所切断。拝島築地村(現・昭島市)では全村流出

1829(文政12)年洪水で堤防決壊、猪方村(現・狛江市)の玉川万葉歌碑流出

1846(弘化3)年6月、中流左岸拝島用水堰より氾濫。

  11月多摩川再び出水、下流左岸の猪方村(現・狛江市)堤100間、和泉村(現・狛江市)で決壊

1856(安政3)年満水で下流左岸猪方・和泉(現・狛江市)堤切断、一円に水害

1859(安政6)年7月、羽村取水堰破壊、玉川上水止まる中流部左岸の村々で家が流 出。下流部左岸では、和泉村(現・狛江市)堤500間切断され、猪方(現・狛江市)大堤決壊。

        8月、再び出水し、猪方村堤20間決壊

1868(慶応4)年多摩川洪水で下流左岸和泉村(現・狛江市)堤315間決壊

 

1859年に玉川上水が止まるほどの水害があったとは。

「牛浜出水の図」がこの安政6年の洪水の記録ですね。

 

羽村にしてもこの登戸近辺にしても、堰のあたりは用水を集める分それだけ洪水も起こりやすいということでしょうか。

 

明治時代

1878(明治11)年六郷橋流出、北見方村(現・川崎市高津区)、諏訪河原村(現・川崎市高津区)の田畑が冠水 八幡塚村(現・大田区)ほか数ヶ村で堤防決壊、羽田村(現・大田区)ほか25ヶ村で水害

1889(明治22)年暴風雨により多摩川堤防決壊、農作物被害

1894(明治27)年増水、六郷多摩堤防内で48戸が床上浸水、六郷村(現・大田区)の堤防内地の耕地で作物被害

1896(明治29)河川法制定

1898(明治31)年出水、調布村(現・調布市)堤決壊、9月、再び多摩川出水、増水し、宿河原取入口大破損

1907(明治40)年大洪水、各所で堤防決壊、横浜〜東京間鉄道不通。被災市町村数は50、川崎町は全町浸水

1910(明治43)年多摩川下流部、未曾有の大水害。被災市町村数55

 

明治になると水害は減少しているようですが、「鉄道不通」の記録が残る時代ですね。

「1910年、未曾有の大水害」、どんな水害だったのでしょう。

 

大正時代

1913(大正2)年台風による増水で六郷、羽田堤防決壊

1914(大正3)年早期築堤を求めたアミガサ事件

1915(大正4)年代用堤防の有吉堤完成

1917(大正6)年洪水と高潮が重なり被害甚大

1918(大正7)年多摩川下流改修工事開始(1934年に完成)

1923(大正12)年関東大震災により堤防亀裂、沈下陥没

「台風」「高潮」など気象に関する専門用語が増えた時代なのでしょうか。

「アミガサ事件」、またやり残した宿題が増えました。

 

昭和時代

1937(昭和12)年豪雨による多摩川大洪水

1938(昭和13)年多摩川大洪水、青梅で家屋流出

1947 (昭和22)年カスリーン台風により多摩川、秋川、浅川で出水

1950(昭和25)年水害で稲城町(現・稲城市)の押立〜矢口決壊

1963(昭和38)年3度にわたる集中豪雨で野川はじめ未改修部決壊

1966(昭和41)年台風4号の豪雨により二ヶ領用水、矢上川、平瀬川などで水があふれ、または決壊、床上浸水の被害。河川法改正に伴い、多摩川一級河川に。

多摩川水系工事実施基本計画」策定

1970(昭和45)年洪水、上河原頭首工流出

1974(昭和49)年台風16号による狛江水害

1982(昭和57)年8月、台風10号により、川崎市などで床上・床下浸水163戸ほかの被害

                     9月、台風18号により、川崎市などで床上・床下浸水60戸ほかの被害

 

そして平成へ。

1989(平成元)年高規格(スーパー堤防)事業始まる

1997(平成9)年河川法改正。「治水」「利水」に加え「河川環境」のキーワードが加わる

1999(平成11)年豪雨により川崎市戸手地先浸水、床上・床下浸水の被害

2000(平成12)年「多摩川水系河川整備基本方針」が決定

2001(平成13)年「多摩川水系河川整備計画【直轄管理区間編】」策定

2002(平成14)年浸水想定区域図公表

 

平成に入りゲリラ豪雨など雨の降り方が変わりましたが、確かに多摩川の水害のニュースは減りました。

ただ、Wikipediaの「多摩川」の「治水」には以下のように書かれています。

1990年からは、さらなる対策として、加工から日野橋までの区間スーパー堤防(高規格堤防)とする整備事業が勧められている。その後も集中豪雨や台風などにより河川敷が湛水して残された人が救助される光景を度々見ることがある。

2019年には令和元年東日本台風(台風19号)により増水し、堤防の決壊こそ起きなかったものの、流域の広範囲の地域が狛江水害以来45年ぶりとなる規模で浸水の被害を受けた。要因として世田谷区玉川に堤防未整備の区間が約540mあったほか、想定を超える雨量による本流の水位上昇で支流からの排水ができなくなる「背水」(バックウォーター)が起きた可能性が指摘されている。

 

「令和元年東日本台風」、あの「狩野川台風並」と警告が出て、実際に広範囲に水害が出た台風でした。

 

自分の中の災害史を正確な年表にすることは大事ですね。

忘れた頃に災害はやってくるので、油断しないようにしなければ。

 

それとともに、日頃地道に防災の業務に携わっている方々の仕事にも思い至ることができるようにしたいものです。

 

 

 

 

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