水のあれこれ 418 富士川用水

実際に歩いてみて潤井川から取水されて雁堤の東から南の加島平野を潤している農業用水路は「上堀」だとわかり、途中にあった「富士川工業用水道沈砂地」の施設で工業用水にも使われていることを知りました。

 

検索するとWikipediaに「富士川用水」として説明がありました。

富士川用水

富士川用水は、静岡県富士市に流れる県営の農工業用用水である。

 

概要

1966年(昭和41年)完成、翌年1967年(昭和42年)4月1日から全量給水開始。2008年(平成20年)3月末現在では工業用水としての使用実績は16万7.918㎥/日となっており、原水をそのまま自然流下で各工場へ排水しているため、静岡県内の工業用事業の中では最も安価な利用価格設定となっている。

計画当時は1,000haあった水田の多くは市街地になったが、富士市を縦断する幹線の上掘・中掘・下掘用水は環境・地域用水として欠かせないものとなっている。

 

この散歩に出かけた2025年3月中旬の時点ではまだマップに用水路名は表示されていなかったので、帰宅してからも中堀と下堀はどこだろうと確信できないままでしたが、現在は表示されています。

龍源淵から分かれる西側の水路が「上堀川」、真ん中が「中堀」、そして潤井川に沿って流れる東側の水路が「下堀」だとわかりました。

 

(上記Wikipediaの説明では「掘」となっていますが、現地の表示や地図では「堀」が使われているようです。日本語は難しいですね。)

 

 

*水源はどこだろう*

 

地図では潤井川の龍厳淵で取水しているように見えます。

滔々と流れる水路にさすが富士山の雪解け水はすごいなと思っていたのですが、説明を読むと全く違いました。

 

中部電力・三ケ月島発電所水力発電所)の放水を富士市内までトンネルによって総工程7km余りに渡った用水路として導入」(Wikipedia富士川用水」「計画」)とあります。

マップで発電所を検索しても見つからないのですが、「富士郡芝川町」で見るとJR身延線芝川駅があります。

となると、富士川の支流芝川にある発電所の放水をトンネルで潤井川につないで利用しているということでしょうか。

想像以上に壮大な計画でした。

 

さらに検索すると静岡県企業局の「静岡県富士川工業用水道事業の紹介」が公開されていました。

 富士川工業用水道は、水豊富で水質良好な芝川町芝富地内にある中部電力芝富発電所より放流された水を、芝川町朏島地内にある制水槽まで導水し、工水、農水の必要量を取水ゲートにより調整し、余水は取り付け水路により富士川に還流する。

 この取水地点から富士市滝戸地先に至る間は隧道サイフォン(延長L=7km)により導水し、滝戸隧道出口付近にて工業用水を分水し、配水管路によって各工場に配水する。

(「工業用水施設の概要」)

「工水」「農水」という用語もあるのですね。

そして「朏」という漢字は記憶にある限り初めてのような気がするのですが、「ヒ」そして訓読みは「みかづき」だそうです。どんな場所なのか、行ってみたくなりますね。

 

Wikipediaの「工事」では、その記録が書かれていました。

1958年(昭和33年)11月より6箇所で一斉に掘削開始したが、下流側で地下水を含む軟弱地盤に遭遇、湧水と土砂噴出が相次ぎ、当時の日本のトンネル工事史上においても屈指の難工事となり、工事開始翌年後の1959年度(昭和34年)の1年間で、わずか180m掘削する間に土砂噴出を原因とする人身事故が16回、うち4回で死亡事故・合計9名の犠牲者が発生し、地元労働基準局から工事中止命令が出された。また、富士宮市内南方の星山丘陵下付近に存在する活断層を貫いたことも難工事の要因となった。

(強調は引用者による)

 

丹那トンネルの歴史を訪ねてなんだか知った気分になっていたけれど、「日本のトンネル工事史」を何も知らないままでした。

 

 

*水田の用排水改良と、工業用水の補給*

 

静岡県企業局の資料の「事業の主旨」が書かれています。

 富士川工業用水道事業は、富士市内の水田の用排水改良と、富士臨海地区の工業用水の補給を共同事業として施工したもので、地区の概要は次のとおりである。

 富士地区における富士臨海工業地帯は、潤井川の河川水ならびに富士山系より浸透した豊富な地下水の利用と東海道沿線という交通の便とにより、従来より製紙業を中心とした工業地帯として発展してきたが、近年田子の浦港の整備と相まって港湾背後地への新規工業の進出が目覚ましく当地の工業は著しく発展した。

 しかし、工業の躍進に伴い水の使用量も増大し、豊富な地下水もさく井の乱掘により相互干渉を来たし、海岸に近い地域では水位の低下により塩水混入の傾向が甚だしく飲料水、工業用水として使用できない状況であり、また、地下水の過剰組み上げにより地盤沈下の恐れもあることから地下水の新規開発は極度に制約しなければならなくなった。

 このため静岡県は、農業用水と一部共同工事方式で富士川工業用水道事業を計画し、水源を中部電力芝富発電所放流水に求め、富士地区の工業用水を確保して工業発展の整備を図ることとした。

 

私が生まれる前にはその事業が始まっていたようです。

 富士川工業用水道事業は昭和32年に農業用水と一部共同工事方式で着手し、昭和39年4月から一部給水を開始、昭和41年度に完成し、昭和42年度から全量給水を行なっている。

 

 

私が小学生だった1960年代から70年代初め、富士市といえば公害というイメージでした。

自然や田んぼを破壊しながら工業化が進むのはいけないのではと、子どもながらに批判的にみていたのですが、こうして実際に歩くとこの地もまた工業と農業あるいは漁業、そしてそこでの生活と共存していくための葛藤に対応したすごい歴史が積み重なっていたのだと思えます。

 

最近は、新幹線で通過する時も麓まで見える雄大で美しい富士山と田毎の富士、そして活気のある工場群という風景に見えるようになりました。

歩けば歩くほどこの地域の歴史への敬意とともに、小学生の頃からの宿題を少し片付けられた気分です。

 

 

上堀の歴史からただの富士山の豊富な水源だけではない水の歴史も知ることとなり、次に車窓からはまた違った風景が見えそうです。

そして今度は富士市のどこを歩こうかな、と。困りましたね。

 

 

 

 

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