散歩をすると次から次へと知らないことが増えていきます。
地図で見つけた富士川右岸の「水年貢の湧水」の「水年貢」もそのひとつ。
現地にきっと案内板があるだろうと他力本願のまま出かけたら、わからないまま帰宅することになりました。
「湧水が豊富だった場所では、米の代わりに水を年貢にしていたのかな」と勝手に想像したままでした。
ググってみたら、「みずねんぐ」ではなく「みずねんご」と読むこと、そしてその内容もまったく見当はずれでした。
水年貢(みずねんご)とは、水田の用水費として納められた年貢のことです。特に江戸時代には、用水の利用者が用水の維持管理費として、農作物の収穫量の一部を寺院などに納めた場合に用いられました。
(Google、AIによる概要より、強調は引用者による)
頼みの綱のWikipediaのまとめはなかったのですが、けっこう各地の記録があるようです。
富士市内の「かがみ石公園」にもその「歴史」に水年貢について書かれていました。
・江戸時代末期に水不足に悩んでいた西比奈村の名主・野村一郎は、飲料水を導水するために、鏡石から六田川を開作した。分水は、西比奈村から原田村へ水年貢として米九俵を治めるという条件で成立した。
「かがみ石公園」というと、2023年に訪ねた永明寺の横にあるみごとな湧水群から北東へ少し上ったところにある公園です。
「六田川」と「西比奈村」が現在どのあたりかは地図で確認してもわからないのですが、岳南鉄道比奈駅の西側でしょうか。
あの地域はほんと、どこからも水音が聞こえてくる街でした。飲料水を確保するために「水年貢」を納めていた歴史があったのですね。
清浄、豊富そして低廉な給水を公平に平等に行き届かせる制度を作り上げてきた歴史、まだまだ知らないことばかりでした。
*おまけ*
せっかく築いてきた水の制度を、個人の儲けに走らないよう気をつけていなければいけない時代ですね。
すでに水成金が出現していそうですが、公共性とは公平性とはそして適正な価格とは何か、一世紀後の人たちにも普遍性のあるものとして残していけますように。
「水のあれこれ」まとめはこちら。
骨太についてのまとめはこちら。