新富士駅はガラス張りのスケルトンなので、ホテルの窓からも停車中や通過中の新幹線がよく見えます。あれはきっと富士山がよく見えるようにという配慮でしょうか。
静岡県内はのぞみの停車駅がないので、眺めているうちに新富士駅を通過するひかりとのぞみの速度の違いの法則性がなんとなく見えてきました。まあ、勘のレベルですけれど。
それにしても日中は少しだけ凪のような時間がある新幹線のダイヤですが、夕方から夜になると上りだけでも3分おきぐらいに通過していくのですからすごいですね。
ほんの数年前まで、新幹線に乗るのはワクワクするけれどもう空気のように当たり前のインフラに思っていました。
ところが乗れば乗るほど、これを実現させ、そして安全を維持するための鉄道の歴史に圧倒されていきます。
さあ、今回の散歩の最終日は、新幹線が富士川を渡り工場の横を過ぎるとすぐにトンネルに入って、時々由比川や興津川の向こうに落ち着いた街がちょっとだけ見える区間を旧東海道側を歩いてみよう、そしてトンネルとトンネルの間を通過する新幹線を見てみよう。そんな計画です。
*JR富士川駅から富士川右岸の工場地帯を歩く*
東海道新幹線は富士川を渡るとものの数秒ぐらいでトンネルに入ってしまうのですが、その車窓から見える工場の間を歩いてみたい。
東口から富士川の方へ向かって歩き始めました。地元の人が歩いているので普通の市道だろうと思ったのですが、砂利置き場の間で操業する車が止まってくださいました。もしかしたら敷地内の私道だったのでしょうか。すみません。
そこを抜けると、やはり富士市ですね。製紙工場がありその向こうに新幹線の高架橋が見えてきました。
上下の新幹線が交叉していきます。しばらくは新幹線見放題のすてきな道ですが、怪しい人に思われないようにさりげなく走行音に耳を傾けながら高架橋をくぐると、見慣れた工場の敷地の間の道に入りました。
左手は、大きな浄水場のような施設で「ふじさん工業用水道」と看板がありました。あの富士川用水が富士川を白い大きな水道橋で送水されているのでしょうか。
今まではなんとも思わなかったような風景が、まさに奇跡の積み重ねのようですごいことだと思うこの頃です。
右手の大きな工場は車窓からも「クミアイ化学」と見えていた工場です。
3月中旬に歩いた時は、大事な肥料などを作っているのだろうぐらいにしか思わなかったのですが、こうして記録をまとめている今は戦後の農業を支え、そのおかげでお腹も栄養も満たされる時代を築いてきてくださった方々の歴史に重なるのでしょうか。また知らないことばかりです。
工場の横には小さな水路がありましたが、思いのほか水が清冽でした。
地図でたどると、水神様の横の富士川橋の堰から取水された水のようですから、もともとは農業用水でしょうか。
今は田んぼの痕跡もないのですが、かつてはこのあたりも田んぼがだったのかもしれませんね。
*想定外の理由で散歩を中止*
富士川の右岸はすぐに山が迫ってわずかの平地しかなく、東海道本線はその下側を走っていますが、新しく整備された道でしょうか県道396号線はこの地域を見下ろすくらいの場所に作られています。
その下側の道を行くつもりが、なぜか県道の方に出てしまい、交通量の多い道でしかも白線しかない歩道を歩くことになってしまいました。
緩やかでもカーブをスピードを出して走っているので、運転手さんも歩行者にびっくりすることでしょう。
もしかしたら歩行者の利用は想定されていない道なのかなと思いましたが、わずかながら沿道に民家もあります。
ようやく下の道へ降りることができ、のんびり歩いていると水路のような場所で石碑がありました。
ほんとに、どんな場所にも水の歴史があるものです。
いよいよ蒲原宿に入り、あの東海道本線の車窓から見える落ち着いた街並を歩こうと思ったところで、挫折しました。
前日の散歩が終わった頃から目が痒くなり、黄砂と花粉のダブルパンチにやられたようです。
1994年からつきあい始めた花粉症ですが、だんだんと対処方法ができてきたことと新型コロナ以来のマスク生活のおかげと、加齢に伴って反応が少なくなってきたのか、このところは市販の薬をたまに飲むだけで済んでいました。
人混みでないので、散歩中はマスクを外して歩いたのが災いしたようです。
この日は朝から鼻がぐずぐずで、数分おきに鼻をかむことに。
あまりにつらすぎたので普段は使わない点鼻薬を購入し、JR新蒲原駅から静岡駅に向かい帰宅の途についたのでした。
ということで、新蒲原から由比のあたりを歩くのはやり残した宿題になりました。
実質2日間の散歩でしたが、また新幹線の車窓から見えた風景のさまざまな歴史を知ることができました。
静岡駅でこだまの切符を購入してからお昼ご飯を食べてホームに行くと、浜松と三河安城間の信号故障のため遅れていました。そのあとに今度は豊橋で信号故障が起きて、ダイヤが乱れていました。
花粉症で挫折して早めに切符を購入したのでとりあえず席を確保できましたが、夕方だったら指定席は取れなかったかもしれません。
そして14時15分に全列車運転再開になりましたが、少しずつ遅れている分、長く新幹線に乗れるという「災転じて」という散歩の締めになったのでした。
たくさんやり残した富士川周辺の宿題を、今度はいつ訪ねましょうか。
「散歩をする」まとめはこちら。
新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら。