散歩の1日目の夜、テレ東BSで大正時代に初めて黒部に入った人と、地下200mの黒部第四ダムが1963(昭和38)年に完成するまでのドキュメンタリー番組を放送していました。
あらためて私の両親の世代は過酷な肉体労働が主な時代でそうして国土を作り上げてきたのだと、私が生まれた頃のその驚異的な変化を感じながらみました。まさか半世紀後には粗食で厳しい労働に耐えたその世代の方々を「医療費の無駄遣い」とか、社会のお荷物かのように言い出すことになるとはほんと悲しいし、怖い時代ですね。
岡山の山火事の鎮火の見通しがなく、飛び火で再可燃を繰り返している様子と翌日の雨頼みというニュースもありました。
翌朝のニュースでは大分でヒヨドリ500羽が野菜を食べてしまうとのこと。昨年の暑さで木の実が少ないからではと推察されていることが報じらていました。
時代に合わせて試行錯誤して立派に育てても、思わぬ災害や自然の変化で涙を呑むようなことが起きるのが私たちの食事を支えてくださっている農業だと、身につまされます。だからこそ、「国」が守らなければいけない仕事なのですけれど。
さて、散歩の2日目、関東平野は快晴の予報です。
5時22分、遠く筑波山が見えました。結城市からだとまるで富士山のように立錐形に見えます。手前の緑の帯が鬼怒川でしょうか。
今日はあのあたりから吉田用水と八千代町歴史民俗資料館を目指します。
*関東鉄道で下妻駅へ*
吉田用水が通っている場所は、真四角に鉄道空白地帯のど真ん中です。
どこから行けるだろうかと地図を眺めていると、関東鉄道常総線下妻駅からだと約8kmです。そして以前から一度訪ねてみたいと思っていた砂沼も目指すことにしましょう。
関東平野の真っ平そうなところになんで沼があるのだろう、ずっと気になっていました。
結城駅から9時16分発のJR水戸線結城駅に乗りました。
すぐに車窓の散歩に集中です。東結城駅のあたりで少し下りになり、田川と鬼怒川の間の「川島」という微高地のようです。
そこを抜けるとじきに鉄橋が近づく感じがわかり、川を越えるというワクワク感を感じるようになってきたので、最近どうやら「鉄」になってきたのでしょうか。
鬼怒川は広々と美しい流れでした。左岸の堤防の道は線路で行き止まりになっているのが見えました。
玉戸のあたりでは麦が緑色の絨毯のようです。どこかで野焼きをしているようで、翌日は関東でも雨でしょうか。
鬼怒川左岸は下館駅までずーっと平地でした。いつか、ここから真岡市堀込の吉田用水の取水口を訪ねてみたいものです。
7年ほど前に関東鉄道の車内で「将来、何になりたいの?」と直球を投げてきたあの少年は、中学生か高校生でしょうか。
元気にしているかな。
真っ平なところを走る関東鉄道のイメージとは違い、車窓からは代掻きの終わった田んぼが見えたかと思うと微高地になりまた下り、林やソーラーパネルやまた麦畑と起伏に飛んでいました。
大宝の木造のかわいらしい駅舎や美しい瓦屋根の家が見え、こぶしや菜の花と落ち着いた車窓の風景にぶらりと途中下車したくなりますが、先を急ぎましょう。
10時12分、下妻駅に到着しました。
明治44年11月1日、常総軽便鉄道株式会社(常総鉄道株式会社)の設立が国に認められ、明治45年6月9日に本社設立、大正2年2月21日に水海道駅予定地で起工式を挙行、同年11月1日より取手〜下館間の全線で営業が開始された。これにより、下妻の地を鉄道が走ることとなった。
その後、常総鉄道は昭和20年3月20日、筑波鉄道と合併し、常総筑波鉄道となり、昭和40年6月1日、鹿島参宮鉄道と合併し、関東鉄道となり、現在に至る。
下妻駅は大正2年11月1日開業、現、茨城県立下妻第一・第二高等学校に近く、鉄道を利用した多くの学生で賑わっている。また、映画「下妻物語」のロケにも使用された。
すごいですね110年以上もこの地を走っている鉄道だとは。
あの近江鉄道日野駅でみた「駅は通勤や通学、人生の旅立ちの出発点など、思い出の詰まった場所」という言葉を思い出しました。
それにしても近江鉄道や常総軽便鉄道会社ができた頃と、現在では「鉄道会社」の投資の意味もだいぶ違うことでしょうね。
さて、砂沼は駅から西にあるのですが、地図で見つけた駅の南150mほどのところにある小さな水路が気になって寄り道することにしました。
駅からほどなくして下り道になり、紅白のボケの花が美しく咲いています。小さな水路がありました。
満足して国道125号線の歩道に行くつもりが、そのまま地下道になり国道を歩くにはかなり迂回しなければならないことに気づきました。
まあ、せっかくなので知らない場所を散歩することにしましょう。
国道の南側は「小島」地区で、駅周辺よりは平坦な場所に住宅と畑がありました。
東から西へと歩いた後、北へ曲がると100mほど先に国道が見えて「峰T字路」と標識がありました。
帰宅してもう一度ゆっくり地図を眺めると、どうやらあのあたりは鬼怒川左岸の河岸段丘の端のあたりで、それで「峰」とか「小島」だったのかもしれません。
週100メートルほど寄り道でしたが、鬼怒川の微高地の地形を実感しながら歩くことができました。
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