参院選の選挙公報は投票日一週間前にはポストに入っていました。
猛暑の中、一軒一軒に配ってくださった方に感謝してじっくり読みました。
結果、まったく名前に記憶がない方が上位で当選していてびっくりしました。
しかもネットでは有名な人だったらしく、さらにその配偶者も「有名人」だと選挙後にずっと報道が続いています。
ごめんなさい、そのどちらも私は全く知らない人でした。
関心の分野や生活範囲の違いか、最近こういう感覚に陥ることがよくありますね。
以前は有名というと「タレント候補」だったり「オリンピックのメダリスト」だったのに、最近は何やら違う世界で熱狂的な人たちがいることに、ちょっと驚きです。
*選挙候補者の「有名人」*
選挙公報も隅々まで読んだつもりでしたが、なぜ記憶にも残らなかったのでしょう。
しかも「ひらがなの名前だけ」という特徴的な人でした。
もう一度、取っておいた選挙公報を眺めて、私はどのように選挙公報を利用しているのか考えてみました。
まずは全体を眺めて、最初から消去法で読んでいない候補者というのがあるようです。
ニセ科学的だったり陰謀論的な主張が感じられる政党の候補者は最初から読みません。
それは自分がその「憑き物」にいつの間にか囚われていたことに気づくまで遠回りした失敗があること、そして周囲のそういう「憑き物」にハマった人と関わるのはとても難しいと日々苦労していることからです。
私の専門職としてのライフワークとも言えるかもしれません。
そして往々にしてそういう考え方というのは大きな失敗を引き起こしても認めないし、再発防止のための仕組みをつくろうとはしないですからね。
本人への説得は「なんとかの耳に念仏」どころかより心を頑なにするので、もう距離を置くしかないという感じ。
次にイデオロギーに囚われた表現がある人もまず、読み飛ばします。
最近は旧来のイデオロギー対立に加えて、「〇〇ファースト」というソフトな呼び名や「現役世代と高齢者世代」とか「子どもを産んだか、産まなかったか」を対立させるような表現で政策を説明する人も避けています。
これは感覚的に「何かがある」と構えさせるものがあるからですね。
一見イデオロギーで対立しているかのようで、一旦政治家になった人が離散集合を繰り返しているのが政党ですからね。
そして政策の優先度が成金的なものや堅実に働く人から搾り取るような政策ではないことあたりでしょうか。
消去法で残った人を検索して、過去の経歴やニュースなどを読んで投票する人を決めています。
比例代表では、候補者とは違う政党へと入れることも増えました。
*有名にすることに加担しない*
それにしても「あなた誰?」という人を皆さん、よくご存知ですね。
なんで私のアンテナには引っかからなかったのだろうと思った時に、Twitter(X)を見なくなったこととそれ以外の動画サイトなども見ないからだとわかりました。
自分の卑近な日常生活を晒すだけでお金が入るようなバズマーケティングは、「熱狂」が必要そうですからね。
熱狂に動かされる政治なんて、人類は何度失敗していることか。
そして大人になっても「私を見て見て」という自己愛を満たそうとするのは見ていて気恥ずかしいし、何より「自分のことを知っているのが何万人」なんて世界は怖いですね。
こんなマイナーなブログでも、自己顕示欲かそれとも生活の記録かの葛藤と気恥ずかしさがあるのですけれど。
現実の問題をとても解決してくれそうにはない、「コップの中の嵐」のような熱狂やそれを作り出す背後には要注意ですね。
最近の選挙結果とその後を見て、また候補者選びの腕に磨きがかかってきたと思います。
知らない世界がたくさんありますからね。
「つぶやき」で知らない世界を楽しんでいた頃に比べて、ほんと、SNSはどんどんと物騒でシュールな世界になりました。
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