つじつまのあれこれ 62 成金同士の融通が「現代の政治経済」

「政治とか経済」というのは何かもっと盤石なものだと思い込んでしました。

 

たとえば医療なら症例報告を重ね、問題を明らかにし、そして対応方法を見出していく。

「対応方法を見出す」、それは簡単なことではないのですが、10年前の記事で引用した産科医の方の投稿にわかりやすい箇所があるので再掲しましょう。

 分娩自体が危険なのであるから、Aの方法でもBの方法でも確実に安全に終了するとは限らない。一般の人は「Aの方法で結果が悪かったから、Bの方法を選べば結果は絶対に良かったに違いない」あるいは「Aの方法を選んだ医師が悪いが、Aの方法でもこうしてくれていたら、絶対にこの結果よりは良かったはずだ」という思い込み論法で裁判を起こす。けれどもわれわれ産科医の考え方は、どちらにしても悪かったかもしれない、と思うし、始めから結果がわかっていれば結果が良い方を選ぶだろうが、そういうことはあり得ない、と思う。「こちらの方が結果が良いだろう」と、臨床的に判断して選択しているのである。(中略)

 どのような医療行為でも、すべてEBM(*)があるわけでもないし、そもそも医療そのものが純粋科学的な行為ではない。医学は科学であるが科学ではない。すべて文献をそろえることもできない。しかし、医師は経験的・歴史的に「こうした方が良い」ということを知っていて、医療を行っているのである

(*引用者注、EBM=根拠に基づく医療)(強調は引用者による)

「都立病院の産婦人科医の立場から見た妊婦搬送問題(3) 故意による犯罪以外の産科医療事故は刑事免責に」

 

目の前の患者さんに待ったなしに医療行為をせざるを得ないので、結果が悪い場合も起こり得るけれど、万が一悪いことが起きてしまっても「なかったこと」にはしない。

失敗も把握してそれを再発防止に活かすという仕組みがリスクマネージメントの考え方につながります。

そして医療全体でつじつまがあっていく。

 

ところが最近の政治や経済というのは、次々と言い方を変えて何をしたいのかよくわからなくしていくように見えます。あえてつじつまが合わないようにしていく感じでしょうか。

 

さらに関税交渉の話題で、昨年8月からの米問題への対応との整合性はどうなのか、そして参議院選挙での国民の間に高まった政治不信へどう対応するのか、急に煙幕で見えなくさせられた気分。

 

それは普通「だます」とか「目眩し」とか言うのではないかと思いますね。

 

 

*「うまい話」にするのが「現代の政治経済」*

 

さて、国民に「貯蓄から投資へ」「一億総株主化」とか「資産運用立国」とかうまい話を政策に掲げた前首相ですが、どうしたらそこまで自信を持つ根拠があるのかと思っていたのですが、ちょっとびっくりな記事を見つけたので記録にしておきましょう。

 

『資産運用立国実現プラン』は岸田政権が残した成果:金融所得税は慎重な議論を

(「木内登英のGlobal Economy & Policy Insight」、2024年9月11日)

 

「資産運用立国実現プラン」は岸田政権が残した成果の一つ

約3年続いた岸田政権に、いよいよ終わりの時期が近づいている。岸田政権が残した成果、遺産の一つが、「資金運用立国実現プラン」だろう。これは、新政権にもしっかりと引き継いでもらいたい。

「資産運用立国実現プラン」は、個人の貯蓄を投資に回し、リスクマネーの供給を増やすことで、日本経済の成長力を強化する。それとともに、個人の資産所得を増加させ、所得と成長の好循環を目指すという意欲的なプランだ。

しかし、岸田政権は2021年の発足当初からこうしたプランを打ち出していた訳ではない。むしろ当初は、個人の株式投資を促すことに積極的ではなく、株式市場と距離を置く姿勢だった

政権発足時に岸田首相は、金融商品の利子、配当、譲渡益に対して課税される金融所得課税の税率引き上げを示していた。金融所得課税の税率が原則約20%であり、所得税最高税率45%と比べて低いことから生じる問題を指摘していたのである。

高額所得者は金融投資をより積極的に行う傾向があり、金融所得収入の額が大きい。その税率が低位に抑えられている結果、年収1億を超えると所得(勤労所得、金融所得など)と納税の比率である平均税率が低下する、という問題が生じている。これは「1億円の壁」と呼ばれている。それへの対応として、金融所得課税の税率引き上げを検討したのである。

しかしそうした議論は株価の下落を生じさせたこともあり、岸田政権は金融所得課税の税率引き上げ議論を事実上棚上げにしてきた

 

「資産所得倍増プラン」から「資産運用立国実現プラン」へと発展

政権発足の翌年になると、個人の株式投資に対する岸田政権の姿勢は急変する。2022年11月には「資産所得倍増プラン」を決定し、個人の株式投資を促す方針を打ち出した。

歴代政権が掲げていた「貯蓄から投資へ」という方針を、岸田政権も継承したのである。

(以下、略。強調は引用者による)

 

「個人の貯蓄を投資に回し、リスクマネーの供給を増やすことで、日本経済の成長力を強化する」

私の仕事で使う「リスク」がこんな用語として使われるとは。

むしろリスクマネーを減らした方が良さそうに思えるし、リスクマネーなんて表現自体がギャンブラーの発想ぽいですね。

 

さて、「当初は個人の株式投資を促すことに積極的ではなく、株式市場から距離を置いていた」し「A(金融所得課税の税率引き上げ)案」だったのに、「B(歴代政権が掲げていた「貯蓄から投資へ」という方針)案」へと急変したのはどうしてなのでしょう。

「A案よりB案のほうが良い」と思いこまされた何かが起きたのではないか。

 

金融庁の「投資と投機」のこの箇所を思い出したのでした。

「株式の事業大いに盛んにして株の売買広く行われしより、日本の産業界には今まで見ること能わざりし一種の気質生じたり。そは如何にというに事業の性質、その能力、その利益に依りて株の価を定めずして、株式市場に一時の人気を狂わせ、この狂気を利用して株式の価値を上下し、その上下の好機会を利用して売買の間に利益を占めんとするのが如き狡猾なる心掛けこれなり。この気質の最も悪しきものに至っては…唯金さえ儲ければ善しと言うが如きもあり。…我らはこれを名付けて相場師気質という。この気質の我が実業界に著しく侵入したるは、実に明治二十年ないし明治二十三年実業熱勃興の時より始まりたる

 

明治時代の失敗がまた繰り返されているのではないか。

半世紀ほど前の高校生の頃に習った「現代政治・経済」とは違って、成金同士の融通のしあいを「政治と経済」と呼ぶようになったのかもしれないと思ったら、昨今の政治家のゴタゴタもつじつまがあってきました。

 

そうだ、現代の政治家とは相場師気質を持った人が多いのかもしれませんね。

そりゃあ、国民の生活なんて気にもしないはずだと、またつじつまがあいました。

 

生活にお金は必要だけれど、歴史や失敗に学ばない成金的な生き方なんて恥ずかしくて嫌だと思うアリでした。

 

 

 

 

 

 

「つじつまのあれこれ」まとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら

骨太についてのまとめはこちら

あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめはこちら