ある日なにげなくテレビをつけたら、幻想的な風景が目に入りました。
それほど高くない丘陵地帯の間をゆったりと流れる川、堤防のような高さのあるもので遮られていなくて川の周辺に田んぼが広がっていました。
「鹿沼」「ニラの産地」と聞こえてきたのですが、詳しい地名は聞きそびれました。
栃木県鹿沼市はすぐにどのあたりか分かったのですが、地図を眺めてもあの川の風景がどのあたりかは全く見当がつきません。
そういえば、鹿沼のあたりはまだ訪ねたことがありません。
日光まで行く東武鉄道もJR日光線もまだ乗ったことがない路線です。
いつか行きたいと思ううちに「日光は海外から人気」のニュースが増え、立錐の余地なしの京都駅を思い出して先延ばししていました。
そうだ、日光まで行かずに鹿沼を歩こう。
地図を眺めていると、利根川水系思川の支流の黒川右岸に用水路らしき水色の線があります。
思川といえば飯沼の干拓のために水を引く計画もあった川でした。3月に歩いた場所と少しずつつながる楽しさもありますね。
「鹿沼」ですから、この辺りも沼や湿地が広がっていたのでしょうか。
6月に入ってMacの「マップ」に用水路名が表示されるようになったいまもまだ、この用水路の名前が表示されていません。
4月の時点でもまだ名前がわからなかったので、「鹿沼、用水路」で検索したら「文化用水・木島用水」だとわかり、さらにそこを歩いた先人の記録が見つかりました。ほんと、全国どこでもその用水路をすでに歩き地形や歴史をまとめている人がいるのもすごいことですね。
「教育の効果」というのは、国民におしなべて史実を訊ね正確に記録を読み書きできる能力がある。そういうことを指しているのかもしれませんね。
決して小賢しいことを言って分かったふりをする人を増やすことではないのだと。
さて、その先人の記録に住宅地を流れる美しい水路の写真がありました。ああ、ぜひここも歩いてみたい。
どんな用水路の歴史があったのでしょう。
鹿沼市、どんな風景が広がっているのでしょう。
そして、ここ数年なのですが、突然ニラが大好きになりました。ほぼ毎日のように食べています。
ニラの産地はどんな風景なのだろう。地元ではどんな料理があるのだろう。
水仙と間違えてはいけないということぐらいで、ニラの生活史もそれを育ててくださっている方々の生活も知らないままです。
次から次へと歩いてみたい場所が出てきて、1泊2日の計画ができました。
ということで4月下旬に鹿沼を歩いた記録がしばらく続きます。
テレビで見たあの場所に立つことはできるでしょうか。
それとも幻のままに終わるでしょうか。
「散歩をする」まとめはこちら。