行間を読む 242 「大正に入り 世界大戦の好況により」

「文化橋の由来」が書かれた石碑を写真に収めて、こうして散歩の記録を書くために改めて読み直すと「大正に入り 世界大戦の好況により」の箇所に引っかかってしまいました。

 

戦争特需というと私が生まれる10年ほど前からの「朝鮮戦争特需」がまず思い浮かぶのですが、中学生か高校生ごろにさらっと習った時はまだ四半世紀ほど経った頃ですね。

「さらっ」と習い、なんとなく「そのおかげで日本も経済的に豊かになった」という社会の雰囲気が引っかかったのは、ちょうどベトナム戦争特需の時期だったからでしょうか。

戦争の悲惨さを教えられるのに、特需は「特需に沸いた」と表現するように歓迎するかのような矛盾した社会の雰囲気に、また正解のない問いを抱え込んでいました。

 

その数年後、1980年代半ばにはその日本の経済力でインドシナ難民キャンプに意気揚々と行きながらも葛藤を抱え、それがいまだにやり残した宿題にもなっています。

 

 

最近は大まかなことをすぐに知ることができるので、頭の整理になりますね。

朝鮮戦争

朝鮮戦争では、連合国軍最高司令官総司令部GHQ/SCAP)による占領下の日本を中継基地とした米軍が日本で物資調達のために大量の米ドルを投下したため、多大な利益をもたらした。これを指して朝鮮特需という。

ただ、これは第二次世界大戦で産業レベルが一度徹底的に後退した(どん底)であった日本の復興期でもあり、単純に朝鮮戦争による米軍が日本に落としていった米ドルの力だけではないとも見られている。しかし、敗戦国で多大な戦時負債を抱えた日本経済が、急激に回復する一助ともなっていた部分があり、この特需は高度経済成長の足掛かりともなった。

しかしこの特需で真に潤ったのは一部財界のみで、この当時はまだ特需の利益が労働者にまで還元されてはいなかった様子もうかがえ、当時の日本国民に於ける1日摂取カロリー量は、特需の期間でも伸びは余り芳しくない。

さらに注意すべきは、当時の日本は莫大な占領軍経費を「戦後処理費」の名目で負担していたことである。1952年(昭和27年)までの占領総経費は47億ドルとも言われ、朝鮮戦争特需の売上げに相当する額を政府会計から米軍に支払っていた。すなわち、米軍から日本企業への支払いを日本政府が負担したに等しい

Wikipedia「特需景気」「戦争と特需」、強調は引用者による)

当時の日本社会は「タンパク質が足りないよ」の時代でした。

 

そしてその後、ベトナム戦争に参加した韓国もまた「米国からの巨額の援助および韓国製品に対する米市場解放とを景気に、大きな経済成長を果たした」(同上)。その経済成長の陰で、当時軍事独裁政権下の韓国からたくさんの青年が派兵されたのでした。

そうそう、その韓国の青年たちのベトナム派兵について書いた時にWikipediaのこんな箇所を引用していました。

1965年から1972年にかけて韓国では「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」とスローガンに官民挙げてベトナム特需に群がり、三星、現代、韓近、大宇などの財閥が誕生した。

 

 

戦争と特需の場合、やはり「好況」とか「(特需)に沸いた」という表現は相応しくないですね。

戦争の禍根は何世代にも続くし、戦争が終わっても生きる希望や夢が欠けた時代が続くのですからね。

 

 

*大正時代の世界大戦による「特需」*

 

大正時代の戦争特需はどんな雰囲気だったのだろうとググると、「AIによる概要」にこんな説明がありました。

大正時代は、第一次世界大戦による特需で好景気に沸き、都市文化が発展した時代です。一方で、関東大震災による被害や、戦争の反動不況といった課題も抱えていました。

大正時代(1912年-1926年)は、明治時代からの近代化の流れを受け継ぎつつ、第一次世界大戦による特需で好景気に沸きました。この時期は、都市部を中心にサラリーマンが増加し、百貨店や娯楽施設が発展するなど、大衆文化が花開いた時代でもあります

大正時代のおしゃれなモボモガ(モダンボーイ・モダンガール)もそういう時代背景だったのですね。

もしかして、90年代ごろから急に韓流ブームとかKpopとかの流れになったのも、特需が背景にあったのでしょうか。

 

Wikipedia「大戦景気(日本)」を読むと、「貿易の飛躍的な発展」「生産の急激な発展」といった内容が書かれているのですが、同時に「財閥の確立と独占資本」とか「経営者団体の設置」「都市への人口集中」と、現代とつながるきっかけになっていますね。

 

インフレが起こり「物価高と生活苦」で困窮する人が増えた中で、「成金の登場(成金景気)」も書かれています。

一世紀経っても成金は失敗に学ばないのは、経済というのは戦争特需を「人類の失敗」とは捉えないからなのかもしれない。そんなことを思いました。

 

半世紀後、一世紀後の社会では「戦争特需による経済成長を求めない(戦争の機に乗じて儲けようとしない)」ということが普遍的になると良いのですけれど

また同じ失敗を繰り返していくのでしょうか。

 

 

*おまけ*

ベトナム戦争特需の40年後にはまさかの物価が安い日本に海外の富裕層を呼び込むという雰囲気になりました。

「観光特需」とでもいうのでしょうか。

戦争特需だけでなく「特需」はどういう仕組みで発生し、社会にどのような影響を与えるのか、知らないことばかりです。

でも何か不平等とか人道的でないものを含んでいるような、そんな危険信号を感じる言葉です。

 

特に最近はそれがあからさまになってきているようで、嫌な社会の雰囲気ですね。

 

 

 

 

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