黒川右岸の文化用水・木島用水沿いを歩き、13時半、星の宮公園で一休みしました。途中のお蕎麦屋さんの良い香りや、途中で立ち寄ったコンビニの店員さんの「唐揚げも美味しいですよ」の誘惑にも負けずおにぎりだけを購入して公園で食べました。
このあと、まだまだ歩いて最後にお楽しみの夕食が残っているからです。
さあ元気が出たので、いよいよ田んぼのある場所を歩きます。
新しい住宅地の先に、水鏡が広がっていました。カエルの鳴き声がし、田植えをしている姿もありました。鹿沼では4月下旬に田植えを行うようです。
用水路には水が轟々と流れていて、あの途中の小川のようなのどかな水路の続きとは思えないくらいです。
街の中に溢れたら大変ですから、どうやって水量を調節するのでしょう。田んぼの水の管理、ほんと知らないことばかりです。
南へと歩く途中、ふと振り返ると日光の雪山が三つほど見えました。日光といえば「男体山」と思いついたのですが、残念ながらどれがなんという山なのかわかりません。この数年、各地の川や用水路、ため池の名前はだいぶ覚えたのですけれど。
ああ、それにしてもなんと美しい田んぼと山々の風景でしょう。
今年も無事にお米が収穫できますように。そして農家の皆さんも希望が持てる年でありますように。
しだいに民家もなくなり粗大ゴミなどを扱う施設を過ぎると、黒川の左岸がすぐそばに見えました。田んぼが広がるこちら側とは違って、低い崖線が続いています。
南へと歩くと集落の近くの消防署では訓練が行われていました。日曜日でしたが、日常を支える非日常が連続の仕事は「備えよ常に」ですね。
*月読命と保食神*
このあたりは文化用水・木島用水とは別で黒川のすぐそばから取水された水路のようで、幅も広く滔々とながれていました。
美しい水路の向こうに目指す神社の森が見えてきました。「三日月神社」という初めて見る名前ですが、水路と川のそばに建つのでもしかしたら水の神様かもしれません。
参道は民家の庭のように見えたので恐る恐る入らせてもらったところ、「名勝史跡」と案内が出ていたのでホッとしました。
「月読命(つきよみのみこと)」とか「承応(じょうおう)」とか、読めそうで読めないですね。「崇神」も崇神天皇なら「すじん」ですが、この場合「すうじん」でしょうか。
「月読命」どんな神様なのでしょう。Wikipediaの「ツクヨミ」を読むと、ちょっとびっくりな「穀物の起源」の話が書かれていました。
書記・第五段第十一の一書では、天照大神から保食神(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で殺してしまう。保食神の死体からは牛や馬や蚕、稲などが生まれ、これが穀物の起源となった。
(強調は引用者による)
神話というのは、聖書もそうですが何かやはり失敗の記録なのでしょうか。読み解くのは難しいですね。
古代の人は何を思っていたのでしょう。
*黒川左岸の河岸段丘へ*
さあ、いよいよ黒川を渡って対岸へと向かいます。
橋から見る黒川の流れはとても美しいものでした。全国に多数の黒川があるようですが、それぞれどんな風景で名前の由来があるのでしょう。
先ほどまでの崖より少し下流では、左岸側にも田んぼがあり水鏡になっていました。
トラクターの後ろを白鷺がついて歩き、水路には鴨が泳いでいます。
地図には左岸側の用水路が描かれていないのですが、段丘沿いに蛇行して流れる瀬戸川から取水しているのでしょうか。それとも崖線沿いなので、湧水などの水源があるのでしょうか。
次に、橋の袂からおよそ1kmの西茂呂近隣公園にため池が描かれているので、そこを目指します。
距離はたいしたことがないのですが、見上げるような坂道を歩いてようやく台地の上に上がりました。
公園の真ん中は窪地で、ため池がありました。「西茂呂機械揚水事業完成記念碑」がありましたが、どこから揚水しているのでしょう。
ここからの水路は一旦南東へと流れ、しばらく田園地帯を流れたあと恵川となり、壬生町で黒川に合流するようです。
受益面積も広そうですが、どんな歴史があったのでしょう。
ため池を見下ろす東屋でしばらく休憩しました。ここまでで17800歩、おそらくあと1万歩ぐらい公共交通機関のない場所を歩かないと、目的の食事にもホテルにもたどり着けません。
歩ききれなかったら、とちょっと不安になりましたが出発しました。
*地図の2列の水路沿いを歩く*
西茂呂近隣公園の前にある、野鳥の森公園を南へと歩き始めました。人通りも少ない道なのでちょっと警戒しながらでしたが、「野生動物出没注意」の札にもっとビビりました。何が出てくるでしょう。
またひらけて病院のそばに出てホッとし、東側への切り通しを抜けると鹿沼市の花木センターがありました。
ちょうどツツジが見頃で、けっこうな人で賑わっています。
ゆっくりみてみたいのですが、先を急ぎましょう。
また南へと林の中の道を抜けると、集落と麦畑が広がっていました。
どこを目指しているかというと、地図で見つけた二つの小さな水路が並行して流れている場所です。
その場所を見てみたい。
また東へと曲がると、一段低い場所に田んぼが広がり小さな集落がありました。
そこに小川が流れています。護岸もない流れで、子どもの頃に遊んだ風景でした。
途中から少し間を開けてもう一本水路が並んだのですが、どうやら排水路のようです。
本当にマップの通りで、こんなに小さな水路まで描かれているのだと感激して歩いていたら、
林の中にビニールハウスが建っていました。
なんとニラ栽培です。こうして鹿沼のニラが育つのですね。
その先にはまた水鏡の田んぼになり、70代くらいの方が畦を作っていました。
今年も無事に収穫できますように、またそう思いながら歩いていると忽然と水路が消えたのでした。
確認すると、地図でも忽然と水色の線が消えて暗渠になっています。
そして「小川のような水路」の水源は、「茂呂溜」のようです。この地域の田畑にはどんな歴史があるのでしょう。
それにしてもすごいですね、マップの正確性は。マップがなければ、こんなに複雑な用水路沿いを歩き回ることはできなかったことでしょう。
2万5000歩ほど歩いて疲労困憊でしたが、目指すお店に行くとなんと休みです。ここであきらめてはいけないと足を引きずりながら別のお店にも行きましたが、ここも休みでした。
開いていて良かったと、コンビニで夕食を買ってホテルにチェックインしました。
ホテルの窓から、日光の山並みと田植え直後の鹿沼の美しい風景を眺めて、満足の1日が終わりました。
目指す食事は2日目のお楽しみにということで。
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