散歩をする 577 ただひたすら川と水路とクリークを歩く〜筑後川と遠賀川〜

4月下旬の鹿沼の散歩の10日後、久しぶりに九州への散歩を決行しました。

 

40年ぶりに佐賀を訪ねたのが2021年の6月下旬で、20代のころに訪ねた友人の田んぼがクリークだったことに遅まきながら気づいて、佐賀の干拓地を歩いてみたいと出かけました。

佐賀の6月下旬は計画の段階では雨を心配していたのですが、この年は空梅雨で、歩くには暑すぎたため途中で計画を断念したり宿題が残りました。

 

遠く感じていた九州ですが、のぞみだとあっという間(4時間半)だということがわかりました。

それで2022年7月中旬に周防灘と有明海の干拓地を見に出かけてみました。

前回の失敗を生かして暑さを考えながらの計画でしたが、途中、土砂降りどころか命の危険を感じる雨で九州の夏の尋常でない雨量を経験したのでした。

 

また九州北部を訪ねてみたいけれど、いつが歩きやすいでしょう。2月3月だと雪の心配もありそうです。

であれば5月に行こう。ゴールデンウィーク明けの閑散期だし、雨さえ大丈夫なら良さそうです。

それと2026年3月でJRの新幹線往復割引や連続切符のサービスがなくなるし、私も年金生活に向けて緊縮家計になるので、行くなら今ですね。

 

そしてこのところの米騒動で、クリークをなくして大規模化にという時代へ一気に進みそうな雲行きですね。

地図を見ても、心なしか数年前に比べて佐賀平野のクリークが減って、直線の水路に置き換わっているような気がします。

それに比べると柳川はまだクリークが残っているでしょうか。

千数百年の風景が大きく変わってしまう前に、ぜひまたクリークのある地域を歩きたい。

 

 

*やり残した宿題を目一杯詰め込んで計画を立ててみた*

 

2021年に初めて博多まで新幹線に乗った時、遠賀川周辺の美しい水田地帯と「水巻」という地名に、いつか歩いてみたいと印象に残りました。

念願だった佐賀のクリークを歩くことができたのですが筑後川対岸の川舟で有名な柳川もまたクリークだったことを知り、翌年、熊本からの帰路、柳川の息を呑むような美しいクリークを車窓から見ることができ、ここもまたいつか歩いてみたいと思いました。

 

そして筑後川の中流・上流もみてみたいものです。筑後川は県境を超えて大分では三隅川になり、日田のあたりでは複雑な中洲が描かれています。

日田駅のそばに「日田彦山線BRT(ひこぼしライン)」と表示があるのは2017年の九州豪雨がきっかけで、当時、まだ遠出とは無縁の生活でしたが、なぜか気になって朝倉市うきは市そして大分県日田市のあたりのニュースを追っていました。

あれから8年経ったのですね。

三隅川から筑後川へと名前が変わるあたりと、もう一つ気になっていた「夜明ダム」を見てみたい。

 

そして筑後川になってすぐ、うきは駅から歩いていけるところに用水路と「水神社」を見つけました。

その少し先に筑後川本流が流れ、よく見ると蛇行した「羽」の真ん中に「放水路」と描かれています。ここを見てみたい。

そして2kmほど下流に「山田堰」があって、筑後川右岸を潤す堀川用水路が取水され、その近くに三蓮水車があるようです。

だいぶ前にNHKの朝倉の三蓮水車の映像をみた記憶とつながりました。

 

何度も筑後川水系をあちこち地図で眺めているうちに、4泊5日の計画ができました。

1日目は別府からゆふ号に乗り、筑後川の上流である玖珠川を車窓から眺めて三隅川になる日田まで行き、三隅川の中洲を歩いてみよう。この日は日田に一泊してみましょう。どんな水害を乗り越えた歴史と風景があるのでしょう。

 

2日目は日田市内の用水路を歩き、うきは駅から水神社、筑後川の放水路と山田堰・三蓮水車を訪ね、そして西鉄で柳川まで行こう。

途中に、周濠のある「御塚・権現塚史跡」という古墳があるようなので、訪ねてみよう。

 

3日目は柳川市内のクリークを歩き尽くそう。

でもちょっとこのあたりでお天気が崩れそうです。

佐賀にも足を伸ばしたいけれど、いくらなんでも詰め込みすぎですね。

 

4日目は遠賀川中流を眺めるために、JR原田線・JR福北ゆたか線を乗り継いで、折尾駅まで行こう。

折尾駅からは水巻駅に向い遠賀川下流の水路沿いに歩き、河口近くの橋を渡って祇園町まで歩いてみよう。

そこからバスで折尾駅に戻り、遠賀川と水路でつながる洞海湾沿いに若松まで行き、この日は洞海湾を眺めながら一泊しよう。

2022年のやり残した宿題である、この地域がどんな感じで工業地帯になっていったのか見てみよう。

 

地図を何度も見ているうちに、若松から洞海湾の対岸へ渡船があることがわかりました。

生活の足としての渡船を逃したら後悔は大きいですからね。

5日目はこの渡船に乗って渡り、小倉駅の近くのあの場所にぜひ行ってみましょう。

それは山陽新幹線が関門海峡の海底トンネルを通過したあとはずっと山の地下を走り、ふわりと地上に出るのが小倉駅の直前で、あの場所をみてみたいという酔狂な計画です。

そのあとはバスで門司駅へ向かい、やり残した宿題の門司港を見てみよう。

地図を見ていると、門司港の南側の「元清滝」に石鎚神社を見つけました。あの水の豊富な伊予西条と石鎚山に関係があるのでしょうか。「清滝」という地名に惹かれてそこを訪ねてみることにしましょう。

 

ということで、土地勘も距離感もほとんどない場所なのでどこまで達成できるかわからない盛りだくさんの計画を詰めて、ゴールデンウィーク明けに出かけてみました。

どんな水路や田んぼの歴史と出会うでしょうか。

 

しばらく5月初旬に出かけたこの記録が、3ヶ月遅れで続きます。

 

 

 

*お見舞い*

日田市を訪ねたときの下書きを書いている時に、ちょうど緊急安全確保が出されました。さいわいにして三隈川の氾濫はなかったようですが、住宅の浸水被害があったようです。

そしてその翌日には八代・氷川町の名前がニュースで伝えられました。3年前に八代の山側を通る路線バスの車窓から広大な干拓地を眺めたのですが、その産交バスの40台が水に浸かりあちこちで浸水が起き、そして乗用車が用水路に流されてお一人亡くなったというニュースでした。い草やハウスのいちごにも被害が出たと伝えられていました。

どうぞ生活が守られますように。

 

 

 

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