米のあれこれ 130 大分川上流の車窓からの田んぼ

5月初旬、13時13分別府駅発のゆふ4号に乗りました。川がよく見えるようにとD席を指定してありましたが、なんと他に誰もいない車両でした。

連休明けの閑散期は、やはりいいですねえ。おかげでシャッター音を気にせず、川の写真を撮ることができました。

 

真っ青な別府湾に沿って走ると、懐かしい大分駅です。2022年に初めて大分市を訪ねました。数キロほど南側を流れる大野川に輪中があることを偶然知り、その長い治水の歴史からようやく1958(昭和33)年に「水稲が初めて収穫された」という記録に出会いました。

大野川を歩いたことが昨日のことのように感じているうちに、ゆふ号は大分川の手前で大きく南西へと向きを変えました。

 

 

 

*大分川の上流へ*

 

JR久大本線はしばらく大分川に沿って走ります。

2017年7月の九州北部豪雨のニュースを追っていた頃はまだ、筑後川がどのあたりを流れているのかも曖昧でしたし、大分川もほとんど知りませんでした、

川や水路を訪ねて遠出をするようになって、各地の線路を地図で追うとだいたい川のそばなので、ちょっとだけですが私の頭のなかの日本地図が正確になってきました。

 

Wikipediaの「久大本線」に、ああ、まさに今回の目的はこれだと思うことが書かれています。

大分県九重町由布院の境にある分水嶺の水分峠より西側は筑後川(三隅川)とその支流の玖珠川に沿って、東側は大分川に沿って九州を横断している。

この大分川から筑後川へと変わる地域を車窓から見て見たいと思ったのでした。

「水分峠」もあるのですね。地図で確認すると九大線はトンネルの中のようです。

 

大分市の市街地を緩やかに上っていきます。大分は陽光が明るく感じますね。豊後国分寺駅の手前あたりから麦秋の風景になり、大分川に近づいたり離れたりしながら左岸の高台へと上って行きました。

灰色の瓦屋根の美しい家並みも見えます。

 

蛇行する大分川に沿って、由布市に入りました。沿線の美しい街と大分川の風景が続きます。

しだいに山へと入り、沿線に田んぼが増えてきましたが、まだ田植えの準備前ぐらいでした。

山も川も田畑も美しい。整然。鍬で田おこし。

田んぼがあるとさらに車窓の風景に集中するのですが、なんと鍬で作業されている方の姿がありメモをしていました。

 

小野屋駅の手前で支流と合流するあたりを見たいと思ったのですが、車窓からは見えませんでした。

ここからは大分川本流沿いに上って行きます。どこも美しい風景です。

大分川と並走しながら山あいに入り、小さな棚田が水鏡になっていました。

見惚れていると少しずつ風景が開け、由布院駅の手前あたりから水鏡の風景になりました。

美しい山の裾野の美しい田んぼの風景でした。

どこから取水しているのでしょうか

 

そんなことを考えているうちに、それまで一人しかいなかった車両が由布院駅でほぼ満席でタイ語と中国語が飛び交う世界になり、ちょっと集中力が途切れそうになりました。

 

由布院駅を出ると列車は大きく南西へと向きを変え、マップとGPSで確認しながら小さな支流や水路を眺めているうちにトンネルへと入り、いよいよ分水嶺です。

水が分かれる場所というのは生活や歴史にどんな影響を与えてきたのだろう、やり残した宿題のように私を駆り立てています。

 

 

*「大分」と田んぼ*

 

温泉街のイメージしかなかった由布院駅ですが、そばに水鏡一面の風景があるのですね。

地図をあらためて眺めてみると、由布岳に源を発した小さな川があのあたりで集まり水田を潤しているようです。どんな用水路の歴史があったのでしょう、歩いてみたいものです。

 

さて散歩の記録をまとめようとWikipediaの「大分川」を読んでいたら、「大分」の語源の諸説が書かれていました。

・『豊後国風土記』によると、この地域を巡幸した景行天皇は広々とした田んぼを見て、「碩田国」(おおきだのくに)と名付けた。後に「大分」と書かれるようになった。

2022年秋に山辺の道の周濠を歩いた時に景行天皇陵を訪ね、以来、毛長堤走水を訪ねた時にもその名前と出会いました。4世紀頃の田んぼの風景はどんな感じだったのでしょう。

 

大分平野の地形は狭くて複雑であるから、「多き田」から来たとの説がある。

半田康夫によると、「分」は「段」と共に「キダ」と訓まれていたため、「大分」は大分川によって刻まれた河岸段丘等による地形を示す。

・渡辺澄夫によると、「キダ」は「段」で「きれめ・きざみ・だん」の意味、「分」は「わかち・わかれ」の意味で、「分離」の意味において両者は相通ずるから、「おおきだ」は「大きくきざみ分けられた所」の意味である。つまり、「大分」は地形が錯綜する「刻まれた地形という表現で、同じく河岸段丘等による地形を示すと考えられる。

(強調は引用者による)

 

あの日の車窓の風景を思い出すと、ああまさにと思う説明でした。

 

棚田や輪中の田んぼ、いずれにしても川によって刻まれた地形ならではの田んぼと共にある日本の歴史ですね。

 

 

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