数字のあれこれ 85 実測の国土交通省と目測の財務省

1990年代にダムや公共事業が気になり見て歩くようになった頃は、当時の建設省というのは批判の対象という時代の雰囲気でした。

何も知らないのに知ったかぶりで「公共事業は無駄」とその世の中の雰囲気に加担してしまったことに、本当に自分も怖い人間になっていたと反省してもしきれないものを抱えた人生になりました。

 

そこにブレーキをかけてくれたのが、もう一度細かな歴史や生活の事実を実際に見て歩こうという方たちとの出会いがありました。

そしてちょうど同じ頃、医療安全対策によって医療が大きく変化していたことがあります。

失敗は、個人の判断ミスだけでなく現場の狂気に巻き込まれておこることもありますね。

行動の失敗だけでなく思考の失敗も含めて、その罪悪感から責任の主体を消してしまうのでなく、間違いを認めることで次に生かし自分自身を生まれ変わらせることもできます。

 

思考の失敗を認めることは、なかなか自尊心が邪魔をしますから時間はかかりますし、何を持って「正しい」かを見極めることができるか。

失敗を認められず、また別の一見正しそうな思考にハマってしまうと過ちに過ちを重ねるだけですからね。

 

 

*数字や歴史の記述が正確か*

 

さて、今日のタイトル、ちょっと偉そうに小難しくしてみたのですが、ここ数年、国土交通省(旧建設省)の資料を読むことが増えて、一本の川ひとつとっても正確に歴史や数字が書かれていることに圧倒されています。

 

そうですよね、1cmどころかおそらくmmの単位での測量の間違いが与える影響も大きいですし、長い長い測量の歴史を積み重ねている、たとえば飛鳥時代には水時計行基さんの時代の頃には「公共事業」の概念がすでにあって、国土を造ってきた歴史があるのですからね。

 

建設や運輸関係で、リスクマネージメントが医療よりも先に発展してきた理由がなんとなくわかるようになりました。

 

そしてあちこちを訪ね歩くようになり、川や水路あるいは田んぼのそばに建つ石碑には、土木技術やその地域の災害やそれを乗り越えた歴史が記録されています。

遠出から帰宅して検索すると、この国の国土交通省や農林水産省の歴史の膨大な記録に圧倒されるようになりました。

 

 

*目測の財務省

 

さて、それに対して大蔵省というのは政治家の汚職の話題などはあっても、さすがに「国の家計簿」ですから計算は正確なのだろうと、当時は思っていました。

 

ところが最近は、取りすぎた消費税といいながら所得税や給付金で戻そうとしたり、財源はないと増税しながら打ち出の小槌は何度も使うし、消費税は福祉税といいながらどんどんと社会保険料は上がるし、国債は孫子の借金といいながらインフレ傾向になった最近はテレビなどで国債のCMを流すし、なんだかよくわかりませんね。

 

その政策の変遷の根拠はなんだろうと検索しても、歴史がわかるようなものはほとんどありません。

もしかして財務省の計算は「目測」ではないかと思うこの頃。

きっと一世紀後の教科書では、この時代の政治経済について正確な史実は見つけられないかもしれないですね。

 

国土交通省農林水産省は実測、財務省は目測。

そして省庁にも虚業と実業があるかもしないと、ふと思いつきました。

 

 

*ず〜っともしかしたら目をくらまされていたのではないか*

 

とりわけ、お米の値段が突然上がり出した昨年から気になるようになったのが、株価のニュースです。

 

何かがあると株価のニュースが真っ先に流れ、街中の「投資家」がインタビューに答え、そして最後の方でアメリカのとある場面が映し出されます。

検索したら、「ニューヨーク証券取引所の市場の始まりと終わりに鐘を鳴らすイベント」とありました。

それが「経済(株の売買)」というイメージをいつの間にか刷り込まれていたのではないかと。

 

最近は、あの数字はなんだか実体のない数字に見えてきて、なぜそれに自分の生活が大きく影響されることが政治・経済なのだろうと思えてきました。

 

まあ株とも無縁の、数字の苦手なアリですからね。

でもちゃんと家計簿はつけて、消費税も一円単位で記録していますからね。

 

 

 

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