5月初旬の遠出から1ヶ月ほど過ぎた6月10日に、大雨警報でその地名がニュースから聞こえてきました。
美しい街を思い出して、大きな被害が出ませんようにと祈りました。実際に訪ねた場所のニュースというのは我が事のような気持ちになりますね。
そしてそろそろその遠出の記録をまとめようと準備を始めた7月下旬から、またその地域で「40度」とニュースになるようになりました。
日田市は洪水だけでなく、猛暑の地でもあったようです。
日田駅に到着し、さっそく駅前の地図を見て南側に広がる水色の場所を目指しました。
三隈川(筑後川)の川幅が広がり、そこから3本に分かれて中洲のような場所を流れ、2kmぐらい下流で北側からの別の川も合わせてまた1本の三隈川となります。
地図でここを見て、ぜひどんな風景なのか見てみたいと思っていました。
まずは駅から南120mほどのところに描かれている水路を目指しました。
幹線水路のような水量の多い流れです。周囲は遊歩道のように整備されていて、欄干に「中野川」とありました。検索すると、八重桜が美しい区間のようです。
*三隈川をぐるりと歩く*
さあいよいよ三隈川へと向かいましょう。
住宅地の蛇行した道を歩くと、かつては田んぼだったような場所や茅葺屋根の家もあります。
三隈川右岸のまさに川のそばの川原町までくると、家と家の間に川面が見えました。トンビがいつの間にか私の上を旋回して、観察されています。
三叉路の真ん中にお社がありました。
その手前を左に入ると橋が見えてきました。歩道が広くとられていてゆっくり歩けそうです。
「ぜにぶちばし そくどうきょう 昭和五十三年三月竣工」と表示がありました。
「昭和五十三年(1978年)」、私は何をしていただろう、この地域にはどんなことがあったのだろう、最近は年号を見ると自分の中の年表、特に災害史を正確な年表にしなければという思いが強くなってきました。
橋の真ん中で上流側を眺めました。二百数十メートルはありそうな川幅にゆったりと流れています。ゆふ号の車窓から眺めたような小さな沢が集まって、こんな大きな川になるのですね。
遠くに、目立つ高い山が見えました。「由布岳だ!」と思ったのですが、後でホテルの方に尋ねたたら「日田からは由布岳は見えないんじゃないかな」とのこと。
ほんと、山の名前を知るのは大変です。
下流側を見ると、3つに分れるあたりにそれぞれ堰のようなものが見えました。
だからゆったりと湖のような川面なのですね。おかげで足がすくむこともなく、のんびりと歩いて渡ることができました。
左岸側の川沿いの道を病院の辺りで少し西へと曲がると、三隈川が二手に分かれた流れの間にある中之島町の公園が見えました。
手前の三隈川には緩やかな段になった堰があり、その向こうの三隈川には水門で仕切られた堰があります。
真ん中の三隈川の向こうに亀山公園が見えて、その先に庄手川が分かれていくようですが、水草の中に沈下橋のようなものが見えて、また趣の違う川のようです。
そしてその3つの川の手前は、まるで水鏡のように静かな水面が広がり、夕方の空と雲がくっきりと映って幻想的な風景でした。
どんなところだろうと地図からあれこれ思い描いていたのですが、想像を遥かに超える美しい場所でした。
そして、川のそばまで住宅やホテルが立ち並んでいます。
確か8年前の水害では濁流が流れ、広範囲に浸水した家々を映像で観た記憶があるのですが、目の前には静かな街がありました。
「落ち着いた街」まとめはこちら。