水の神様を訪ねる 110 中ノ島町の水天宮と「古今未曾有と称される豪雨」

三隈川(みくまがわ)が分れる場所は想像以上の美しさでした。

次は、二つに分かれた三隈川の間にある三隈川公園とその西へと小さな水路が描かれて「水天宮」がある場所を歩く計画です。

 

手前の三隈川には緩やかな段の堰と魚道があり、左手の山にぶつかるように流れていました。

橋を渡ると目の前は公園で、三隈川を眺められるようにベンチがあります。

しばらくそこに座って、湖のような川面を眺めました。

 

公園の西側は住宅地が一段低い場所にあり、地図の通り、水路が忽然と始まっていました。

想像していた「側溝」のような水路ではなく、石積みの美しい水路です。そして面している家からさらに一段下がった場所に水を汲むことができる場所があります。

長いこと生活の中で使われてきた水路のようでした。

 

これまた想像以上の美しい水路に目が離せなくなったまま歩いていると、地図に示されていた場所にお社がありました。その前はかつては田んぼだった場所でしょうか。

神社名も御由緒もわかりませんが、玉砂利がきれいに掃き清められ、そして前を流れる水路の美しさから今も大切な場所であることがわかりました。

 

訪ねることができて本当に良かったと思いながら、どうぞこの地域を水害や水不足からお守りくださいと頭を下げたのでした。

 

 

筑後川工事事務所日田出張所の沿革*

 

中之島町から次に亀山公園へ行こうと、水門のある堰の上の橋を渡ろうとしたら、そばの筑後川工事事務所の敷地に石碑がありました。

 

国土交通省九州地区整備局筑後川工事事務所日田出張所の沿革

 

昭和二十八年六月、古今未曾有と称される豪雨は、筑後川流域地区に大洪水を発生させ、甚大な被害をもたらした。

この災害に鑑み、上流部に於いては洪水調節ダム等の構築を含む、筑後川水系治水基本計画が策定された。

昭和二十八年 十月 建設省九州地方建設局久世畑堰調査出張所として現在の日田市三本松町に開所。

昭和二十九年 五月 同町の中央公園一角に移転。

昭和二十九年 八月 名称を日田出張所に改称。

昭和三十一年 四月 日田市若宮町の新庁舎に移転。

昭和三十一年 十二月 同局日田工事事務所に組織改革。

昭和三十八年 四月 島内堰などの改修工事概成に伴い筑後川工事事務所日田出張所に改編。

平成十三年  一月 省庁再編により国土交通省九州地方整備局筑後川工事事務所日田出張所に組織改正。現在地に移転。

 

この数行の記録の行間から、「古今未曾有と称される豪雨」の惨状から復興までの状況を広い世の中には正確に記憶し記録していらっしゃる方々がいることでしょう。

 

そばにある水門の上の橋には「昭和三十九年三月竣工」、そして水門の柱に「島内可動堰 昭和三十九年三月」とありました。

 

 

*「昭和28年」西日本水害*

 

Wikipediaで検索すると、「古今未曾有と称される豪雨」は「昭和28年西日本水害」のようです。

 

昭和28年西日本水害(しょうわ28ねんにしにほんすいがい)は1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県、佐賀県熊本県大分県)を中心に発生した梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害である。

阿蘇山英彦山を中心に、総降水量が1,000ミリを超える記録的な豪雨により、九州最大の河川である筑後川をはじめ白川など、九州北部を流れる河川がほぼ全て氾濫。流域に戦後最悪となる水害を引き起こし、死者・行方不明者1,001名、浸水家屋45万棟、被災者約100万人という大災害となった。

この水害により、筑後川など九州北部の河川における治水対策が根本から改められることになり、現在に於いても基本高水流量の基準となっている。

(強調は引用者による)

 

降水量もさることながら、いくつかの理由があったことが書かれています。

昭和28年西日本水害が九州北部地域に甚大な被害をもたらした原因として、集中豪雨が発生しやすい梅雨末期の気象要因、阿蘇山の噴火活動による地質的な要因、および九州北部を流れる河川流域の地形的な要因などがあり、それらが複合して被害を大きくしている。

 

それにしてもWikipediaの詳細な説明には圧倒されますね。どなたが記録されているのでしょうか。

日田市の状況もありました。

また日田市・日田郡玖珠郡では、筑後川本流と支流の玖珠川が氾濫、濁流は日田市内へ流れこみ、市内の通りを激流となって押し寄せ、筑後川(三隈川)にかかる銭渕橋が吹き飛ばされたのをはじめ、完成したばかりである国道210号戦三隈大橋以外のすべてが流出・破壊された。日田市は日田盆地にあるが、この地は筑後川玖珠川花月川が一斉に合流する土地で、かつ下流に夜明峡谷があるため、河水の流下能力が乏しく、洪水の際には峡谷がダム化して行き場を失った河水が上流の日田市内へと逆流。このため市内は洪水が「貯水」された格好になり、全市が平均1・2メートルの深さで浸水した。これに輪をかけて三隈大橋に上流から流れてくる大量の流木がせき止められてダム化し、浸水被害に拍車をかけた。玖珠川合流地点より上流部の筑後川(大山川)流域や玖珠川上流部でも水位が軒並み10メートルを超え、河道が変わるほどの濁流となり、農地や家屋の流出が深刻であった。玖珠川では、川に架かる18の橋梁中11橋梁が流出した。これにより完全に孤立した。日田市では死者17名、被災者数3万7,000人に及んだ。

(強調は引用者による)

 

「古今未曾有と称される豪雨」がどのような場所を襲ったのか、ゆふ号の車窓から見えた風景が重なりました。

 

 

*おまけ*

遠出をするようになり、川のそばに建つ河川事務所のそばを歩くことも増えました。

平時からの管理だけでなく災害時の出動に、どうぞ皆さん無事でありますようにと祈っています。

公共事業は無駄とか、利権がという視点だけで頭でっかちだった頃の自分は、ほんと何も知らなかったからだと赤面することが増えました。

そして怖いのは人間で、私もまたその一人になりかけていたその責任をどう取れるだろうと考えています。

 

 

「水の神様を訪ねる」まとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら