生活のあれこれ 67 生活や歴史の葛藤が感じられない「強い農業」

懐かしい筑後川流域の田園風景の写真を見ながら、2週間ほど前に「健全なる國家は健全なる農村の建設と農民生活の安定にあり」の下書きを書いておいたのですが、公開する前日に「強い農業」という言葉がニュースを流れていきました。

 

「強い農業」の発想欠いた 奥原正明・元農水省事務次官

(2025年9月3日、JIJI.COM)

 

ー戦後農政の問題点は。

 大きかったのは農地改革だ。戦前の地主制度の下で困窮していた小作人を救済するため、国が地主から農地を買い上げて小作人に売り渡した。この結果、規模の小さい農家が多数生まれ、生産性の低い構造となった。一度所有された農地はなかなか手放されず、流動性も阻害された。農地改革には、将来の農業を発展させていく発想が欠けていた。

 

ー戦中・戦後は食糧難だった。

 戦争中はコメが足りない状態で、とにかく消費者に公平に分けるという観点で食糧管理法が制定された。国がコメを全量管理する仕組みで、これが戦後も長く続いた。

 

ー問題点は。

 生産されたすべてのコメを国が買う仕組みは、足りない時にはいいが、コメが余るようになった1970年ごろから非常に大きな問題になった。法律上、国は買う義務があるため、過剰米が国にどんどんたまった。

 

ーどう対応したのか。

 そこで食管法を見直すべきだったが、コメが余るようになっても、農協は政府買い入れ価格を高くする政治運動を展開し、なかなか改正できなかった。その結果、政府は膨大な過剰在庫を抱え、計3兆円をかけて過剰米を処理し、やむを得ず導入したのが生産調整(減反)だった。

 

ー今後に生かすべき視点は。

 農業政策は伝統的に「弱い農業を守る」意識が非常に強いが、最終的な目的は食の安定供給にある輸入に依存できる前提だった安定した国際秩序や日本の強い経済力もなくなり、地球温暖化の影響も深刻化した。「強い農業をつくる」意識をきちんと持ち、輸出できる競争力を持った農業をつくることが重要だ。

 

ー強い農業には農地集約が必要か。

 2013年に成立した農地バンク法の効果もあり、農地の6割はプロ農家が利用するようになったが、ここまで80年もかかった。プロ農家も農地は分散しているのが実情で、これを集約化し、大区画化していけば、生産性は飛躍的に向上する。

(強調は引用者による)

 

最近よく目にする「GHQが行った農地改革が・・・」というコメントのでどころはこのあたりからなのでしょうか。

 

以前だったらスルッと誤魔化されていたような内容ですが、農業や治水・利水の全国各地の歴史の違いをはしょりすぎだし、「輸入に依存できる」「輸出できる競争力」で「食の安定供給」が達成できるのだろうか、「プロ農家」ってなんだろう、正確に農業の歴史を記録してきた農林水産省のトップとは思えない発言ですね。

 

この方のWikipediaの説明を読んで、ああ、こういう背景なのかとわかりました。

それにしても、今なぜこの人がニュースになるのでしょうね。

裏には魑魅魍魎が跋扈する世界がありそうですが。

 

 

*「改革」ってなんだろう*

 

穏やかな笑顔の写真とは裏腹に「ゲシュタポ」とまで書かれていて、その時代を知らない私でも子どもの頃から鳥肌が立つぐらい恐怖を感じる言葉です。

その言葉が「強い農業」と結びつくと・・・、あまり想像したくないですがこんな記事がありました。

 

「改革派の事務次官就任で農協は戦々恐々ーー農林水産省

(2016年7月6日、経済界ウェブ)

 政府は6月14日、農林水産省本川一善事務次官の後任に、奥原正明経済局長を充てる人事を発表した。奥原氏は昨年の農協改革を主導した省内きっての改革派だ。この人事には守旧派自民党農林幹部から「待った」がかかったが、官邸側にねじ伏せられた農政改革に向けた官邸の本気度が表面化した今回の人事に、農協など農業団体だけでなく、省内職員までも戦々恐々のようだ。

 奥原氏は前任の本川氏と同期(1979年)入省。中央官庁の事務次官に同期入省2人が就任するケースは珍しく、水産庁林野庁の長官経験者を次官に充てていたこれまでの農水省慣例をも打ち破る異例の人事だ。それだけに、省内外では専ら「官邸の農業改革にかける強い意志が反映された人事」(農水省幹部)と受け止められている。一方で、一部の守旧派族議員からは「政府の改革色が強すぎる人事」との懸念は強いようだ。

 とはいえ、奥原氏の実務面への評価は高い。2011年8月から経営局長を務めると、農地中間管理機構(農地バンク)の創設や、約60年ぶりの農協制度の抜本改革の実務を主導。官邸側の求める改革実現のため、政治家にも媚びずに反対派を黙らせ、JAグループには厳しい対応を貫き農協改革を実行した

 ただ、「実務能力は抜群だが、人望は薄い」「優秀すぎて自分1人で案件を解決してしまう」「融通が効かず、組織を束ねるにはふさわしくない」など、奥原氏への批判は少なくない。各部署や職員の細かい動向まで目を配り、担当局以外の政策にも口を出すなど省内外で敵も多かった。そのため、事務次官の登竜門とされる役職からも遠ざかり、次官レースからはそうそうに脱落したと思われていた。

 そんな奥原氏の次官就任は、これまで奥原氏に反発してきた多くの農水省職員を憂鬱にさせていることは容易に想像できる。「奥原体制で大規模な人事の配置換えが行われ、守旧派が一掃されるのではないか」(農水省OB)との憶測も広がっている。農協関係者もかなり辟易しているようで、「徹底的に農協を潰す総仕上げに入るのではないか」(JA職員)と狼狽の色を隠せないでいる。

 穏健派を黙らせ、着実に仕事をこなす姿に一部の職員から「農水省ゲシュタポナチス秘密警察)」と恐れられた奥原氏。どんな農政を築きあげていくのか注目したい。

(強調は引用者による)

怖いですねえ。

ここまで記事に書かれるのですから、当時は反対する力も大きかったのでしょう。

 

農政だけでなく、医療でも前首相の発言だけで、積み重ねてきた制度の根幹をあっという間に変えさせられるとか、利便性の先に強制が待っているとか、じわじわと何か怖さを感じていたのはこういう雰囲気だったのかとわかりました。

 

「改革」といいながら現場からの必要性や話し合いをもとにした民主的な手法ではなく、自由市場経済だから強い競争力といいつつ、なんでも世代間の敵対心と不公平感を煽りながら国が補助したり無償にする「社会主義的な手法」を濫用する矛盾。

労働で得た対価をむしりとっていくのは、成金同士の融通のために、生かさず殺さずでようやく生活できる「奴隷」の存在が必要ですからね。

その目的の実現のためには、本当は国民のために働いているはずの公務員を恐怖政治で管理するのだと実感するこの頃。

 

ポイントやら給付金なんかで誤魔化されてはいけない。

それは国民みんなが豊かになるような社会を求めていない人たちが、いいように搾り取れる奴隷を確保するための常套手段であり、そんな人たちを政治家や官僚にしてしまうシステムの失敗ですね。

 

自由とか民主といいながら、国民に選ばれたわけでもない人たちが勝手に政策を決めて、勝手に財源をつけてしまうそんな大失敗の成れの果てが、恐怖政治を生んでいるのだと。

それを強行する人が「実務で優秀」と思われているなんて。

 

十数年前はまだ、日本は自由で平和で民主的な国だと思い込んでいました。

目を覚ましていないと怖い世の中ですね。

 

 

*おまけ*

昨今の異様なほどのJA叩きの風潮を見ると、郵政民営化へのこだわりも特定郵便局長会との個人的遺恨からという見方もあながち間違いではなさそうな気がしてきました。あの時にもゲシュタポ的な存在がいたのでしょうか。

「強いなんとか」とか「改革」には要注意。国民の生活とは預かり知らぬところで怖いことが決まっていきそうです。

 

 

 

 

 

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