筑後川対岸の佐賀の空が煙っているのを見て翌日は雨だと確信したのは、今年3月の山火事のニュースを追っていた時に農家の野焼きは翌日が雨の日に行われるというコメントを読んで、今さらながらにそうだったのかと印象に残っていたからでした。
日差しが強い中の散歩よりは小雨ぐらいの方が「クリークを歩き尽くす」には良さそうですが、午後3時ごろの天気予報では「明日は本降り決定」です。さすがに田んぼを見て回るのは難しそうですね。
ということで、3日目に訪ねる予定だったクリークの里石丸山公園へ行こうと、西鉄大溝駅で下車しました。
駅が近づく直前から森のように木々が豊な場所に、整然と公園があり元気に小学生が遊んでいる姿が見えました。
*クリークの里へ*
柳川のどこを歩こうかと地図を眺めていたら、このクリークの里に「クリーク資料館」があることを見つけました。
2021年に佐賀の横武クリーク公園のそばまで行ったものの公園内は歩かなかったので、そのリベンジですね。
この地域のクリークの、どんな歴史を知ることができるのでしょう。
期待感いっぱいで公園へと入りました。
公園の入り口には遊具があって、学校帰りの子どもたちが遊んでしました。
小さな橋で堀を渡ると、あちこちにベンチのある静寂な公園です。
地図がなければ入り組んだ堀には気づかず、ごくふつうの池がある公園と思ってしまうかもしれません。
しばらくベンチに座って、堀を眺めました。
置物かと思ったのは本物の白鷺で、身動きもせずにじっと佇んでいました。
念願の公園に来ることができました。
さあ資料館へ向かいましょう。
と、中は暗く、鍵が閉まっていました。
ガラスドアに顔をつけるように中をのぞいてみましたが、人の気配もなく、展示物もよく見えません。
ああ。
入り口に「ごあいさつ」が書かれていました。
クリーク(堀)のま地、大木町(おおきまち)の石丸山公園においでくださいましてありがとうございます。ここ石丸山公園は、昔の人々が築いた農耕文化遺産でもある堀のある景観をできる限り自然のままに保存した自然観察園です。
この公園には、魚、カメ、野鳥、昆虫や水辺の植物が見られます。ここは、自然と人がふれあえる公園です。
昔の人が築いた農耕文化。
まさに一世代に一干拓で沖合へと田んぼを広げ、そして水源らしい水源のないところで淡水を得る技術。
クリークというのはただの堀や水路という意味でもない。
それが目の前に広がっています。
資料館を見学できなかったのは残念でしたが、またやり残した宿題という再訪の口実にすることにしましょう。
鳥の囀り、風の音、すこし離れた場所からの子どもたちの楽しそうな声。
時々飛行機の音がするのは、佐賀空港への離発着の便でしょうか。
過去から現代へ、そしていつまでも水田が健在な未来を思いながら、しばしベンチに腰掛けてぼ〜っと堀を眺めました。
大木町はクリークで知られる(平安時代にはクリークが現在の町面積の約15%を占めていた)地域であることから、その農耕文化の遺産を後世に伝えるために整備された公園。広場には滑り台やブランコなどの遊具などが設置されているほか、クリークを住みかとする動植物を保護すべく、自然観察園として利用されている。敷地内にはクリーク資料館もあり、かつて使用された農具などを展示している。
(Wikipedia「クリークの里石丸山公園」)
千数百年の歴史のある田んぼにできた公園で遊び、自分が生活する場所がどんなところなのかを知ることができる現代の小学生はほんと、うらやましいですね。
きっと子どもの頃からそういう知識に触れていたら、30年後、半世紀後には怖い人間は減るかもしれないと、ちょっと明るい希望の光が見えてきました。
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