正しさより正確性を 30 「理系だから」だろうか

佐野常民の人生や考えを知ることができた圧倒される記念館でした。

 

ただ、20年ぐらい前なら「伊能忠敬を顕彰する」のパネルの最後の文章もさらっと読み流して納得してしまったのだと思いますが、ちょっとひっかかってしまいました。

 

ちなみに佐野が講演した場である、東京地学協会は、ウィーン、ロンドン、サンクトペテルスブルグの王立地理学会に、渡邊洪基、鍋島直大榎本武揚が所属したことを契機に、国内でも海外にならい、地学、測量学の重要性を普及啓蒙することを目的として明治12年(1879)設立、会長に北白川能久親王、会員には前述の渡邊、榎本をはじめ、伊藤博文、赤松則良等政界、華族、軍関係、知識人など錚々たるメンバーが集まる中、福沢諭吉とともに佐野も理事に名を連ねています。この点からも、改めて佐野の人脈の広さと、いわゆる「理系面」の経験と深い造詣をあらわすものといえるのではないでしょうか。

 

 

*「錚々たるメンバー」「人脈の広さ」*

 

たしかに世の中的には「錚々たるメンバー」かもしれませんが、佐野常民自身がそう思ったのかという点です。

出席者は誰々という淡々と事実のみの記述で良さそうですが、この文章を残した人自身が物足りないという気持ちではないかと想像しました。

 

ここ半世紀ほどは「社会的にどんな立派な行いをしたか」「罪を犯さずに他の人を大事にしたか」よりは、有名になるとか、有名な学校を出たとか、金持ちや政治家の家系だとかを大事にしたい風潮でしたし、「セレブ」なんて好む人が出現しそして表に裏に社会に影響を与える手段や人脈を好む人が出現した時代ですからね。

 

でも戦死者を並べてとりでにするような戦いから人の命を尊重し、苦しみの中にいるものは敵味方なく救うという普遍性に気づいた常民は、相手が身分の高い人かどうかよりも大事なものがあったのではないか。

そんな気がしました。

 

 

*「いわゆる『理系面』」*

 

地図は数学であり、数学が苦手になった私が言っても説得力に欠けるのですが、「いわゆる『理系面』」の一文にも、社会の思い込みの強さを感じました。

 

そう、私が受験する頃にはすでにあった「理系か文系か」の境界線と、理系の方が頭がいいという思い込みですね。

「女は大学に行く必要がない」「女性はせめてあるいは短大まで」という雰囲気で、進学校でさえも「女子は文系、男子は理系」のバランスでしたから、そもそもスタートラインに足枷があった時代でした。

 

「科学」というと理系あるいは科学者の領域(男性の領域)だと思い込んでいました。

 

「科学」と「科学的」との違いを漠然と感じたのは、2000年代半ばから読むようになったニセ科学の議論の中でした。

助産師の世界に広がる民間療法的なものに疑問を持ったことがきっかけでしたが、時々「中学生の教科書にも載っている科学の基本的なことを理解していないからだ」という意見が書き込まれました。

「えっ、理系的な頭じゃない人が罠にひかかっていると思っているのだろうか」と、社会には「理系と文系」の境界線が根強いのだなあと驚きました。

 

「理系」を自負していなくてもニセ科学の問題の本質をわかりやすく説明される方もいて、数学で習った論理的帰結とつながり「なんと科学的なものの見方だろう」と思いました。

そしておそらくそういう方は人の「生活」という視点があるのだろうと思います。

 

しだいに、すごい科学者とか天才といわれる人でも分野が違えばちょっと頓珍漢なことになるのだという、当たり前のこともわかりました。

そして社会全体にシュールなことが好きそうですからね。

 

つまり、「科学的な態度」とはどこまでわかっていて何がわかっていないのか頭の中が整理されているからこそ、わからないこと知らない世界への扉が次々と開いていくのではないか。

あるいはより正確に物事を観察しようとすることにつながるのではないか。

 

あの「植物の持つ特性を変えない」、「それが初めから存在しなかった」とはせずにありのままを描くボタニカルアートは科学的ですからね。

そこには理系も文系も関係ないだろうなと。

むしろ、佐野常民氏は「理系だから」というより、「科学的な思考と態度」を持っていらっしゃったという方がより正確ではないかと思ったのでした。

 

 

そろそろ、「錚々たるメンバー」や「理系」といったイメージに惑わされる時代は終わるでしょうか。

それとも歴史は繰り返すでしょうか。

 

 

*おまけ*

 

政治経済も国民のありのままの声を反映しないどころか声をなかったことにしたり、数字も恣意的に使うことがしばしばあるので「科学的」とは言えなさそうですし、虚業に近いような気がするこの頃です。

 

と、ここまで下書きを書いておいたあとで、まさかの総裁選にステマ騒ぎ。

そしてみんなでかばいあい「あることもないことにする」候補者の姿に、ああ、ほんとIT立国とか言いながら虚業の世界の錬金術で、妄想の世界にはリスクマネージメントなんて言葉が浸透しないのでどんどんとつじつまが合わなくなっていく。

 

政治経済に必要なのは「科学的な思考」のような気がするのですが、権力やお金儲けのためには邪魔ですね。

 

 

 

 

 

「正しさより正確性を」まとめはこちら

失敗とかリスクについてのまとめはこちら

あの日(2022年7月8日)から考えたことのまとめはこちら

生活とデジタルについてのまとめはこちら