魚や漁師や漁港についてのまとめ

ブログ名は1980年代ごろから行き来していた東南アジアの国で海をながめ、漁師の人たちと出会ったことがきっかけで、ハンドル名もやはりそこに行き着くと思い返すこの頃です。

 

そして、東南アジアの漁師さんから言われた宿題を考え続けています。

世界中から魚をとってきた日本は食べすぎているのではないかという40年ほど前からの不安が的中したのか、とうとう大衆魚と呼ばれた魚でさえ日常的には食べることができなくなりました。

缶詰の魚も高くなって手が出なくなった反面、スーパーの棚には人間用よりも高価で色とりどりの猫缶が並び、そして海外からのエビや貝がむしろ安定した安さを維持しているのはシュールな光景です。

 

最近は国内のあちこちを歩くようになりましたが、海をながめ、そして漁港や市場があれば立ち寄っています。

それぞれの国の漁師さんたちが、それぞれの国の資源を生かし管理しながらそれぞれの国の内需拡大で対等になる方法も、みんなが過不足なく栄養を取れる方法もあったのではないか。

そんなことを漠然と思いながら書いた魚や漁師さんの生活や漁港についての記事がだいぶたまったので、覚書のためにまとめておこうと思います。

 

そしてもう一つ、20代の頃から心に残っていた「人間をとる漁師になれ」という新約聖書の一説があります。

ググったらAIが答えてくれました。

エスにとって「人間の漁師」になることとは、人材確保や会員獲得のようなことではなく、自ら社会の中に飛び込んで、一人一人と出会い、その人の喜びや希望、また苦しみや悲しみを知り、共に生きようとする、というものでした。

(強調は引用者による)

「人材確保」とか「会員獲得」なんて言葉はいかにも現代っぽい読み解き方でちょっと違うなあと思うので、やはりAIも万能ではなさそうですね。

でも、まさにお金や自分が大事という現代に欠けているものですね。

 

 

 

 

<2012年>

途上国の貧困、漁師でも魚を十分に食べられない

漁船で祖国から逃げ、漁師に助けられる

<2013年>

「エビと日本人」

水の中、国境のない海へ

「根こそぎとって高級な魚は日本へ」「みんな伐採して日本へ」

お肌の曲がり角より筋肉の曲がり角

栄養失調児の親もまた栄養不足

片手で援助、片手で搾取。世界中に無償援助で建設された漁港

マグロとエビをやめた。高級な魚は日本とキャットフードに

エビとバナナと日本人

<2014年>

マグロが海中で泳ぐ姿と速さ

マグロとニモ、泳ぎを習う

社会の中での身体能力

<2015年>

魚を呼び寄せる、「遠洋とはよその国の沿岸・沖合である」

魚を食べられるということ、日本は魚を食べすぎているのでは

うねりの南シナ海へ小さな漁船で

なぜおいしいエビなのに大きさが揃わないと買ってもらえないのか

魚を塩につけて保存する

ダム建設で浸水被害を受けるようになった湖の漁師さん

<2016年>

大海原のランドマーク 惚れ惚れする漁師さんの動き

エビを輸入するということはその国の水を輸入することにもなる

夜は軽く、家で料理をしない

「三重の漁師町の珍味マンボウ」

「タンパク質が足りないよ」の時代と遠洋漁業

<2017年>

運河と漁港とプレジャーボート基地

「赤道を越えても腐らない水」

生産量を上げるためにエビの眼を切断

1990年代、「環境」を習う小学生に東南アジアの漁師の話をする

<2018年>

海に囲まれているのに魚がとれない国

東南アジアの石のような干し魚

魚の食べ方

世界中の魚介類への研究心と世界中の海や湖から日本の食卓へと

それは誰のものなのか

堀江ねこざねと漁師町

アミの塩辛と塩田

かつて遠浅の海と漁師町だった谷津干潟

利根川河口へ

<2019年>

漁港を歩く

房総半島と勝浦漁港、漁港の朝市

ひたすら川と海と漁港を見に紀伊半島へ

水害の歴史と漁港を訪ねる

森と清流と美しい海岸線の紀伊半島

焼津漁港

エビや水産物と「搾取」

あれすさむ海と漁師さんの協力でできた町立水族館

漁師さんの小舟でマングローブの森から外洋へ、マングローブと社会問題の回想

仙台から柳津へ、仙石線から見えた海岸線

気仙沼BRTから見えた海岸線

遠くに見えた小名浜港

断崖を切り崩して造られた漁港

松川浦から相馬港へ

亘理(わたり)と鳥の海

荒浜漁港の津波の報告

<2020年>

漁港で食べる

近江八幡から堀切港へ

淡水魚を食べる

三浦半島の海の神様

漁師が出稼ぎから解放された十三湖のしじみ

貝を食べる

「全員漁船に救助される」

穴水から能登町役場へ、能登半島の海岸線

小浜(おばま)線と小浜港

東舞鶴から西舞鶴の海岸線

幻のサバ焼定食

<2021年>

魚屋さんの魚料理

海岸線の養殖場と内戦

知多半島の先端をまわる

佐世保から相浦(あいのうら)までの海岸線

相浦港の歴史

西九州線、相浦から伊万里へ

大船渡線BRT、気仙沼から陸前高田へ

三陸鉄道、盛駅から宮古へ

八戸線の車窓から見た海岸線

八戸港の歴史

<2022年>

漁港や工場や家屋がなん度も津波にのみ込まれる

三陸鉄道、久慈から釜石へ

漁師町日生(ひなせ)を歩く

日本水難救済会、1889年(明治22)に創設

「1977年、スケトウダラ船団が下関から出港」

防府駅から秋穂(あいお)漁港へ

塩田跡地を利用した秋穂の車海老養殖

下関漁港と大瀬戸・小瀬戸

漁民と旅人の神社

焼き魚

オランダのニシン漁師さんの生活

相模湾に浮かぶ小さな小舟の漁師さんの姿

<2023年>

小浜の漁港のそばに湧く雲上の水

高級魚は海外へ

まずは氷見漁港の魚市場食堂へ

十二町潟と氷見漁港

庄川合口堰堤で岩魚を食べる

<2024年>

大ボラと言われた豊川用水構想と赤羽漁港構想

4mも隆起した海岸線と「なりわい」という文学的表現

走水漁港

走水の海岸線

燧灘(ひうちなだ)の河原津の漁村と干拓

志度駅の小さな魚屋さんと、「四海安泰、四時豊漁」の神様

<2025年>

魚族供養塔

相模川の鮎供養碑

大きな弧を描く土佐湾の海岸線

200海里問題により農林省から農林水産省へ

家庭で海苔を買えなくなったのは温暖化のせい?

水産橋と沖端漁港

「水産研究125年の歴史」

海老も獲れた遠浅の海から死の海を経て、復活しつつある時代へ

農林水産大臣就任記者会見

今も内戦状態にある小さな漁村の東屋

 

 

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