観察する 80 どうやって生き、どうやって土に還るか

春先から百花繚乱の季節が初夏まで続くので、私の日記がわりのスマホの手帳には毎日花の記録が書き込まれていきます。

撮った写真からその道端のすごい世界の名前や生活史にたどり着けるようになったので、もう子どものようにあっちの花によっては写真を撮り、と道草ばかりの日々でした。

 

*初夏の「見ると幸せになる花」*

 

6月に入るとだいぶ花の季節が落ち着き、メモが少なくなっていきますが、今度は目を皿のようにして一つの花を追う季節になります。

20年以上前に初めてその存在に気づいたネジバナで、世紀の大発見ぐらいに思ったら、母が簡単にその名前を教えてくれたのでした。

以来、6月ごろになると意識は道端にいき、どんなふうに成長しているか花が咲く前から見てみたいと思っているのですが、いつも可憐なピンクの花がスクッと伸びているのでした。

 

この「観察する」というテーマを思いついたのも、中学生のネジバナの観察記録に感激して、私もやってみたいと思ったからですが、大人は何だか忙しすぎますね。

相変わらずつぼみがつく前の状態をみたことがありません。

 

それでも毎年、ネジバナの記録が書き込まれます。

6月8日に1ヶ月前に歩いた懐かしい九州北部の梅雨明け宣言が出て、その翌日にいつもの場所に「小さなネジバナ」が咲いたことを記録していました。

それから2週間ほどはあちこちでネジバナを見つけ、同じようなピンクでも濃いのもあれば淡いのもあることがだいぶ見えました。

花の濃淡は、咲いている場所によってという法則性があるわけでもなさそうです。

 

よく通る道のネジバナは、しだいに茶色くなってその存在が無くなるまで見送ることができました。

しだいにクチナシの花の香りが漂う季節に変わりました。

 

 

*晩夏から初秋の「見ると幸せになる花」*

 

秋の気配を感じると、また目を皿のようにして道端を眺める季節になります。

植物をよく知っていた母が名前を知らなかったツルボで、こちらもかれこれ20年ほど気にしながら歩いています。

 

昨年は9月に入っても朦朧とする暑さの中、ツルボを探しに散歩をしました。

今年はさらに暑かったので、開花がいつになるのだろうと思っていたところ、9月に入りようやく新宿御苑で咲き始めた情報がありました。

今年はゲリラ雷雨が頻繁にあったので、早くみたいと思いつつ天気予報を見て延期になることがしばしば。

 

ようやく9月16日に明治神宮に出かけました。きれいに草が刈り取られた後にポツリポツリと咲いていました。猛暑で少ないのかなと思ったら、その先に群生していました。

ああ、美しい!

草刈りの後にすぐに伸びるのですからすごい生命力ですね。

 

近くの公園にも咲いている場所をいくつか知っているので、連日歩きました。いつもの年よりも茎が太く育っているような印象ですが、観察方法はいい加減ですからね。

 

そして9月21日。やはりあの場所に行ってみたくなりました。

大手門から入り、石垣のあたりを目を皿のようにして歩きました。東御苑に入るとあちこちにツルボの群生があるのが不思議ですね。

 

江戸城本丸御殿跡には外国からの観光客がたくさん訪れていましたが、敷地が広大なので閑散としているように感じるくらいです。そして今年もツルボが元気に咲いていました。

 

天守閣跡というのは「強者どもが夢のあと」と思っていたのですが、最近は「国家の病気」と国民の葛藤に対峙されてきたことこそが真の象徴で、その自由の庭なのだと思えてきました。

過去から目を逸らさずに普遍性を具現化してこられた存在と同じ時代に生きることができたとしんみりすることが増えるとともに、私にとってネジバナツルボの咲く大事な場所になりました。

 

 

そうそう、東御苑の雑木林のツルボに今年は名札が付けられていました。存在を認められたようでうれしいですね。ありがとうございます。

英名では「Barmard japonica」だそうです。

 

 

*どうやって生き、どうやって土に還るか*

 

スミレの定点観測をしようとか蓮の定点観測をしようとか、どんどんと増えていくばかりですが、来年こそはネジバナツルボの芽がで始めたあたりから見てみたいものです。

 

以前は花の美しさに惹かれていたのですが、最近は「どうやって土に還るか」まで見届けたくなりました。

もしかしたら、人生を重ね合わせて気になるのかもしれません。

 

 

 

 

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