唐突なタイトルですが、一応本業の話題です。
ネットは便利だけれど、一度何かを検索すると関連した話題を勝手にお勧めされるのでちょっとデジタルは怖いですね。
最近、あまり仕事関連の話題をネットで検索していなかったのに「ドライテクニック」がニュースラインを流れてきました。そして日をおいてもう一度「読みなさい」とネットからお勧めされました。さらに続きの記事もお勧めされたので読んでみました。
で、一旦「新生児」の話題にアクセスすると、しばらく新生児や赤ちゃんの写真のサムネイルが流れてきます。
赤ちゃんたちは自分の写真や話題が世界に向けて公開されるのをどう思うのだろう。
誰も確認するすべを持たないですけれどね。
*いろいろな条件が整理されていない「それをした場合としなかった場合」の研究*
さて、「ドライテクニックの方が、赤ちゃんの皮膚をいい状態に保てるという結果が」ではこう書かれています。
国内の2施設、産湯を含む沐浴を行う施設Aと、ドライテクニックを行う施設Bで、2015年2月〜3月に生まれた、出産までの経過が正常な新生児80人(施設Aが36人、施設Bが44人)について、生後1日目~5日の間、観察を行いました。
施設Aでは、生まれてすぐから石けんを使った沐浴を1日1回行い、施設Bでは、生後4日目までドライテクニックを続け、5日目に石けんを使った沐浴を行いました。2施設ともに同じ石けんを使い、沐浴後に保湿剤は使いませんでした。
「生まれたばかりの赤ちゃんは沐浴をしないの?! 胎脂を洗い流さないドライテクニックとは【研究発表】」
(たまひよONLINE、2025年10月29日)
ああ、惜しいなあ、保湿剤を使用していたら結果は変わったのではないかと思うのですけれど。
あるいは石けん分のすすぎ方にもまだ改善の余地はありそうです。
というのもこの当時、新生児期から乳児期のアトピー性皮膚炎やその後のアレルギー性疾患との関連がよく取り上げられていて、現在に至るまで「皮膚の保清と保湿が大事、ただし洗いすぎないことと石けん分をよく洗い流して保湿も行う」あたりのスキンケアの基本に落ち着いた印象です。
ですから単に「沐浴をしたかしなかったか」だけではない、まだたくさんの条件がありそうです。
「それをした場合としなかった場合」の比較をしている一見、医学的な内容でも、新生児の沐浴のメリットやデメリットのバイアスを少なくするための盲検化にはどんな方法があるかを説明したものにはなかなかお目にかかれません。
*「胎脂を洗い流さない」が「ガーゼを使うのは間違い」へ*
タイトルでは「胎脂を洗い流さない」ことがドライテクニックと関連づけられていますが、最後は「ガーゼでこすらない」ことを結論にしているような内容で、ここでも「あれっ?」と思いました。
新生児期の沐浴をしているスタッフなら分かるとおり、胎脂というのは出生翌日から毎日石けんで洗っても2~3日はぬるっと感じるので、「一回沐浴をしたらその効果がなくなる」わけではなさそうです。
胎脂はいつ頃まで残るのかとか、沐浴で皮膚が乾燥傾向になるなら保湿でいいのではないか、という視点での反証の研究に期待したいものです。
では「ガーゼの使用」は否定されるべきかどうか。
本文中では「当たり前に使っていた綿ガーゼは、ナイロンタオルと同じくらい角質が傷ついたり、はがれたりという結果だった」と書かれているのですが、どうやらそれは「綿ガーゼでこすったマウスの表皮」という実験のようです。
ちょっと拙速に結論にしている印象です。
「実験をした」ことに圧倒されてそう信じたくなる結果ですが、では「沐浴の後にタオルで水分を拭き取るのは問題ないのか」という素朴な疑問が湧きました。
沐浴でガーゼを使うときには「そっとなでる」くらいで、まあ、使ってもやめても同じかなというものです。
むしろタオルの方が「水分を拭き取るのにグッと押さえたり、皮膚をこする」わけですが、常識的には問題はないと思うのですけれどね。
*出生直後の新生児には負担がかかるという臨床の観察に基づく視点*
1997年にWHOの出生直後の沐浴に関する推奨が出た頃から、生まれた直後の沐浴は新生児には負担がかかるということで中止する施設が増えました。
ただ、すでに1980年代の教科書にも「児の負担を少なくするためには、沐浴より温かいベッドの上で清拭する方が良い。沐浴をする場合でも、血液による汚れを落とす程度とし、短時間で終了させる」と書かれています。
なぜ、出生直後の沐浴が行われていたか、それは「血液あるいは母親の排泄物などの付着をできるだけ早く落とすことが感染予防になる」ことが優先されていました。
今はどの分娩施設でも当たり前にあるインファントウォーマーですが、1980年代終わり頃に勤務した一般病院ではまだなくて、電気あんかの上にタオルや産着を準備していました。
1990年代に入ると急速に新生児を温めるための設備が標準的になりました。
出生直後や出生後24時間程度の赤ちゃんでも、沐浴をするとチアノーゼ(青紫色)になることを経験したスタッフは多いことでしょう。
1960年代以降、出産が医療機関で行われるようになり、医療の専門職が新生児を24時間継続して、しかも1週間ほどの変化を観察することが当たり前になりました。
「新生児にはこんなことが起こるのか」「何かがある、何か変だ」という臨床の観察に基づく問題点が積み重なり、そこから全体像を考える時代になったからこその、「出生直後の沐浴は避ける」「出生直後は保温と全身の観察に気をつける」が標準化されたのだと思います。
*半世紀前のドライテクニックの「理由」*
胎児から新生児へ、出生直後はいつでも救命救急が必要となりうる時期ですから、安全のために「出生直後の第一沐浴はやめる」ということは抵抗なく現場に広がっていった印象です。経験的に理にかなっているというあたりでしょう。
ところが2000年代終わり頃でしょうか、「ドライテクニック」という言葉とともに「生後4~5日は沐浴をしない」方法のようが良いという説を見かけるようになりました。
出生直後から沐浴をしている施設に勤務し続けていても、「そこまでしなくても」思う主張の根拠はなんだろうと探していたところアメリカ小児科学会のドライテクニックに行きつきました。
それは1974年の「米国小児科学会の提唱」ですが、読んで驚きました。
当時は新生児の感染症の発症率が高く、出生後皮膚を清潔にする方がその後の感染症の機会を減らすと信じられていました。そのため、産湯に消毒薬を混ぜて使用していました。実際にはこの消毒薬の毒性が大きな問題になりました。
この勧告のあと、産湯を中止しても、特に新生児の発症率が上昇したとの証拠はなく、むしろ他の要因を含め、発症率が低下しています。その結果、ドライテクニックで問題ないだけでなく産湯を使わないことのほうが赤ちゃんにとっては種々の利点があることが理解されました。
(「続 他科医院に聞きたいちょっとしたこと」「産湯を使わない利点」、2012年8月1日)
そうであれば「消毒薬を入れた産湯と入れない産湯」の検証だと思うのですが、なぜここから「産湯をしない場合とドライテクニックをした場合」の結論になるのだろう。
まあ、半世紀前、今ではK2シロップが予防法が常識の新生児メレナも感染症だと思われていたし、「根拠に基づく医療」という概念もない時代でした。
大昔のように感じますが、私が中学生の頃ですね。
*「ドライテクニックの理由」も大人の方便では?*
さて、2000年代終わりごろからの「ドライテクニックのメリット」として挙げられていたものには「胎脂や羊水の匂いで赤ちゃんは安心する」「絆ができる」というオカルト的な話や、「母乳栄養に良い」と「母乳が万能」という野心的研究にも使われ始めました。
ところで、当初WHOが「風習的に沐浴が必要とされる場合でも生後6時間以内の沐浴はさけるべきで、できれば2~3日後に行うことを推奨」(「ベッドサイドの新生児の診かた 改訂第2版」)だったものが、いつの間に我が国では「4~5日間はドライテクニック(沐浴をしない)」になったのだろう。
そういえば、アメリカは出産直後か翌日に退院なので、入院中に沐浴もしないし、自宅での沐浴はお好きにどうぞという感じではないかとアメリカの医療とつながってきました。
対して日本は1990年代から2000年代にかけての早期退院を進める圧力にも負けず、少なくとも産後4~5日間は入院してお母さんも産後の体を休め、そして赤ちゃんも早期新生児期を医療スタッフが常時ケアする体制を守ることができました。
「生後4~5日間はドライテクニック」
私にはそれをした場合としなかった場合の根拠がいまだにわからず、産科施設の集約化の流れで業務量を減らす口実にしか思えないのですけれど。
その歴史を知らない新しく入職するスタッフやネットで「ドライテクニック」を知ったお母さんから、「えっ、まだ沐浴やっているんですか?」「まだガーゼなんて使っているんですか」と言われた時の対応が増えました。
「それをした場合としなかった場合」から説明したらけっこうかかりますからね。
*結論を急いだ論文は「社会的実験」を世の中に広めてしまう*
しかるべき研究の手続きを経て標準化されたものが通常医療へと取り込まれていくのが「根拠に基づく科学的な医療」なのに、この結論をいそぐ研究の段階で出版社が取り上げるのは誤った知識を世の中に広げてしまうことになり、20年とか30年たってもなかなか収束しない混乱が続きます。
結果、臨床では今日もまた「ドライテクニックをしていない遅れた施設」という視線との攻防戦が続いています。
*おまけ*
冒頭の記事の最後は「赤ちゃんに優しいスキンケア」でまとめられていたけれど、「赤ちゃんに優しい」は往々にして赤ちゃんの対応に困惑している大人の方便に使われるし、「運動的な何か」で使われる文学的表現ですから要注意ですね。
新生児の生活史とその観察方法でさえ確立もされていないから、さまざまな言説が跋扈する周産期の看護のまま何十年もきてしまったのだろうと思っています。
「新生児のあれこれ」まとめはこちら。
合わせて「沐浴のあれこれ」まとめと「助産師の歴史」のまとめもどうぞ。