奈良盆地の東から南側は美しい青空だというのに、西から北側へは積乱雲が刻々と姿を変えて近づき、時々雷鳴が聞こえています。
池尻環濠集落の濠のそばのベンチに腰掛けてぼっとしていたいところですが、先を急ぎましょう。
焼板の壁が美しい家の間の道を南へと歩くと、先ほどの案内板にあった東池が見えてきました。住宅地の真ん中にこんな大きな溜池があるのが奈良ですね。そしてこの水は山を超えて吉野川から導水されているようです。
1970年代から80年代ごろに田んぼから住宅地になったと思われる地区を歩きます。
小さな畑に花が育てられていた記憶があるのですが、この辺りを歩いたメモも写真もまったくないのは、空を見上げてただひたすら雷データを確認しながら、ビビリながら歩いたからでした。
真っ黒な雷雲が奈良盆地の北側までかかった頃、大和高田駅のそばを通る県道5号線まで来ました。やれやれ、ここまで来れば一安心です。
地図で気になっていた「勝手神社」を訪ねてみることにしました。
地図では境内に池が描かれているのですが、実際には南側が低い場所に造られた溜池でした。
溜池の向こうに屋根が見えるのは、高田川右岸の河岸段丘を利用したのでしょうか。
深緑の美しい銅板の屋根の社殿が、L字型の溜池に向かって建っています。溜池のすぐそばに鳥居があって、参道は溜池沿いに曲がり、そしてもう一度曲がって県道5号線へとつながっています。
社殿からは溜池の静かな水面が鳥居の向こうに見える、なんとも美しい神社でした。
境内のベンチで溜池を眺めてひと休みさせてもらいました。
わずかの時間でしたが、静かに参拝されていかれる方々が何人かいらっしゃいました。
何を祈られるのでしょう。
*水の神様だった*
「勝手神社」という名前を初めて知ったのは都内の田んぼを訪ね歩いた時で、八王子の谷地川のそばでした。御由緒が気になりながらもそのままにしていましたが、なんと吉野川の水源の神様だったようです。
吉野大峰山の鎮守社である吉野八社明神の一つでかつては「勝手明神」と呼ばれた。吉野川水源に当たる青根ヶ峰は古くから水神として崇敬を受け、山頂付近に金峯神社(奥千本)・山腹に吉野水分神社(上千本)・山麓に勝手神社(中千本)が建てられた。勝手は「入り口・下手」を意味するともいい、その字面から勝負事や戦の神としても信仰された。神仏習合時代には勝手大明神の本地は毘沙門天と言われ、さらなる武門の崇敬を受けることとなった。また、吉野山の入り口に位置することから山口神社とも言われた。
(Wikipedia、「勝手神社」「概要」)
あの吉野川両岸や宇多(うだ)の菟田野(うたの)の「里に水を行き渡らせる水分(みくまり)神社」が山腹の水の神様で、山麓の水の神様が勝手神社だったようです。
*雷の神様でもあった*
こうして当日の記録を整理していて、一枚の写真を撮っていたことに気づきました。
勝手神社のあるあたりは「神楽(じんらく)」という地名で、その説明板がありました。
神 楽(じんらく)
「経覚私要鈔(けいかくしようしょう)」に文案(ぶんあん)四年(一四四四年)、布施氏(ふせうじ)が押し寄せ、「深楽(しんらく)」の堂塔を焼いたという記録が見え、「寛永郷帳(かんえいごうちょう)」にも「秦楽村(じんらくむら)」と記され、古来から秦(はた)氏とのかかわりが深いところとされている。「日本書紀」には、”韓人(からひと)、池を造る”とあり、渡来人(とらいじん)が百済(くだら)の「甘羅(かむら)」の地名を移して「神楽」の文字をあて、これを音読して神楽(じんらく)とした説がある。
氏神、勝手神社(吉野・勝手神社の分神)の祭神(さいしん)は、正哉吾勝々速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)で、即ち、雷神のことで、天空の音楽の神といわれる。むかし、このあたりに雷(かみなり)が落ち、村人が金だらいを下げて、遠巻きにしてとりおさえると、雷は再びここへは落ちないと約束したという伝説などとともに、ここは歴史・民俗ともに興味深いところである。
(強調は引用者による)
あの時は急いでいたのでよく読まずに写真に収めたのですが、雷の神様でもあったとは。
そして、いにしえの人々は雷鳴を「天空の音楽」と考えたのですね。
ここに到着した頃から、積乱雲はどんどんと北側へとそれて雷鳴も遠くなり、これならもう少し散歩を続けようと次の場所へ向かったのでした。
これもご利益でしょうか。
まあ、偶然も奇跡になりますからね。
期せずして水分神社とのつながりを知ることができましたが、溜池のそばには水の歴史を学ぶことがたくさんありますね。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。