記録のあれこれ 234 奈良駅前の由緒ある三条池跡と三条池上樋の記念碑

また寄り道をしてしまい、奈良の散歩2日目の記録が途中になってしまいました。

現代の「政治・経済」について、庶民の思うところを記録しておかなければいけないことが多すぎますね。

 

さて、傘がいるかいらないかぐらいの雨の中、法隆寺から奈良駅へ向かいました。疲れとともに「お腹が空いた、店を探そう」状態だったので奈良駅でご飯を食べようと駅ビルに向かうと、目の前で「ランチ終了しました」の札がかかりました。悲しい。

こういう時には、お客が少なければ昼寝をして14時台でも店を開けてくれている中華料理屋さんですね。

少し離れているけれど近鉄奈良駅方面へ歩き出しました。

 

途中、「こんな奈良の中心部に周濠のある天皇陵が」とびっくりするあの開化天皇陵の参道の前を通りました。

前回見た時にはビルに囲まれた場所に細い参道が続いていたのですが、東側のビルが解体されて空が広がっています。ああ、このまま公園になったらいいのに、と思いましたが、どうやら新しいビルの基礎工事が始まっていました。

 

法隆寺では観光客が少なかったのでちょっと静かな奈良を期待をしたのですが、三条通りとアーケード街はにぎやかでした。

 

このお店は3回目でしょうか。旅先での野菜不足を補うための美味しい料理と、まだ14時だけど散歩も終わりなのでビールです。

満足して、JR奈良駅へ戻るのにまだ歩いたことがない道を選んでみました。

また「幻のため池」に出会うかもしれないですからね。

 

 

奈良駅前の木の香りがする町屋に記念碑が*

 

奈良駅のロータリー周辺はホテルやビルが多いのですが、観光客の多い通りより一本南側に入るとふつうの住宅や昔からの家がけっこう残っています。観光のために残しているというよりは、奈良駅前が今も変わらない生活圏という感じで、どこからともなく家並みから木の香りがしてきます。

 

ここ半世紀ほどで、全国どこも県庁所在地や大きな駅周辺は軒並み再開発で生活の香りがなくなった時代ですからね。

 

「ああ、これが奈良」と感動していたら、石碑がありました。

 三條池跡記念碑

この地に三條池在り 三條池は江戸時代に三條村農民の手に依って築造したもので總面積は一町四反一畝十四歩あり 爾来今日迄三條村領内農耕地の灌漑用水の溜池として役立って来たが明治二十一年市町村制度の制定により奈良市の管理する処となり 又近年奈良市の発展に伴い三條池区も住宅化が進み農耕地も減少して溜池の必要が無くなったので市の計画する市街地の整備事業に協賛して由緒ある三條池を処分する事に決定した 依って先人達の遺徳を偲びつつ追憶の標としてこの碑を建立する

 昭和五十四年十月二十日  奈良市三條町農家組合

 

1979(昭和54)年、奈良駅の東側、わずか200mほどのところにやはり溜池や田んぼがあったようです。

 

 

奈良駅前の三条池の歴史につながった*

 

 

この碑の後ろに何か石の鳥居のようなものがあります。

よくよく見ると「三條池上樋跡記念之碑」で、溜池の水門だったのでしょうか。

 

あと二つ石碑があり、右端には1989年のものもあります。

   碑  文

 わが奈良市三条町は明治二十三年省線奈良駅が竣工、更に明治三十一年に市政が施行さる。明治、大正、昭和と時の流れはこの地を純農村から商業市街地と変貌を遂げ、添上郡三条村は現町名と改る。この変遷は、長く農業用溜池としての三条池の使命は終り処分された。これを契機に、わが地域の先人が幾多の辛苦の末建設された集会所、農作業場、不動堂も建設以来半星霜、これらの建物も老朽化が甚だしく、より堅固な建造物の建設を計画。一大事業として、年次を追い着工する事に関係者一同の賛同を得た。会館、不動堂は昭和五十六年二月に着工、同年十二月に竣工する。不動堂の改築に伴い、かつて弥勒堂に安置された弥勒菩薩、涅槃仏像を共に不動堂に安置、長く護持することとした。次に共同作業場は、市街地への変貌と、農耕地の減少を考慮、その規模を縮小し、此処にモータープールと、共同作業場を、昭和五十七年一月着工、同年六月竣工する。また農業用水は市街化の進行により、汚染が甚だしく、困って灌漑用深井戸の掘削工事と用水路の改修を計画実施した。これら総ての工事に約3ヶ年の歳月と、多額の経費を当て、一応初期計画の完成を見ることができた。

その間、これらの事業にご理解と賛同、更にご協力を賜った方々に深甚の謝意を表すると共に、この一連の事業の完成を長く記念する為、一文を草して碑文とする。

  平成元年一月吉日  奈良市三條農家組合

 

真ん中の旧字体で彫られた難しい石碑を読んでいたら、車が出てきてクラクションを鳴らされました。

なんの建物なのだろうと見ると、「三條会館」とあります。

道路に面したところの「三条農家組合三条町駐車場」と、すみに「弥勒菩薩像」の説明とお堂があったのを、当日写真に収めていました。

 

写真に撮った平成元年の碑文を読みなおして、これが1981年につくられた「モータープール(駐車場)」と会館、そして改築した不動堂だったのだとつながりました。

 

奈良駅前の交差点が「三綱田(さんごて)」で「三条池」という地名であること、その近くに「旧三条池により犠牲となりし『一切の生物之霊』を此処に祀る」という碑があることの歴史がまた少し正確になりました。

 

そして1970年代半ば、中学校の修学旅行でこの辺りを訪ねた頃は、駅前まで稲穂や溜池があっただけでなく、その十数年後に再び訪ねた時にも駅前にはまだ田んぼや水路が残っていた可能性もありますね。

記憶のあの頃にもう一度戻って、奈良の風景を見てみたいものです。

 

ああ、今日も良い散歩になりました。

 

 

 

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