事実とは何か 123 「ウォーナー博士 報恩供養塔」

安倍文殊院の池を眺められる高台の隅に何かお墓と説明板がありました。

 

 ウォーナー博士 報恩供養塔について

 

 ウォーナー博士は、一八八一年アメリカのニューイングランドに生まれ、ハーバード大学出身の東洋芸術史家で日本美術の偉大なる権威者です。第二次世界大戦において、日米の風雲急なるやその親友ハル国務長官を訪ねて戦争防止を進言されました。不幸開戦となるや、アメリカの政府と軍の上層部に辛抱強く奈良と京都を初めとする古都の文化的価値の説得に成功されたおかげで、アメリカ軍の日本本土空襲の時にも空爆リストから外されました。この地に立つウォーナー報恩塔はこのウォーナー博士の功績に大変感動した桜井市の一市民であった中川伊太郎さんが、日本人が博士へ寄せる感謝の気持ちを永久に残したいという気持ちから自費で建立されました。因みに中川さんは当時、失業対策事業で働く日雇労務者と言う大変苦しい生活を送っていたにもかかわらず、こつこつと貯えた十万円の全財産を出して昭和三十四年五月に建立されたものです。この建立の相談を受けた当時の桜井市仏教協会と当山住職はこの美徳を称えたいとの思いから場所の提供をはじめとして毎年六月九日のウォーナー博士の命日に報恩感謝の供養を厳修することとし、爾来桜井仏教会主催によって六月九日の博士の命日に法要が行われています。

 

訪ねた時には、奈良の古い寺社や街並みが残った理由と私が生まれる少し前にはこう言う社会の雰囲気もあったのかと思って写真に収めました。

 

今読み返すと、「日本人が博士へ寄せる感謝の気持ち」に引っかかりました。

空襲リストから外されたと言うことは、他の地域が空襲に遭ったことになりますからね。

 

検索すると、「日本において空爆すべきでない『ウォーナーリスト』」があり、それによって京都や奈良は空爆を免れたと言う説があり、それに対して現在に至るまで賛否の議論があるようです。

そういえば子どもの頃に、「米軍は日本の大事な文化財がある場所を避けて攻撃した」と聞いたことがありますが、このことだったのだとつながりました。

 

*ウォーナーリスト*

 

Wikipedia「ウォーナーリスト」を読むと、前日歩いた法隆寺の西大門のそばにもウォーナーの供養塔があるようです。

太平洋戦争当時、日本の多くの都市・地域に空爆があったが、京都は爆撃されなかった。この事実の理由として、ウォーナーが、空爆すべきでない地名のリスト(ウォーナーリスト)を作成して米政府に進言したから、という説がある。

京都を救ったのはウォーナーであるという話に基づいて、1958年6月、法隆寺西円堂の近くに供養塔、顕彰碑ウォーナー塔(Warner Monument)が建立された。また「ウォーナーリストへの掲載=貴重である証し」といった解釈は各方面でなさレ、1961年には鈴木大拙が「ウォーナー博士が爆撃から除外されるべきものとして米国大統領に進言した文化財の中でも特に貴重なものとして、大谷大学の図書館が指摘されている」と語り、同大学の新図書館建設のための募金活動につながった。鎌倉にも同趣旨に基づくプレートがある。さらにウォーナーへの感謝の鏡像が作られ、米国の大学へ寄贈されたこともある。なお、平川祐弘ウォーナーが困惑し、この鏡像を人目につかない地下室に置いたことを紹介している

Wikipedia「ラングドン・ウォーナー」「ウォーナーリスト」より)(強調は引用者による)

 

私が生まれる前後の時代の様子で、そういえば父の書斎鈴木大拙の名前の本を何冊か見かけた記憶があるのですが、何を思って父は読んでいたのだろう。

 

 

*「ウォーナー伝説に対する反論」*

 

その後の反論の経緯がまとめられていました。

一方、この説を否定する説が後年唱えられた。1975年に同志社大学のオーティス・ケーリが文芸春秋誌において「京都に原爆を落とすなーウォーリー博士はほんとうに京都を救った恩人なのか」を発表し、20年にわたる調査から、京都の原爆投下が避けられたのは陸軍長官ヘンリー・スティムソンによるものであるとした。1980年代には、立命館大学の鈴木良もスティムソン日記に「京都に爆撃を落とすのは対ソ戦略から政治的効果にマイナスになるから(投下しない)」とあることを指摘し、ウォーナーと直接交流の遭った五浦研究所初代所長の稲村退三もウォーナー自身が「リストは作成したが、爆撃を中止させるほどの権限はなかった」と述べていた。

 

子どもの頃に耳にした米軍が爆撃しなかった理由が、私が20代になることには「それは事実だったか」と議論されることになり、さらに2010年代に入ると「ウォーナー伝説は日本では美談扱いだが、米国では日本人の感傷的な歪(ゆが)んだ外国認識の実例として研究対象にされた」という批判にまで変化していたようです。

 

事実とは何か、難しいですね。

将来、歴史の審判に耐えられるためには、今ある報恩供養塔を一市民が私財を投げうって建てた事実をなかったものにすることではなくその時代背景がわかるようにすること、でしょうか。

 

社会に生きる希望や夢をなくす戦禍はその後も長く続き、政治や経済のあり方が間違ったことに対し「黒を白に、白を黒に」と塗り替えながら絶望は続くのですからね。

 

 

*おまけ*

 

地図で安倍文殊院の溜池を見つけた時にWikipediaを読んだら、「2010年(平成22年)には安倍氏と関わりがあるとされる安倍晋三が、「第90代内閣総理大臣安倍晋三」名義で石燈篭を寄進している」という一文を見つけましたが、ちょうどあの頃だったので訪ねるのをためらっていました。

 

どんなゆかりがあるのだろうと今回訪ねてみましたが、石燈篭のそばには説明はありませんでした。

 

そして当日の記録をまとめているうちに、1950年代から60年代のこの社会が信じ込んだ説を「昔の人は・・・」とちょっと気恥ずかしさを持って読んで、ハッとしました。

そういえば自分はノーベル平和賞にふさわしいと思っているどこぞの大統領と嬉々として推薦する人たちが、重なりました。

今もあまり進歩していないですね。

半世紀後、どんな歴史が書き加えられることでしょう。

 

 

 

 

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