遠くからでもまるで森のように存在感のあった賣太(めた)神社の境内を出て、いよいよ環濠集落の中を歩くことにしましょう。
濠のそばに小さなバス停の表示がありました。大和郡山市の「元気平和号」というコミュニティバスで運賃は100円でした。赤と青の絵が描かれていて「雷様」かと思ったら、「水と金魚」を表したものでした。そうでした、金魚で有名ですね。これもまた大和川支流が合わさる地の恵みでしょうか。
当日の写真を見ながら記録を書こうと見直したところ、このバス停以外、集落内の写真はありませんでした。
たしかに神社の西側の道を緩やかに蛇行しながら北へと200mほど歩いたのですが。
誰一人出会うこともなく、ただただしんと静謐な道を歩いた記憶が蘇ってきました。
かつてのような防御の必要性もなく、訪ねてくる旅人を自由に歩かせてくださる平和な時代を感じながらも生活を守り続けている空気とでもいうのでしょうか。その雰囲気に押されて、写真を撮るのをためらったのかもしれません。
「集落内いい香り」とだけメモしていました。木造建築の香りがこんなに良いものだったとは、遠出をするようになって改めて感じることの一つです。
北側の濠の橋を渡るとその周囲は田畑です。
田植えが終わって1週間ぐらいでしょうか、少し育った稲の間の水面に西側の山並みが映っています。
緩やかに蛇行する濠に沿って西側へと歩いてみました。これが「七曲り」だったのだとつながりました。
濠の周囲は木や花がよく手入れされています。
西側には濠を隔てて住宅地が接しているのですが、環濠集落の方はまるで映画のセットのように灰色の屋根がそろった家並みでした。
*3つの流れが並行する佐保川へ*
ここからは地蔵院川と佐保川と水路が並行する場所を目指しましょう。
農道のような田んぼの道のそばに、蓮池がありました。大きくなり始めた葉がゆらりゆらりとしている風景だけでも、ここに座って一日中眺めていたくなりますね。
小さな畑には野菜だけでなく百合やグラジオラスでしょうか、花が植えられています。
時々立ち止まっては四方の山並みを見渡し、田んぼを眺め、しだいに堤防らしい場所が近づいてきました。
地図で三本の水色の線が描かれている場所です。堤防のそばに、地蔵堂のような灰色屋根の建物がありましたが、よくよく見るとポンプ場の施設のようです。奈良ですねえ。
1本目の地蔵院川の橋の上に立ってみました。
周囲の住宅や田んぼとあまり変わらない高さで、川も高低差もないゆったりとした流れで、その向こうに奈良市の中心街を雨柱が覆っているのが見えます。
そのうちに川の水量が上がってくるのでしょうか。
地蔵院川から背割堤をこえて佐保川の上に立ってみました。上流がまっすぐだった地蔵院川に比べると佐保川は緩やかに曲がっています。この数百メートル先で北側からの流れが変わる場所のようです。
また背割堤を超えると橋に「蟹川」と書かれていて、水路名がわかりました。
その右岸に、先ほどの地蔵堂のような小屋があり、蟹川の少し下流にまるで平城京の大極殿のようなものが見えました。
航空写真で確認すると、どうやら蟹川の水門のようです。奈良ですねえ。
ここから右岸側はずっと田んぼが広がっている、あの30年ぶりに奈良を訪ねてJR大和路線の車窓に水田が広がる風景に息を呑んだ場所です。
ようやく、訪ねることができました。
*奈良の大事なもの*
あの時には、まるで半世紀前の記憶のように美しい田んぼが奈良市のすぐそばまで広々と整然とあることに感動したのですが、奈良盆地を歩けば歩くほどいにしえより水に乏しい土地柄であるとともに、奈良盆地の川や水路はすべて大和川へ流れ込むのでどのようにその水を治めてきたのだろうと、その生活への畏敬の念が大きくなってきました。
ここから5kmほど下流で佐保川が大和川に合流するまで、両岸にはいくつもの川や水路が合流していきます。
それらの川合を全てみてみたい。
そしてまだまだ歩いていない環濠集落を訪ねてみたい。おそらくそこには軍事的な防御だけでなく、この大和川との生活の歴史があることでしょう。
大和川水系を少しずつ歩くにつれて、太古の昔から水をおさめこの見事な水田地帯を築いてきた、それが奈良盆地の大事なもののように思えてきました。
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