落ち着いた街 100 郡山城の外堀を歩く

稗田環濠集落から佐保川の川合を越え、水田地帯をJR大和路線郡山駅へと向かいました。振り返ると、盆地の西側から北へとまた新たな雨柱が迫っています。豪快に雨が降っている様子が見えるのですが、おそらくこちらへは来なさそうと、だいぶ進路を読めるようになってきました。

 

田んぼから急に市街地になって、郡山駅に到着。駅前に「大和郡山市まちなか案内」の大きな地図がありました。

このJR郡山駅と数百mほど西側の近鉄大和郡山駅にはさまれた場所にある、水色の線で描かれていた外堀跡地公園が気になっていたので、そこを歩いて近鉄線の駅に向かうことにしましょう。

 

郡山城外濠跡*

 

駅前の道から路地に入ってみると、新しい住宅やビルの間に木造の美しい家屋が残っています。ちょっとホッとしながら北へと向かうと、道路と白壁の間の水路が見えてきました。

幅1.5mほどでしょうか、「外堀」のイメージと違って平地の中の水路という感じでしたが、「郡山城外濠跡 濠名常念寺裏濠」と説明の石碑がありました。

  外 堀

天正八年(一五八〇)筒井順慶の縄張りに始まる郡山築城は、天正一三年(一五八五)に入部した豊臣秀長の時代に本格的に進められた。

文禄四年(一五九五)豊臣秀吉五奉行の一人である増田長盛が二〇万石で入部し文禄五年から外堀の普請とを開始した。秀長の頃にはすべての家臣が城下に侍屋敷を構える時代ではなかったが、この頃には約1万人の家臣が城下に集中し、武家屋敷数も多くなり、城下町で商工業が著しく発達するなど、外堀で城下全体を囲む必要が生じてきたのである。安土桃山時代の城下町にはこうした惣構の傾向が強い。外堀は、東側では秋篠川の流路を東に向けて佐保川と直結させ(奈良口の川違え)、旧流路を堀に利用した。南・西側は丘陵の断崖や溜池を巧みに利用し、北側は谷地に沿う堀をめぐらした。総延長は五〇町一三間(約5.5キロ)に及んだ。外堀の大部分は素掘りで、内堀や中堀のように石垣を積むことはなかった。掘削した土を堀の内側に盛り上げて土塁(土居)をつくった。土塁の高さは、一間半(2.7メートル)から高いところでは二間半(4.5メートル)もあった。外堀の完成で郡山城の規模が定まり、防御施設が整ったのである。

こうして近世郡山城の基礎が完成したのである。内堀、中堀、外堀が同心円状にめぐり、城郭中心部は内堀と中堀で囲み、その北・西・南側に武家屋敷地を配し、東側に町割を実施した城下町を配し、城下全体を外堀で囲んだのである。また、城外へ通じる主要街道と外堀の交点には九条町大門、鍛冶町大門、高田町大門、柳町大門の四門を設け出入りを監視するなど城下の維持と安定のための策を採ったのである。

近現代に至り、外堀や土塁も徐々に失われてきたが、今日の郡山の街並みや道路網・水路網もこの近世の骨格を維持している。また、二一世紀の都市計画にも外堀などの歴史的遺産が活かされつつある。

(強調は引用者による)

 

 

歴史の武将の名前が続く説明に目が滑りそうになったのですが、「奈良口の川違え」で俄然興味が出てきました。こうした各地の「1本の川をめぐる多くの先人達の願いや苦悩に思いを馳せる」、散歩の醍醐味です。

 

ここが南側の門で、塀の中に続く堀は大きく二回、直角に曲がりながら南西へとそばに遊歩道が造られて残っているようです。

 

*外堀緑地を歩く*

 

かつての外堀は、白壁に挟まれて遊歩道が続いていました。

白壁の外にはマンションが見えたり今も蔵が残っていたり、時代が混ざった風景ですが、落ち着く遊歩道です。クチナシの良い香りが漂っていました。

四阿(あずまや)もトイレも白壁造りで統一されています。

 

途中、説明板がありました。

 箱本(はこもと)案内図

 近世にタイムスリップしてこの界隈を歩けば、いずれかの町の会所(集会所)に「箱本」と染め抜かれた小旗が誇らしげに立てられているのが見えることでしょう。それは、町民にとって自治のしくみを象徴する大切な旗印でした。

 このしくみを初めてつくったのは、豊臣秀吉実弟で、地元では今も大納言さんと親しまれている秀長です。百万石の郡山城主秀長は城下町の繁栄をめざし、他の地域での商売を禁じるとともに、郡山に集まってきた人々にはさまざまな特権を与えました。そして、このことを示す文書を朱印箱に入れて封印し、一か月ごとに各町を持ち回ったのです。当番となった町は藩からの伝達や税の徴収、治安や消火など、民政にかかわる任務に携わることになりました。

 つまり、箱本とは郡山城外堀の内側「内町十三町」(本町・今井町・奈良町・蘭町・柳町・堺町・茶町・豆腐町・魚塩町・材木町・雑穀町・錦町・紺屋町 江戸時代には二十七町に拡大)で始まった自治のしくみだったのです。各町の平等な町政参与が大きな特色でした。

 お越しいただいた皆様には、町民の誇りに思いを馳せながら、自治のしくみ発祥の地をゆっくり散策していただければ幸いです。

 

水路をたどって訪ねた場所で、まさかの「自治のしくみ発祥の地」とか「各町の平等な町政参与」といった歴史に出会うとは。

武将の名前が少し身近になりました。

 

そして今度はゆっくり、各町を訪ね歩いてみたいものです。

 

白壁の向こうに大きな芭蕉が植えられていると思ったら、ここもバナナの実がなっていました。いつ頃から日本でもバナナが植えられ、寒さをものともせずに実をつけるようになったのでしょう。

中世から現代へ、遊歩道に立っていたら時間の感覚が混乱してきました。

 

 

*新紺屋町から北大工町へ*

 

まだもう少し遊歩道は続くのですが、疲労の限界にきたので近鉄大和郡山駅へと向かいました。

 

神社があったので境内へと入ってみました。町屋の中に静かな鎮守の森です。

御由緒を読んでいたら、近所の方でしょうか、犬を連れて散歩していた女性が「パンフレットもありますよ」と声をかけてくださいました。

なんだかほろりときますね。ありがとうございます。

 

まっすぐ細い路地を歩くと、セメント屋さんとかかまぼこ屋さんとかがあります。

民家やお寺も気持ちが落ち着く路地です。家と家の間に小さな水路があり、ドブだろうと思ったらきれいな水が流れ、水草も生えていました。

振り返ると美しい路地が続いています。

板壁の家々と鉢植えと水路と。そしてところどころにあるベンチと案内板と、「ああ、これが奈良だ」、大和郡山、もっと早く訪ねれば良かったと思いました。

 

 

 

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