散歩の4日目の計画は前日に思いついたもので、地図を見ていたら宣化天皇陵の近くから御所までのバスがあったからです。以前JR和歌山線に乗った時に「御所」を通過しました。そして通学時間帯でぎゅうぎゅう詰めで、立って車窓の風景を見ていた時に玉手駅のあたりの美しい田んぼの風景と、その玉手駅で一斉に高校生が整然と列をなして下車していった記憶があり、いつか歩いてみたいと思っていた場所です。
*バスで御所(ごせ)までの車窓の風景*
「船付山口バス停」という、この山裾にあることとつながらないバス停名ですね。
ちょうど住宅の庭木が涼しい木陰を作ってくれたので助かりました。そこで周濠からの水路と田んぼと畝傍山を眺めながらバスを待ちました。
「時刻表は間違っているのか」と不安になる頃、11分遅れでミニバスが来ました。
若い女性の運転手さんで、安全運転の技術もお年寄りへの落ち着いた言葉も安心な方でした。すごいですね。以前は、女性のドライバーなんてと思われていた時代がありましたね。
子どもの頃は女性の方が能力が劣っているからという社会の雰囲気でしたが、時代によってただ単に「労働力の過不足」を埋める緩衝材のような存在にされたからかもしれませんね。
男女差だけでなく、最近は高齢者まで現役世代にされるように。
さて、バスの冷房にホッと一息ついたところで、丘陵地帯の切り通しのような場所に入りました。
山全体が千塚古墳群公園でしょうか、いつか歩いてみたいものです。
じきに下り坂になり、川西町へ入りました。ここもまた奈良らしい美しい集落が見えます。いつか歩いてみたいものです。
しばらく曽我川沿いを南へと走り、GPSを確認しながら見逃さないようにしたいと思っていた場所があります。
この近くに水平社博物館があるはずです。車窓からは見えなかったのですが、小さな山を背景に小さな川とこれまた美しい集落と田んぼがある地域でした。
曽我川を渡り西へとバスは走ります。
地図と重ね合わせると、あの和歌山線の車窓から惹きつけられたあたりのようです。
次は必ずこのあたりを歩いてみよう。
しばらくJR和歌山線沿いに田園風景に惹き込まれ、葛城川を渡るとその左岸沿いに南下し、国道24号線に入って今度は北へと向かい、近鉄御所駅に到着。20分ほどの車窓の散歩が終わりました。
地図では平地を想像していたのですが、西側の葛城山の山裾の起伏のある地域でした。
駅前に「住む人の熱意が伸ばす下水道」の大きな表示がありました。
一本の水流が上水道から下水道の機能を持つとか「水辺はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚」には戻ってはいけないですからね。
*御所の街を歩く*
奈良盆地の交通機関はJRと近鉄線が複雑に並走していたり交差したりしているので、最初は路線図が全く覚えられずにいました。
そして近鉄の駅とJRの駅が同じ構内になくて、近鉄奈良駅とJR奈良駅のように微妙に離れているというトラップがあります。あ、そういえば九州の西鉄とJRもそういう場所がありますね。
最初の頃は「乗り継ぎを楽にしてくれるといいのに」と思っていたのですが、最近はむしろ「なぜ離れたところにあるのだろう、どんな生活や歴史があるのだろう」とこのように駅が離れた場所を歩く散歩もひそかに進行中です。
JR御所駅へむかう斜めの道を歩き、そこからアーケード街へ入りました。
途中、お米屋さんに「この度、お米の深刻な供給不足により誠に恐縮ながら、当面の間、臨時休業とさせていただきます」と張り紙がありました。街のお米屋さんには青天の霹靂の時代になってしまいました。天候不順や不作だけでこんなことになるはずはないですからね。
あくまでも「臨時休業」と赤字強調しているところに、強い決意を感じました。
アーケード街に入るとひんやり涼しく、ホッとします。ぼーっと歩いていたら、生活道路で車も通行可のようです。あわてて端っこによりました。
お惣菜やさんは、どの街も元気ですね。ひっそりしているようで、そこはお客さんが入っていました。
美味しそうなかおりの誘惑を振り切って歩いていると、アーケード街を横切るように小さな水路があり、生活排水なのかと覗きこむとなんとも清冽な水です。どこから流れてきたのでしょう。
そして足元に「環濠 日本風景街道 循環の道 平成二十一年三月」と彫られた石がありました。
まさかここで「環濠」の文字と美しい水路に出会うとは。
俄然、この街が好きになりました。
そして美しい水路があるのもやはり下水道整備のおかげですね。
*街並みを残すということ*
アーケードが終わったところから、古い日本家屋がたくさん残る場所に入りました。
御所まち 高札場
この地は現在「おん(御)・ところ(所)」と書いて「ごせ」と読まれていますが、どうして御所という地名になったのか、はっきりとした定説はありません。
江戸時代の御所まちは、街道の交接点として栄え、そのためこの場所が「遠見遮断(鉤型の道)」になっており、まちの入口として現在もその姿をとどめています。『大和国御所町誌』に、明治の初め頃までこの辺りに木戸がありその内側に「制札(高札場)」が建てられていたとあることから、現在の立地などを検討して、この場所に高札場を復元しました。
まちなかには、往時の面影が沢山見受けられます。この高札場建設の折り、できる限り集約できるよう努めました。御所まち散策の際 参考にしていただけると幸いです。
この説明を読み返して、もしかしてJRと近鉄の駅が離れているのもかつての街並みを重視していたからだろうかと、ふと思いつきました。
JR御所駅は南和鉄道の駅として1896(明治29)年に開業しその後国鉄となり、近鉄御所駅も南和鉄道により1930(昭和5)年に開業したようです。
高札場から鉄道の街へ、どんな変化があったのでしょう。
高札場の一角から、あちこちの路地を歩いてみました。新しい家と古い家がうまく街並みを作っています。
酒蔵とタンクが古い家屋の中にあったり、紙屋さんがあったり、まるで映画のセットのような古くて静かな街並みなのに、生活を維持していることが感じられる街でした。
家の前の草花もよく手入れされていて、恵比寿神社の小さな境内もきれいに掃き清められていました。
当日撮った写真を眺めているだけで、あの日の街の空気が蘇ってきます。
観光のために取り繕った感じがなく、歴史の重みをどうぞ散策してくださいという静かな街でした。
そして一見、目立つものもないようで、それは「内需に強い町」なのではと思いながらまた駅に向かいました。
「落ち着いた街」まとめはこちら。
周濠のまとめはこちら。